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【これからNZに渡航する方へ】 私のニュージーランド生活大全


私がニュージーランドで得た一番大事なものは 英語力でも、海外で一人で生活できる力でも、ホテルマンとしての経験でもありません。心から信頼できる第2の家族です。

これは帰国する飛行機の中、半ベソで書いた日記の文章です。笑

ニュージーランドで暮らしていたのはわずか10ヶ月。短い間だったのにも関わらず生まれ故郷の他に「ふるさと」と呼ばれる場所が増えたことは、私の人生にとって最大の財産だと思っています。

現地で途方にくれたことがあった時「saiは私たちの家族だよ」と恥ずかしげもなく声をかけてくれて助けてくれるKiwi(ニュージーランド人)にたくさん出会いました。本当になんなんだこの国は・・・!(泣)

5年勤めた大好きなリゾートホテルを退職しワーキングホリデービザを使って滞在したのは、ニュージーランド最大の経済発展都市オークランドと、世界で一番クールで小さな首都ウェリントンです。

このnoteでは私のニュージーランドでの生活全てをまとめたいと思います。現地滞在中にお友達限定で日記をFacebookに綴っていましたが、この国境が閉ざされたいま、noteで私の経験をシェアすることで少しでも誰かのお役に立てるかもしれないと思い 改めて文字に起こすことにました。

6か月滞在したオークランド、4ヶ月滞在したウェリントンと場所ごとに綴ろうと思いましたが、読み手から考えるとそれではただの思い出日記になってしまうと思ったので、「ライフハック」「家」「学校」「仕事」と言ったように項目ごとに分けました。なので時短で目次から飛んで読むこともできます。

3年前の情報且つかなり長く濃い内容ですが、当時を思い出して心を込めて綴りました。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

日本を離れた理由

さかのぼること2016年、母と横浜に旅行に行きました。宿泊したのは桜木町のビジネスホテル。フロントには日本人だけではなくいろんな国籍のスタッフがいました。チェックインをしている私の横で、電話を取った日本人スタッフがいきなり流暢な英語を話しはじめました。当時22歳だった私は大きなショックを受けると同時に、2020年の自分の姿を想像したのです。

「私は2020年東京オリンピックの時、どこで何をしているのだろう」

高校を卒業してすぐ地元のクラシックホテルで働き、19歳でベルスタッフからフロントに課内異動になってからは流石にやらなきゃな〜と思い毎月3万円ほどの授業料を払ってA●ONに通いながら(今考えるとめっちゃ無駄・・・)ぬくぬく英語を勉強していました。勉強し始めた頃は、カウンターの向こうからやってくる海外ゲストにビビりまくり、横でペラペラなスタッフがいるとすぐに代わってもらっていた状態。私は英語を話すことがとても怖かったのです。駅で困ってそうな海外の方がいると、自ら話しかけて道案内する今の私からは、とても想像がつきません笑 

2020年の自分・・・まだ長崎にいるのだろうか。いや、横浜のホテルで見た超かっこいいホテルマンのお兄さんみたいに私もなりたい!東京オリンピックが開催される頃には英語を駆使して、日本を訪れる世界中の方から頼られる存在になりたい!!!!!!

(2020年の私)から(2016年の私)を引き算して足りなかったものは

英語力  /  度胸  /   自信 /   ホテルマンとしての経験

”2020年までになりたい自分になるために、一回海外のホテルを自分の眼で見てみたい” これが私がワーキングホリデービザを取得し、日本を離れた理由です。



なぜニュージーランドなのか

よく聞かれます。

結論から言うと、学費が安かったからです。笑 夢も希望もないですが、これが現実。

「留学」「海外生活」なんて、自分には無縁だと思っていました。だけどあの時の自分にはどうしてもこの経験が必要でした。当時の私は5年間実家暮らしだったのにも関わらず、海外渡航のためのまとまった貯金もなし。情けないですが、愛車を売ってやっとの見積もりでした。

右も左もわからず、福岡のワーホリエージェントに資料請求。後から考えれば一から自分で手配すればかなり節約できるしいい経験にもなります。でもその時はとりあえず何もかもわからず不安でエージェントに頼るしかありませんでした。

