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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 六章 2話 いつかの次のアイスクリーム

2話 いつかの次のアイスクリーム

 耳元が騒々しかった。おまけに頬のあたりがパチパチと鬱陶しい。
 これほど深く眠れたのは、ずいぶん久しいことだ。もうひと眠りしたいのに、アイスは目を覚まさざるをえなかった。
 蛍光灯の白いあかりが目に沁みる。まぶしくて細めた目に、こちらを覗き込む顔がうつった。一人、二人ではない。うかんだ疑問を口にした。
「なに、このカオスな面子は」 
 怜佳とミオ、そのすぐ後ろにグウィンがいるのはわかる。
「どうして一太……十二村? なんでここにいるの?」
 十二村が泣いているような笑みをうかべて答えにする。誤解されやすいが、これが十二村のほっとしている笑み。
 一太が具体的に説明した。
「配管に引っかかってたあんたを十二村とおれで引き上げたんだぞ。まずは感謝の言葉をくれよ」
 永眠したのかと思えるほど、ぐっすり眠ったように感じたが、実際は四、五分だったようだ。魂が冥界の入口の門を叩いただけで、すぐに帰ってきた気分。
 つかまっている配管も意識も手放そうとしたとき、グウィンの声で我に返った。年金どうのの発言はともかく、グウィンの悲愴な声を聞いては堕ちるわけにはいかなくなった。
 ——あたしがメンテナンスした身体だよ! 一時間ぐらい鼻歌まじりでしがみついていられるって証明してみせて!
 そんなには無理。
 しかし、グウィンの目の前で死ぬのは、はばかられた。たとえ見えなくても、周囲の空気で悟ってしまう。つらい記憶のある故国を離れてきたのに、ここでまた同じような体験をさせたくなかった。
 そこから先、一太や十二村に引き上げてもらった記憶がない。それぐらい最後の力まで出し尽くしたのだと思う。指一本動かすのも億劫なほど、身体が重くなっていた。
「とにかく、ありがとう。それはそうとして——」一太を見る。
「あたしを始末したいんじゃなかったの? スタンス変更のわけは?」
「私情もあって、その……説明すると長くなる」
「そんなこと、あとでいいでしょ、場所をあけて!」
 話が終わるのを待っていたが、痺れが切れたといった様子のグウィンが前に出てくる。一太を雑に追いやり、そばにひざまずいた。
 頭の先から順に手で触れていく。シャツの下にまで手を潜り込ませ、足先まで確かめていった。
「よかった……」安堵の色を浮かべて脱力した。
「右肩の脱臼、再発したね。左肩も腫れてる。第1、2肋骨に違和感があるからドクターに診てもらって。左下腿部の状態もよくないけど、これはいつもどおりではあるからいいとして」
「全然いい容態には聞こえないんだけど?」
「あたしの頭をよぎった最悪にならなかったから『よかった』なの」
 ひとに心配してもらうというのは、少し面映い。


 床に横たわったまま、アイスが室内に視線をめぐらせた。
 つねに状況を把握する習癖になっているのだと一太は思う。訊かれるまえに答えた。
「ランドリールームだ。運が強いな。つかまっていた配管のそばが客室だったら、保たなかったかも」
「だね。鍵を開けてもらってるあいだに、待ちきれずに堕っこちてそう」
「安普請のドアでも、壊すとなると相応の時間がかかるし」
「そこまでしてくれる理由は?」
「その前に、おれのことはどうなんだ。説明しろ、チェ」
 十二村が割り込んで訊いてきた。
「アインスレーの潜伏場所をふせていたおれを裏切り者として処分しなかった。温情のつもりか?」
「殺してほしかったわけじゃないだろ。素直に喜んでおけよ」
「理由もわからないまま浮かれていられる呑気じゃない」
「センチメンタルになって仕事を忘れるやつなど、処分の手間をかけなくても自滅する」
「適当なことを——」
 十二村が続く言葉を呑み込んだ。苦い表情を少しだけやわらげる。
「そういうことにしておく。アインスレーを助けたのも、おまえにとっての合理的理由があるんだろうな」
 感傷的だと言った意趣返しをされた。
「ガキの頃、面倒みてもらってた。死ぬのをただ眺めているというのは、借りを残したままみたいで厭だっただけだ」
「なんか、わかるかも」
 ミオが、ぽつりともらした。
「受けた恩って、忘れられないっていうか、忘れたくないっていうか」
「あたしは一太の面倒みるなんて大層なことしてない」
「アインスレーおばさんは哀れに思ってくれてたんだろ? 母に連れられて<ABP倉庫>に行くと、いつも放っておかれてたからな」
 わざと自嘲的に返した。
「子どもがひとりでいたら気になるじゃない。甘いもの食べにいくと楽しそうな顔するから、あたしが安心したくて誘うようになったってだけだよ」
 そうして不意打ちの問いかけがきた。
「チョコミントのアイスクリームは、まだ好き?」
 一太は唖然となる。
「覚えてたのか……?」
 アイスの瞳に揶揄の色はなかった。ただ純粋に、いまもチョコミントアイスが好きなのかと訊いていた。
「え、あなたもチョコミント好きなの⁉︎」
 感じいる間もなくミオが食いついてきた。
「あ、ああ」いささか気圧されながら首を縦にふった。
「そんな嬉しいことなのか?」
 いい年をした男がアイスクリームとか奇妙に思わないのか、一太のほうが臆してしまう。
「まわりに好きな人がいないの。テンプレートな誤解を聞かされることなら多いけど」
「一太が気に入ってたアイスクリーム屋、下のフロアにまだあったよ。今度のぞいてみたら?」とアイス。
 実はすでに行っていた。すっかり白髪になった店長を見ると、流れた時間の長さを感じて、柄にもなく感慨深くなった。
「よかったら、また——」
「診療所に連絡がついた。スンさんっていう人が迎えにきてくれるって」
 アイスに言いかけた言葉は、戻ってきた怜佳の声にかき消された。
 思い出を追いかけてなんになる。一太は腕時計を確かめると、小声で皆につたえた。
「警察がくる頃合いだ。後始末はおれが引き受けるから、いまのうちに退散してくれ」


