何かを演じながら生きていく

佐原です。

「生きる」と「演技」というのは紙一重だと思っている。
誰もが常日頃から演技をしている考える。

演じるというのを意識することで事が上手く運ばれることが多くなった。

最初にこう思ったのは学生時代の飲食店アルバイトでのことだ。
初めてのバイトということもあり私が接客して店の評判は下がらないかな?ちゃんと出来ているかな?と始めの頃は思っていたものの、あるとき「ウェイターなりきれば良いんだ!」と振り切った。
店員さんってこんな感じだよな〜というのを考えながら接客していた経験がある。
これがわりと上手くいき、店員さんごっこをしながらゲームのようにタスクをこなすアルバイトは結構楽しかった。

今の職場だと「愚直で熱心な明るい新人」役。
仕事なんて面倒だし辞めてえなあ〜と毎日思っているが、上司と話している時に「今の仕事楽しいです!新しい業務もっとしたいです!」と目を輝かせているふりをしている時とか我ながら女優だなと思う。
(この嘘のせいでめちゃくちゃ面倒臭い業務振られて今大変なことになっているが。)
この事を意識するようになり、「どういう行動をとるべきか」=「愚直で熱心な明るい新人ならどう行動するか」に置き換えて考えることができ、自分の仕事に対する姿勢の是非を客観視できるようになった。
実際に上司からも「前向き」「積極的」など意図している評価を貰っている。

ここで、「愚直で熱心な明るい新人」というのは私が考える”求められている人物像”である。
いくら演技すると言っても自分の能力以上の何者かにはなれないので、自分が出来る無理の無い範囲内で求められる能力を探した結果だ。

一方、私生活では「なりたい自分」を演じることで、自己肯定感や自尊心が養われると思う。
私は1人で居るときまで演技すると疲れるのでやらないけどね。
「理系で読書家ってかっこよくない?!」という動機で哲学書を買ってことごとく失敗した過去もあり。

この演技の役は多いほど良いんじゃないかなと思う。
職場でも部署だとこの役、同期内だとこの役、大学の友達はこの役で高校の友達はこの役、という風に細分化というか。
細かく分けて考えられるというのはそれだけ求められる事を敏感に察知出来ているということだと思うので。
蛇足だが、役の”幅”は狭くという事は忘れてはいけない。
役の幅が広くなると自分を見失うというか、それは自分ではないので。

最後に。
分かってても出来ない時や役を演じていても上手くいかない事なんて沢山あるが、今は演技というフィルターを通して生きることで楽になっている。
上手く生きる方法、見つかると良いな。

佐原でした。

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