コーディネーターの方からオススメされたNZは「学費が安い」「国民性が温厚」「日本と少し似ている」「自然が豊か」「コーヒーとワインが美味しい」というもの。

現地でエスプレッソマシーンを扱う専門学校もあるよ、と紹介されコーヒーが大好きな私はNZに即決。少し高いコースだったけど、5年間頑張って働いてきた自分へのご褒美として通常の語学学校に加えバリスタコースも一緒に申し込みをしました。


NZ生活を充実させるための5つのライフハック

実際に生活して感じたことをシェアします。これから渡航する方に向けてまとめました。

①使えるNZのサイト・アプリ

私のワーホリルール:「職探し・家探しは英語ですること」

これが一番こだわった点です。一度学校のテストでReadingが60点だったため進級テストに不合格になり、とても悔しい思いをしたことがありました。日本語でも資料を読むことが苦手で、英語でもそれが顕著にあらわれていました。イギリス人の先生に「新聞を読むといいよ」と言われましたがそもそも興味がないものを無理やりやろうとしても続かないタイプです。

悔しかったので、職探しと家探しを英語でして、少しでも英語に慣れようとしました。これはめっちゃおすすめ。 次のReadingテストで満点を取りました。

Kiwiが使うサイトを使っていくうちに、知らず知らずのうちに英語を読むことに慣れて、おまけに文章を作成するWritingの力も上がり、知らない人に「Viewing(家の内覧)させてくんない?いつ空いてる?」とメッセージを送ったり話しかける度胸もついていました。時には日本人コミュニティのサイトに頼ることも大事ですが、まずは現地の人たちが愛用しているサイトやアプリで英語になれることをお勧めします。以下、私のお勧めサイトです。

● trade me (トレード ミー・英語版) ずっとみてました。笑  家、仕事、不用品までいろんなものの掲示板のようなサイトです。私はこれで、仕事・家・iPhoneをゲットしました。 全部英語ですが、英語になれるためにもこのサイトもしくはNZのSIMがあればアプリもあるので閲覧をお勧めします。

● SEEK(シーク・英語版)  これもずっとみてました。日本でいうマイナビのようなサイトです。これもアプリをゲットしてCV登録してください。自分にあった条件の職場を簡単に見つけられることができます。

● Facebookのグループ オークランドではFlatmates Wanted、ウェリントンではFAM (Flatmates And More)。 FamilyのFAMとかけてるところがKiwiらしくて好きです。他にもウェリントンではVIC deal というグループがあってVictoria Uni 大学生のためのグループなのかな? でも色々売りに出されてたりフラットの募集もあってよく見てました。余談ですが当時はNZではFacebookとSnapchat、音楽サービスはSpotifyをやってる人が多い気がしました。連絡はほとんどテキスト(SMS)かFacebook Messennger。LINEは日本の友達や家族とだけ使ってました。

● ニュージーランド大好き(日本語) trade meの日本語バージョンのようなものです。現地に住む日本人との交流ができます。

● Jandals life(ジャンダルズライフ・日本語) 帰国後に見つけたサイトです。いろんなTipsを紹介してくれるこういうサイトが渡航前にあれば本当に良かったのに・・・と思います。新しい情報も載っているようですのでこれから行かれる方はぜひ!


② 運転免許は現地で取得する

声を大にして言いたい。 「絶対に日本で国際免許を取らないで!!」

私はペーパーで運転しないから・・・と思っている方、それでもNZで運転免許取ってた方がいいです。NZではお酒の提供・購入がとても厳しくバーやクラブ、お酒を提供しているレストランに立ち入る時は必ずIDの提示を求められます。その度にパスポートを携帯するのは大変で、なくすリスクもあります。日本で海外免許を発行して現地で運転する時は、パスポート+でっかい免許みたいな紙を携帯する必要があります。正直・・・だるい。NZは日本と同じ右ハンドル。交通ルールもほとんど違いはありません。ロータリーさえ克服すれば簡単に運転することができます。走っているのはほとんど日本車。TOYOTAって本当にすごいですね。Uberはほとんどプリウスでした。

