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気にしなくていい、って楽だね SNS断ちと裸眼サウナについて

最近SNSを辞めてみた。毎週Instagramのストーリーに投稿、いいねが付けば嬉しいけど、何も反応がないとモヤモヤ。友人のポストを見ては、自分の知らないところで楽しそうなことが起きていること・ライフステージの違いに敗北感があったり、ストレスを感じている自分がいることに気がついた。


何故休みに仕事でも無いことでストレス溜めなきゃいけないのか、人が何をしてようが自分の人生に影響しないし、自分のプライベートを不特定多数に晒すことの不健全さが気になったのだ。


試しに1週間投稿しない期間を設けた結果、あれ?意外とイケる、というより気楽かも!と気がついた。次はアプリを消してSNSを見ること自体も辞めてみた。すると、休みに撮れ高や見栄を張らなくて済むようになった。そもそも誰に見栄を張る必要あったんだろう? 子ども放置して遊んでいると思われないかな、と無駄なことで悩んでいたと気がつく。投稿している部分って一日の1割にも満たないの上澄・自由な時間な訳で、後の9割は雑事や子供に振り回されて髪振り乱しているのだから..(不思議なことに9割の日常は投稿しようと思わないよね)


SNSとは別に、気にしなくて良いことで自分が楽になったことがあった。私はサウナが好きでよく通うが、狭いサウナ室で他の人の表情や、目上の方(銭湯の主)を気にして疲れてしまうことがあった。だが、コンタクトをしないで行ってみたところ、私の視力は0.1も無い位に悪いため、ぼんやりして人の表情がわからず、整うことに集中できていつもの数倍リフレッシュ出来た。

見過ぎのSNSも、周りの表情を小差に見るのも、しなくてもいいことで摩耗していたのかと驚いた。捨てていくことでストレスが減った。これが楽しい、自分の人生を良くしてくれる、と思った結果、気がつけば重荷になっていた、そんなことありませんか?

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