「一太ひとりで気負わなくていいんじゃない?」
 腹を決めた台詞は、怜佳が他人任せでよしとしなかった。
「〝保険〟が使えると思う。みんなで口裏あわせておこう」
 裏仕事にはノータッチだった怜佳だが、内情には多少なりとも通じていた。袖の下を入れている警部補を利用する提案に十二村がうなずいても、一太は反対する。
「別に犠牲的精神を発揮するわけじゃない。人数が増えるだけボロが出やすくなるし、おれひとりのほうが話をつくりやすい」
「証言は人数の多いほうが信憑性がでる」
 怜佳の反論に、
「あんたらの不利になるような証言は避ける。まったくなしにとは断言できないが、最大限配慮する。ここまでのおれの行動で信じろというほうが無理だろうが、実家の会社を爆発炎上させてまで敵の目を欺こうとする、大胆不敵なやつを敵にしたくないとだけは言っておく」
 そして自分で起こした火事とはいえ、怜佳は従業員を支えながら、大きな怪我もなく脱出してきた。荒っぽい手段を使いつつ、備えも充分な繊細さ。くわえて目的のためなら敵の懐に潜り込み、機をつくりだして喉元に噛みつく執念。ディオゴの二の舞は避けたい。
「あたしは一太に任せるよ。トリ真打ちを務めたいんでしょ?」
 最初に意を汲んだのはアイスだった。
「ただし共犯が必要になったら、あたしを使って。一太だけで全部かぶらなくていい」
 聡くて気遣いの人だ。こんなだから、ディオゴの隣では調整役を引き受けざるを得なくなったか。
「たださ、一太がそこまでやりたい訳は聞いておきたい」
 一太は姿勢をなおすと、創業者のひとりに懇願するように言った。
「佐藤アインスレーと麻生嶋ディオゴの組織をおれに潰させてほしい」
「アイスの前だけど……」怜佳が言いよどみながら続けた。
「わたしも感情的には<ABP倉庫>は潰れてほしいと思ってる。だけど、一太は本当にそれでいいの? ABPを一太の理想の組織につくりかえてやるのも、ディオゴと決別するひとつの方法だと思うよ」
 一太にとってもABPに思い入れはある。だが、
「おれはもうディオゴに関係するものすべてを過去のものにしたいと思ってる。
 販売ルートが潰れたダメージが回復しないうちにボスが死んだ。このうえ跡目争いでもめれば自滅するのは目に見えてる。ただ自分の区切りにするためには、この手で終わりにしなきゃ駄目なんだ」
「もしかして、捕まる気でいる?」
「それも区切りのひとつだ」
「……わかった」
 淡々と返すと、ようやく納得した様子になる。
「わたしは退場させてもらう。<オーシロ運送>でやらなきゃいけない……やりたいことがあるから」
 パイプ爆弾はすでに起爆部分を解体していた。脱いだパーカーに隠して持っている。
「わたしも一太の判断で巻き込んでくれてかまわない。危険物を扱った顛末は、これからずっと忘れない。捕まっても恨んだりしない」
 最終判断をあずけるつもりで一太はアイスに振りむいた。
「一太の好きにしたらいい。あたしが気になるのは、表仕事担当の前科持ちの社員」
 アイスが上体を起こそうとする。整体師の助けを借り、座りなおしてから続けた。
「足を洗ったとはいえ、真っ当な仕事を新しく見つけるのは難しい。切羽詰まって逆戻りしないのかだけが……ね」
「そこは、おれも考えた……」
<ABP倉庫>が潰れずにこれたのは、そういった従業員の奮闘の成果ともいえた。
 ギャンブラーな経営をするボスに、進んで従っていたわけではない。裏仕事に戻りたくない、就けるところが他にないから、生活のためのABPを守ろうとする者が少なくなかった。
 ディオゴに決定的ミスがないことに目をつぶり、尻拭いにも奔走してきた。そこまでして守ってきた<ABP倉庫>が潰されたとなれば、今度は一太が憎しい存在になる。
「自分たちだけで解決できないなら、まわりに頼ればいいじゃない」
 怜佳が軽い口調で投げてきた。
「従業員なら<オーシロ運送>で引き受けることもできるよ?」
 一太とアイスが注目する。
「ちょ……そんな熱い眼差しをそろって向けられても困る。小さい運送屋だから誰でも何人でもOKってわけじゃない」
「そのかわり、雇ってくれそうなとこに紹介はできる、とかは?」
「できるけど人数の保障まではないよ。オーシロが欲しいのは運転手、営業、事務。組み合わせ自由のかけもち歓迎。弱小だから、できること何でもやってほしい。
 低賃金職場の常套句、『家族的な職場環境』ぐらいしかアピールポイントないけど、そこに嘘はない。ほかを紹介するとしても、だいたいは似たような感じ」
 一太はアイスと声をそろえた。
「充分じゃないかな」