とにかく、ID提示のとき現地の人と同じように免許をスッって出したらかっこよくないですか?笑

渡航前に日本の免許センターなんかに行かず、オークランドのでっかいAIGビルの中にある日本総領事館とスカイツリーの隣にある黄色の看板のAAに行ってください。

日本の自動車免許証を保持し、取得後2年以上経過している方はニュージーランドの免許証を取得する時、筆記と実技試験が免除されます。= 日本の免許を持っていて書類さえ揃えれば、簡単にKiwiと同じ免許がゲットできるということ。大きなパスポートも、でっかい紙の国際免許証など携帯する必要がないのです。

私が持っている免許は10年間有効です。免許は到着してすぐ取得したのでそこまで英語喋れなかったけど問題なく取れましたよ。写真もAAで撮ってくれます。


③持っていかなくてよかったもの

「持って行った方がいいもの」はよく見かけるので、ここでは持って行って後悔したものランキングを紹介しますね。笑

第1位 電子辞書 (学校に辞書は必ずある。使わん。まずそのうち日本語で調べることはしなくなる。てか携帯ある。重い。いらない。持って行ってもスーツケースで寝かせることになる。)

第2位 重たいPC  (ケチってバッテリーが重たい壊れかけのノートPCを持って行ってしまいました。経済的に余裕ある人はとにかく軽いものを買い替えて持って行った方がいい。身軽なのが一番。ワーホリする人はノートPCは必須。調べ物だけではなくCV(履歴書)作ったり送ったりできるから必ず持っていくべき。)

第3位 画質の悪いのスマホ (これもケチりました。カメラも持って行ってよかったけど、やはりスマホですぐに写真を撮れるのは大きい。)


④ Youtube チャンネル開設!

NZだけではなくこれから海外行く人、動画撮った方がいいです。これはマスト。私だったら海外行けない今のうちに動画編集のスキル身につけて、渡航初日からVlog作ります。海外でサバイブした証拠にもなるし、渡航前の誰かの貴重な情報源になります。

またまた余談ですが、私は渡航前NZで暮らしている日本人の方にInstagramのDMを送りまくって情報を集めていました。だから情報がどれだけ貴重かがわかります。現地の様子が渡航前に動画で見れたら素敵ですよね。確かに、自分を日本語環境に置かないことは大事です。だけど日本人の友達をむやみに作らない!というのとは違うと思います。現地で出会った日本人のお友達は今でも連絡を取り合う仲だし、やはり同じ日本人にしかわからない悩みもあります。私はたくさん助けてもらったし心の支えになりました。(NZで出会ったみなさん本当にありがとうございます!)


⑤絶対に恋しくなる日本食。だけど・・・

オークランドならジャパニーズマートあるのである程度のものは買えます。高いけど。スーツケースに無理やり詰め込む必要はありません。めちゃめちゃローカルなものでこれがないと自分はダメだ・・・ってやつはスーツケースに忍び込ませた方がいいかもしれませんね。私は九州の刺身醤油を持って行きました笑

以下好きでよく行ってたジャパレス(日本食レストラン)とジャパマ(ジャパニーズマート)です。これから渡航の方はGoogle map 要保存だよ!笑

◆オークランド編

Yoshizawa    まじ神。オアシス。まずメニューが豊富。そして美味しい。Queen St.のスタバの先の坂をちょっと上がったところにあります。日本食恋しくなったら駆け込んでたなぁ・・・他にもオークランドにはジャパレスはたくさんあるけど、日本人の方がオーナーさんだったから優しい味がしてホッとしたのを覚えています。

Japanese mart city central Queen St. ちょっと曲がったところにあるジャパマです。食べ物だけじゃなくて日用品もありました。基本保存がきくものが販売されています。野菜などの生鮮食品は売ってなかったけどお菓子類もたくさんあってアジア系の方ばかりじゃなくて日本ラブなKiwiも多かった気がします。

