私の前世は中国人。1995年の日本の空気を味わいに。

こんなことを言ったら、頭のおかしいやつだと思われるだろうけれど、私は自分の前世を中国人だと思っている。
幼い頃から中国への漠然とした憧れがあって、父が中国出張のエキゾチックなお土産に3歳の私はその頃言葉もしらなかった”郷愁”を感じていた。

高校生で衝撃的な映画に出会った。
中国の最後の皇帝を描いた映画「ラストエンペラー」と、文化大革命に翻弄される京劇の役者を描いた「さらばわが愛覇王別姫」だ。

中国近代史映画を見て「こんなことが中国に・・・」と衝撃を受けた。
そして映画に出てくる赤い実の果物、サンザシを欲しがる女子高生だった。
その頃は2005年。テレビでは段ボール肉まんや空気汚染の激しい北京の様子がテレビで流れるたびに「なんだか私の知ってる中国じゃない……」という気さえしていた。
元から思い込みの激しい性格だから余計に、「前世が中国人」と一度思い込んでからはもうずっと中国へ憧れと懐かしみを持ち続けている。
(あと、腕に漢民線と呼ばれる線があったり、誕生日が中華人民共和国の国慶節だったり、勝手に結びつけてる)

そんな私が中国大陸へ足を踏み入れたのはつい最近。
2018年の3月のこと。上海。
私の頭の中にあった中国と、高度経済成長を遂げている今の中国は全く違って、全てが衝撃だった。
初めての中国はただただ都会だった。東京よりも整備された真新しい都会。治安は良い、人も良い街に匂いもない。黄砂は飛んでいるが。路上喫煙OK。
男の子はみんなSuchmosのヨンスみたいな髪型をしてた。背が高くて首が長くて顎がシュッとしてる。目も。
女の子は黒髪で長くて色が白い。背も高い。
赤い服を着ている子が多くて、赤色は縁起の良い色だかららしい。
顔も背もスラットした中国娘を見ていると、背が低くて顔が丸いのは日本人の特徴なんだなと思う。

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私が日本人と知って「日本文化が好き」と声をかけてくれた若い男の子と連絡先を交換する場面で、反射的にLINEの画面を出した私に、
「Wechat持ってる?Weiboでも。」
と言われ、彼らにはLINEもTwitterもないことに気づかされた。
もちろん、FacebookもInstagramも。
日本なら(海外でも)それらのどれかさえ交換できれば、延々と繋がることができるのに。
中国の若者と繋がるには、その中国IT文化に入らないと繋がることすらできないのだ。
Wechatは普通の日本人は持ってないよ!と思いながら、その場でインストールをした。
表面上、すごく自由で都会的に見えるのに。インターネットの中は鎖国だ。
made in chinaではないSNSを知ってしまっている私にとっては、その閉塞感は異常だ。それらのアプリでは国にとって不都合な情報も入ってこないようになっている。
現地の子も、InstagramもTwitterも知っている。でもそれは特に大きな問題じゃないのではないかとも思える。
同じ国の人と繋がれたらそれで不都合はない。日本だって、日本人同士としかコミュニケーションをとらない人はたくさんいる。
私だってそうだ。
上海には、ロリータを着る男の子も、セーラー服のコスプレで写真を撮る女の子も、NARUTOみたいな金髪の髪色をした男の子もいた。着物を羽織った女性もいた。自由だ。
日本の何倍も広大な広大な敷地の中国は、ただ一つ、世界に広がるインターネットの情報だけは受け取れない。
日本で生まれてインターネット時代を生きてきた私にとって、それがとても奇妙だった。

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私は、今の中国と1995年〜1999年の日本の若者はすごく似ていると思う。
岡崎京子がリバーズエッジで描いたような、なんでもあるのになんにもない、すごく退屈。という感覚。

あの頃、日本のバブルはとっくに崩壊し、未来に夢を描けなくなった若者は、エヴァンゲリオンの碇シンジに共感し、女子高生は援助交際で身体を売り、1999年のノストラダムスの大予言を信じて終わり行く終末観に身を委ねていた。
そんな時代が、世紀末の日本だった。
今の中国も一時期のバブルが弾け出し、若者は裕福を謳歌した反面、もう頑張っても抗えない格差に気づいている。
”脱力・chillout”を意味する「喪」という言葉が流行り、未来への夢を見ない若者も増えていると聞く。
あの頃の日本も、きっとそんな空気だった。そして2000年代に入りその空気はインターネット文化によって少しづつ霞められていった。
今の中国とあの頃の日本が決定的に違うのは、スマホがあるということ。ITが発展しまくっているということ。

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1990年に生まれた私は、バブルを知らない大人になった。
今の中国にあるのは、私が知らない高度経済成長期の空気。
前向きで、希望に満ちて、余裕のある街の空気。
おじさんが道端で上裸で寝てたり、おばさんが大声で商売をしてたり、見たことない異国の空気。でもなんだか明るい未来を見ているようで。
すれ違ったおじさんが歌をうたいながら自転車に乗ってるのを見て、なんだかすごくすごく羨ましくて泣けた。
こんなに前向きな時代が、日本にもかつてあったのだと、そしてバブル以降に生まれた私たちにはもう二度と体感できない時代の空気なのかもしれない、と思って泣いた。

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そしてその先には、なにがあるのだろうか。
バブル崩壊の先に、しわ寄せがくる若者たちは何を想像するのか。
そして、脱力する若者の時代も過ぎ去った日本は、この先の未来にどんな夢を見るのだろう。見る夢なんて、あるのか?

高度経済成長を生きた大人たちを煽るメディアのコピーライトは「逃げ切れる世代ですか?」。本当に馬鹿げている。
逃げ切ることを前提にした・未来を生きる若者たちなんて知りもしない、そんな無責任な社会を私たちは変えないといけないんだ。

どんなに崩壊しても。未来がないと囁かれても。
それでも若者たちは夢を見る。

(2018年ごろに書いたものを加筆修正したので空気感がコロナ以前です)

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