「……あれ? 訊いてもいい?」
 チョコミントアイスをのぞいて口を挟まないようにしていたミオだが、どうしても訊きたかった。
「怜佳さんの会社、火事でなくなったんじゃないの?」
「古い社屋が焼けたってだけで——あ、ごめん。言ってなかったね。もともと建て替える予定だったし、全焼させた建物には火災保険から……これって詐欺になる?」
「燃やしたあとで、そんなこと言ってて大丈夫なの?」
 怜佳が後見人であることに少しだけ不安をおぼえる。
「大雑把なことして会社つぶさないようにしなきゃね」
「話がまとまったところで撤収してくれ。お嬢さんもだ」
 やっと出会えたチョコミント仲間と別れるのが惜しい。次の機会につながりそうな要望を残した。
「今度、お気に入りのアイスクリーム屋おしえてね、イチタさん」
 そうしてアイスのそばで番犬みたいに座ったまま動こうとしない整体師を呼んだ。
「グウィン、行こう」
「あたしはアイスの——」
「大丈夫だから行って。処置がすんで落ち着いたら、またリハビリお願いする」
 アイスの言いようは、休ませる口実のようだった。
 グウィンが渋々といった感じで立ち上がる。怜佳に続いてランドリールームを出ると、ミオは訊いた。
「やっぱりアイスが心配? 治療さえ受けたら大丈夫なこと言ってても」
「怪我は大丈夫だろうけど……」
 そう言いつつ、足を止めそうな素振りをみせた。
 アイスの怪我を確かめたあとのグウィンは、安心したように見えた。ただしこれは最初のうちだけ。怜佳たちが話しているあいだ静かだったのは、会話に参加しなかったというより……
「何か気になることがあるの?」
「この感じをうまく説明できないんだけど……」
「さ、まずは乗って!」
 怜佳がエレベーターのドアを押さえながら促した。
 こんなときに限って早くくる。他の人も乗っている箱の中、グウィンは口を閉ざしてしまい、ミオは続きを聞くことができなかった。