Lim Chhour   Kロードにあります。Kロードはちょっと怪しい雰囲気のお店多めだったけどここはハマってフラットメイトとよく行ってました。ジャパマというか主に中国系?の食材があってcountdownやnewworld、packn'save(NZのメジャーなスーパー)には売ってない野菜やお肉の生鮮食品がたくさん売ってあってテーマパークみたいです。多国籍のオークランドなのでいろんな国の食材が楽しめるのも魅力的でした。入り口がフードコートになっててわかりづらいですが、中は広いですよ。

◆ウェリントン編

Tatsushi Japanese restaurant  日本人が少ないウェリントンで貴重なお店。人気で大きいお店に移転してました。海鮮丼、とても美味しかったです。

Haere mai  ウェリントンは、本当にジャパマがなかった。ここは韓国の商品の中にちょっと日本のものがあるって感じでした。食材はcountdownと毎週日曜日早朝にウェリントンの至る所で開催されるファーマーズマーケットで買っていたのでジャパマはあまり行かなかったです。


語学学校とバリスタコース

オークランド Queen St.にある語学学校に3ケ月通いました。初日に入学テストを受けて振り分けられたのはPre-intermidiate。初日に「Can't」の発音をイギリス人の先生に直された。これまで中学校からアメリカ英語の「キャーント」で来たから、え。ってなったけどNZでは「カーント」。NZはイギリス英語の発音なんですね。すぐに慣れましたがバスの表記も「Centre」。シアターも「Theatre」。

仕事をゲットするまではmorning classに通っていてクラスメイトはアジア系が多かった。仕事をするようになってからはevening classに変更してもらってクラスもintermidiateになって、どちらかというとアダルトな感じで年上の南米系のクラスメイトが多くなった。私には夜のコースがあっていた気がします。みんなよく喋るし、授業終わりの飲み会も楽しかった。

7:30 仕事行く→ 16:30仕事終わる→17:00授業→21:00授業終わる→🍺という生活を繰り返し毎日超ハードスケジュールな生活を送っていました。先のことを心配する時間もなく、「今を生きてる」って感じでとても楽しかったです。

ワーホリする人は学校行かない人もいるけど、私は自分の英語に自信がなかったので行ってよかったと思ってます。何より世界中にお友達ができてすごく嬉しかった。

渡航前に申し込んだバリスタの学校も、座学、実技ともに英語(当たり前ですが)でも先生は日本人の先生でした!コーヒー豆のことからエスプレッソマシーンの使い方、お手入れの仕方まで。実技では実際にコーヒーを作ります。なかなかハードでしたが、いい経験になりました。


家 〜引越し7回〜

NZの生活様式はほとんど「フラット」と呼ばれるもので1つの家を誰かとシェアします。一緒に住んでいる人を「フラットメイト」と呼びます。日本のような一人暮らしはかなり稀です。

もちろん私もフラットに住んだのですが、日本人の方と一緒に住んでしまうと甘えてしまい、自分の性格上日本語しか話さなくなると思ったので、日本人の家探しサイトは使いませんでした。NZで一緒に住んだ方は、ニュージーランド人、イラン人、中国人、韓国人、インド人、イギリス人。食器の洗い方、シャワーやトイレの使い方、全っっっっっ然違います。時には衝突もありました。だけど毎日がとても刺激的で、日本にいると絶対に味わうことができない体験ができたと思います。

<家探し> フラットメイトを募集している(=部屋が空いているから住む人を募集している)人は主にオンラインで募集していることが多いです。先述のTrade meやFacebookのグループで気に入った物件と一緒に住みたいな〜と思った人を探します。そこにはRent(週にかかる家賃、日本は月額ですがNZでは週で支払います)とBond(敷金みたいなもので退去する時に戻ってきます)、部屋の写真、現在のフラットメイトについて(こういう人が住んでてこういう人を募集します的な)、立地などが載っています。

私はNZで計7回引っ越ししました。笑

私を初めて迎えてくれたホームステイ先はマオリ(NZの先住民)の家系で、到着したその日から優しく迎えてくれました。今ではNZのお母さんのような存在で、このファミリーを紹介してくれただけでもワーホリエージェントにお願いしてよかったと思います。Speakingが上達したのは、ワイン片手に、私に話したいだけ話させてくれたホストマザーのおかげかもしれません。(毎日一緒に3時間呑んでました🍷)

ホストファミリーの家から出てからはCityのフラットに住みました。同じクラスだった韓国人のお友達と住んだフラットが一番楽しかったです。ミュージカル専攻だった彼女と一緒にダンスのスタジオに通ったり一緒に旅行したりして、帰国後も日本に会いに来てくれました。私は彼女にご飯を作り、彼女は私に口紅の塗り方を教えてくれました。かけがえのない時間でした。


ウェリントンでは誰も知らなかったので、完全にまっさらなところから始めました。もう色々波乱万丈すぎて何から書けばいいのかわかりません。笑 途中で住んでた家を出て行くことになり、職場のマネージャーの家に1ヶ月居候させてもらったこともありました。

「お家が見つかるまでずっと住んでいいんだよ。5年でもいいよ。私はずっと彼氏のうちに泊まるから。Visa?私が移民局に行って戦ってくるから、saiはずっとWellyにいて!」

彼女だけではなく、みんなこんなことを言ってくれます。この街を好きにならない訳がありません。


仕事 〜可能性を信じてもらえるということ〜


話はオークランドに戻ります。

現地には日本人経営のレストランやショップもあります。だけど私のワーホリの目的は海外のホテルで働くこと。他には興味がなく職探しもホテルに絞っていました。学校がない日はCityのホテルの偵察に行き、フロントやロビーの様子を見てました。(今考えるとかなり怪しかったと思います)

できれば、最初は今までに挑戦したことがなかったハウスキーピングをやってみたかった。客室清掃をすればホテルの真髄が見れると思ったからです。

<職探し> NZではCV(顔写真なしの履歴書)とCover Letterと呼ばれるCVよりも熱意とやる気を表すお手紙のようなもの 2つセットを提出し志願します。語学学校に通っていた私は、CVを先生に添削してもらったり、英語が得意な友達に見てもらったりしていました。大きく分けて、この2セットを直接手渡しで配りまくるやり方と、日本でいうマイナビみたいなサイトでアプライするやり方があります。私はいくつか転職サイトのようなアプリを使ってオンラインでアプライしまくっていました。CVとCover Letterが気に入ってもらえれば面接にこぎつけます。

私のNZでの職務経歴は【オークランド】ハウスキーピング(5ヶ月)→【ウェリントン】フロント(4ヶ月)です。

<ハウスキーピング in オークランド>

後から知ったのですが、オークランドで一番大きなホテルで働いてました。スタッフの国籍はNZ、インド、フィジー、サモア、ネパール、インドネシア、韓国、日本・・・と様々。1日一人16部屋。まるで軍隊のようでした。

私はポンコツで16部屋のノルマをずっとクリアできませんでした。1部屋30分で仕上げなきゃいけない。到底無理。5ヶ月いましたが、ずっとTrainee(研修生)バッチでした。

毎日スーパーバイザーからフロアで「sai〜〜〜〜!」とキレられる毎日。時間とスーパーバイザーに追われる日々。気づいたら足はあざだあらけ、7kg痩せてました。

重たいトロリーを動かして、壊れかけのバキュームを一生懸命動かしながら思ったことは「やっぱりロビーに戻りたい」ということでした。ハウスキーピングもとても勉強になりました。だけどやっぱり英語をもっと話したかった。

そこでHR(人事)の人に直談判。「ポーター(ベル係)かフロントに異動したいです。ロビーで働かせてください。」そこからフロントのマネージャー2人と面接にこぎつけ、結果を待って1ヶ月。(Kiwiは基本Lazyです)結果はNO。電話で「Your English is not enough.」とはっきり言われました。自分でも気づいていましたが、当時私の英語はオークランドで一番大きいホテルのフロントには不十分でした。

めちゃめちゃ悔しかった。でもこんなことでメソメソしてはいられませんでした。このままじゃ日本に帰れないと思いました。すぐにオークランドの他のホテルで働き口を探しましたが、オークランドで希望のフロントの働き口を見つけることはできませんでした。