 十二村も出ていき、一太は動けないアイスとふたりきりになる。
「あたしの潜伏場所、どこまでつかんでたの?」
「それは……」思い返すと、やっぱり悔しい。
「あと一歩まで」
「身体中が痛い。気を紛らわせたいから具体的に話して」
「なら、今日の晩メシは何がいい?」
「話をはぐらかすんならジョークのひとつでも言いなよ」
 ジョークを思いつくほうが難しかった。
「<オーシロ運送>が燃えたとき、おれは外から監視してた。そこから怜佳さんを追って<美園マンション>についた。フロアはわかったものの部屋を絞り込みきれなくて、いったんは引き上げてる」
「どの部屋か迷うとこまではいったんだ」
「怜佳さんが訪れた部屋から、クラシックがかすかにもれていた。ここかと思ったが、音楽だけでは断定できない。怜佳さんの協力者が、あなた以外にもいることも考えられた」
「あたしがクラシック聴いてるとか言ったことあったっけ」
「あなたの車に乗せてもらうと、音楽の授業でしか聴いたことがない曲がいつも流れてた。子どもながらクラシックなんて気取った金持ちのものだと思い込んでいたから覚えてる」
「あたしのイメージとは真逆だもんね。そこまでつかんでたのに、あとひと押し確かめなかったのは? フロントに金をつかませて聞き出すとか、やりようはあったはずなのに」 
 やろうとして、やめた。
 思い切れなくなっていた。どんな手段を使ってでもアイスの部屋をつきとめ、高須賀未央を奪って……そこから先の展望に期待が持てなくなっていた。
 気の迷いを起こしたかと思ったが、ディオゴの本心を確かめたいまとなっては、間違っていなかったといえる。
「おれも、あなたのことで聞いておきたいことがある」
「一太の答えを聞いてないけど、まあいいや。質問どうぞ。スリーサイズでも何でもおしえる」
「上から、八六、五七 八四だろ?」
「よく知ってたね」
 アイスが相手だと野卑なジョークが言えた。
「子どものおれにとって、あなたは気のいいおばさんだった。なのに、おれがでかくなるにつれ、人が変わったように素っ気なくなって戸惑った。何かあったのか? それとも、おれがやらかした?」
「あんたじゃない。原因はあたし自身。一太が大きくなるほど、一太との向き合い方に迷った。で、手っ取り早く距離をとった」
「子どもとの付き合いは、それほど迷うものなのか?」
 アイスがしばし考え込んだ。
「親しくなるのが怖かったんだと思う。あたしは家族とかいないじゃない? 近しい関係での経験がないうえに、自分の子どもでもない一太と親子ごっこみたいなことしてていいものか、わからなかった。相手が子どもでも他人でしかないんだから、適切な距離をとって、独り立ちのジャマしないほうがいいのかなあとか。
 ろくな人間関係しか経験がなかったから、最適解が見えてなかったんだよ。相談する相手もいなかった」
 真剣に向き合ってくれていた。だから、
「慎重になりすぎていた……?」
「そんな感じだと思う」
 一太も考え過ぎて、あらぬ方向へ走っていただけだった。ふたりしてクソ真面目が過ぎただけか。不意に、おかしさが込み上げてきた。
「なんだよ、それ」
 哀しみを含んだものではなかった。快活な笑い声をあげた。
「その反応じゃ、さっきの答えで合点がいってくれた?」
 笑い声しか出ない。一太は首を縦にふって答えにした。
「サトーさん、ここなの?」
 落ち着いた女性の声とともにドアが開いた。
「笑ってられないはずの状況なのに笑い声が聞こえるのは、やっぱりサトーさんよねえ」
「あたしは、どういうふうに思われてるの?」
 一太も診療所スタッフの顔は知っている。
「スンさん、ひとりなのか?」
 アイスが動けない状態であることは、呼んでくれた怜佳が伝えたはずだ。てっきり担架といったものを使って搬送するのだと思っていたが、来たのはスンひとりだった。
「往診で出払ってて人手がなくて。それに、サトーさんなら目立ちたくないって言うと思って」
「背負い搬送もやめてね。肩貸してもらったら歩ける」
「無理して悪化しないか?」
「甘やかさなくていいよ」苦く笑う。
「人間を壊す仕事してきて、自分のときだけ大事にされるっていうのも居心地悪い」
 アイスの左脇の下にもぐりこんだスンが、あっさり立ち上がらせた。スリムな小柄でも、看護師の筋力を備えていた。
 一太は、ランドリールームにいた痕跡を残していないことを確かめる。最後に部屋を出ると廊下でスンたちを追い越し、エレベーターボタンを押した。
「あと頼みます」
イッタ一太さんは来ないの? 処置が必要だと思うけど」
 目線でずぶ濡れのズボンをさした。
「すぐに冷やしたので大丈夫です。先に片付けないといけないこともあるので」
「ちゃんと経過観察して、水ぶくれができたら、すぐに受診してくださいね。ケアをいい加減にすると、あとが大変ですよ」
 笑顔をみせながら医療従事者の脅し文句を忘れなかった。
 エレベーターに乗り込みながらアイスが振りむいた。
「次に会ったとき、チョコミント・アイスクリーム食べいいこう。あ、社交辞令じゃないよ?」
「甘いもの苦手なくせに」
 苦笑いをそえて返した一太の言葉は、エレベータードアが閉まるまでには間に合った。
 アイスクリームデートの実現は、まだまだ先になる。それでもこの約束があるのなら、当座のつらさもしのいでいける。
 アイスなら約束を忘れない。
 一太は後始末のために、ひとり屋上へと向かった。これでやっと終わる——


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