オークランドには友達、家、すべてが揃っているけど、私がやりたいことはここにないと思いました。NZで暮らして半年、オークランドを一人で出ることにしました。不安が90%、ワクワクが10%の気持ちで夜行バスに乗ったのを昨日のように覚えています。


<フロントレセプション in ウェリントン>

ウェリントンはオークランドと違って、私の周りにはアジア人よりKiwiやイギリス人やフランス人の方が多かったです。とても小さい街だけど、美味しいFlatwhitie(ラテのようなコーヒー)を飲むことができるコーヒースタンドや、JazzやFankのコンサートを聴くことができるバーやクラブがたくさんありました。通りも綺麗でオークランドにたくさんいたホームレスも少なめ。

私が目標としていたフロントレセプションの仕事をゲットできたのは、Cityの中心から5分ほど歩いたLampton  Quayというストリートにあるシティホテルでした。

CVのアプライから面接、内定をいただくまでわずか5時間ほど。何かのご縁だったのか、トントン話が進みました。

面接で印象的だったのは、私の話をしっかり聞いてくれたこと。目標だったフロントのお仕事をいただいたとき、自分の可能性を信じてくれる方がいるということはどれだけ幸せなことだろうと思いました。チャンスを与えてくれたホテルの支配人には、感謝してもしきれません。

そのホテルの仕事仲間は本当に愉快で、私が英語がうまく話せず凹んでいた時も「saiは私たちの英語のジョークがわかるから大丈夫だよ」と励ましてくれました。ゲイのナイトマネージャとは毎日「Good morning my sister〜〜!」とハグされることから始まります。彼に会いたくてたまりません。

ホテルには観光目的のお客様も多かったですが、近くに国会議事堂があったのでスーツ姿のお客様もいました。時々日本人のお客様も来てくださって本当に嬉しかったです。

ハウスキーピングでもらえなかった自分の名札も、ついにもらえました。涙が出るほど嬉しかった。

最終日まで、本当に毎日楽しくチェックインしてました。

「あなた、日本人でしょ。私わかるの。手先の美しい動きでね。日本大好きよ。」

こんなことを言ってくれたオーストラリア人のマダムもいました。


今も同じフロントレセプションの仕事をしていますが、この時の経験があるから、こうして東京で好きなことができていると思っています。オークランドで面接に落ちた時にあのままの現状に妥協していたら、そのまま帰国していたら、今の私は絶対にいません。


帰国後の私とこれからの私

まず、ここまでまとまりのない文章を読んでいただき本当にありがとうございました。

noteの中でも書きましたが、私はNZでたくさんの人に助けてもらうという経験をしました。私もこのnoteで誰かの力になれたり、何かのきっかけになれたりしてたら嬉しいです。もし他に何かお手伝いできそうなことがあれば、インスタグラムからDMください。


現在は上京して、都内のホテルで勤務しています。今の会社には、NZ滞在中にお声をかけていただきました。ここでもまた、可能性を信じていただきチャンスをもらいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

2021年、今となっては海外からのお客様の対応をすることはめっきり減ってしまいましたが、ラグビーW杯が開催された2019年は毎日英語でチェックインする日々が続きました。まだ英語を話すことが怖かった、2016年の私が憧れた横浜のホテルマンの姿にちょっとだけ近づけた気がします。

帰国してからは英語のPodcastを聞いたり、オンラインの授業を受けたり、もしかしたら語学学校に通っていた時よりも熱心に英語に触れようとしているかもしれません。笑

まだまだ分からない単語も多いし、自分の伝えたいことがうまく言語化できず悔しい思いをすることも多々あります。先が見えない毎日ですが、この状況が少しでもいい方向に向かって、またたくさんの海外の方が日本に訪れてくれる日がいつ来てもいいように、今はしっかりと準備をしたいです。

逆風が吹き荒れているホテル業ですが、今できることを一生懸命。

前向きに頑張ります。

She'll be right!  (ま、大丈夫やろ!)


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