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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 三章 2話 ルビコン川を渡れ

2話 ルビコン川を渡れ

 白杖持ちのくせに大口を叩くだけはある。
 浅野は、自分が手を出すまでもなく終わると思っていた。が、白杖がふたつに分かれたところで厭な予感に襲われた。こういった場面への用意があるということは、ケンカ慣れしているか、暴力で稼いでいたことがあるか。
 予測は正解だというように、素人でも新人でもない部下が一〇秒もたずに倒された。人質に使える高須賀未央までもが、俊敏にこちらとの距離を変え、捕まる愚を繰り返すまいとしている。
 浅野はさっさとすませるために本気を出す。スティックの切り返しの速さから、逆袈裟にくる動きはよんでいた。斜め後方にステップを踏んで一旦回避、すぐさま踏み出す。
 視力に問題があるのなら、コンパクトな動きは追えない。特殊警棒を上下左右に振るのではなく、打たれる側からは点でしか見えない動きで。
 真っ直ぐ突き出した。


 浅野の呼吸が変わった。
 シルエットの動きはさしてないのに間合いがなくなる感触。首のうしろの皮膚がヒュッと冷たくなる。
 突いてくる!
 グウィンはとっさに膝の力を抜いた。上体を逸らし気味に、カクリとひざまずく格好をとる。
 頭上のくうを特殊警棒が突き裂くのを感じながら、右のステッキを薙いだ。
 崩れた体勢のうえ、当たりをつけただけの流し打ちで威力が弱い。たたらを踏んだ浅野の足音はすぐ、しっかり地面を踏んだものに変わった。
 すぐさま間合いをとる。立ち上がる猶予はない。
 横方向に素早く転がった。
 地面を穿つ鈍い音。
 警棒を空振りさせた。が、立っている浅野が優位なままだ。力任せに特殊警棒を打ち下ろしてくる。片膝立ちのまま、ステッキをクロスさせて受ける。
 防御したものの圧倒的なパワーを受けて、ステッキを握る手が痺れた。
 感覚が手に集中した瞬刻で、グウィンは胸に蹴りを食らった。
 吹っ飛ばされた身体が後方に倒れ込む。頭を斜めに傾げて守る回転受け身で転がり、勢いを殺そうとする。
 地面にふれている身体に、一気に間合いをなくす振動がつたわってきた。
 浅野のとどめがくる——


 これで終わりだ。
 手こずらされた白杖使いにむかって、浅野は特殊警棒を鋭く振り下ろす。その身体が出し抜けに転倒した。
 膝裏に痛烈なショック、続けて特殊警棒を持つ手にも衝撃がくる。
 得物を飛ばした蹴りが、寸刻おかず顎にも入った。
 脳が揺れて視界がふらつく。そのまま額を鷲掴みにされ、頭から仰向けに押し倒される。後頭部で地面を強打させられた。
 上がった顎の下に、硬い感触があたる。
「ここで退いてくれないかな」
 佐藤アインスレーの飄々とした笑みが見下ろしていた。
 アイスの右手が浅野の顎の下にある。手にしている凶器は見えないが、抵抗しない一択につきた。といって、あっさり従うわけにはいかない。
「尻尾を巻いて逃げろと?」
「一時撤退だって、りっぱな戦略」
「脅しながら言われても」
「あたしが敵にまわってるの、驚かないんだね」
「おれが直接の指示を受けているのはチェ一太なのはご存知でしょう。そういうことです」
「やっぱり一太は運送屋爆破のとき居合わせてたか……っと、話をそらして悪かった。で、返事は?」
 顎の下の皮膚に鈍い痛みがはしる。
 黙ったままでいると、アイスの口元の笑みが深くなった。
「忠義をつくす部下の鏡になりたい? もう格好はついてるからいいでしょ? 一太なら『死んでもミオを取り返してこい』なんて無意味な命令はしないはずだし」
 双眸は笑ってはいない。顎の下に当たっている硬い感触が喉へと移動する。
「待て! 退く! 言うとおりにする!」
 拘束がゆるんだ。起き上がった浅野に、安っぽいボールペンを胸ポケットに戻しながらアイスがわびた。
「スーツを泥だらけにしちゃったね。でもそれで抵抗した説得力が増すよ」
 踏んだり蹴ったりだった。高須賀未央を拐いそこねた責任は、ばっくれた十二村に押し付けることにする。


 ラウンジスペースにいると思っていたミオの姿が消えたとき、アイスは探すまいとした。
 報酬が理由ではない。ミオに入れ込みすぎていた。注意に逆らっても美園を出たかったのだと、本人の意思を尊重したような言い訳を用意して、今さらながら離れようとした。
 ところがグウィンに指摘されてしまう。
「じゃあ、ここまでミオを護って連れてきたのは何だったの?」
「……報酬は返す」
「なに、その中途半端。受け取ったのはリスク承知のうえでしょ?」
「割に合わなくなった」
「ビジネスで通してるって言い張るなら、昔、あたしを怪我してまで助けてくれたのは何で?」
「グウィンのときのは単なる気まぐれで……」
「百歩譲って、あたしのときはそれでいいとしてあげる。けどミオの場合は、一度は受けた仕事だよ? それを考え直したからって途中で放り出すなんて、アイスプロとしてはどうなの?」
 グウィンの言葉に引きずられるようにして、アイスはミオが行きそうな場所を告げた。
 そんな体裁をつくって、ミオを助ける理由をグウィンから後押ししてもらった。
 結局、自身の本心は無視できない。ひとりで生き足掻いているミオを他人事にできなかった。
 そして、すでに一本道しか残っていなかった。
<オーシロ運送>で片付けた手合いなら、第三者からミオを奪われることを防いだといった具合に、言い繕える余地が残っていた。
 身内だとわかったうえで浅野たちとやり合ったことは、<ABP倉庫>から離反する宣言になる。回帰不能点は過ぎていた。
 それにしても、一太がこうも深入りしてくる理由はなんなのか。
 浅野をつかい、関わりを隠そうともしない。これではディオゴの関心を引くどころか、後継争いにも支障がでてくる。
 ディオゴでなく、アイスにアピールしている可能性を考えた。日頃から突っかかってくるのは対抗心の表れで、それが今回は仕事にも……なわけあるか。
 自分で自分に突っ込んだ。隠居をほのめかしているナンバー2と何を張り合うというのか。
 答えが見えないフラストレーションを木立の影に向かってぶつつけた。
「いつまでピーピングしてんの?」
「どうしたっていうんだ。アインスレーが仕事中に感情的になるなんて」
 痩せて陰鬱な目をした男が姿を現した。遠くのミオを視線でさし、的を射たアドバイスをする。
「元凶の高須賀の娘を放り出せば、自分に苛つくこともなくなるだろ?」
「だよねえ……。退職金もなくさずにすむっていうのに。そんなものあればの話だけど」
「ここにきて自分に正直になったか」
「ディオゴと揉めずにすむことを一番にしてきた反動かな。ま、あたしにも感情があったってことで」
「<ABP倉庫>を立ち上げたとき、おれはアインスレーがボスになるんだと思ってた。派手な見栄えはなくとも、現実的で堅実だったからな」
「『面白みがなくて地味』をオブラートに包んでくれたね」
「おれは良いほうに考える。ギャンブルみたいな経営はごめんだ」
「十二村がボスになればよかったのに」
「無理なのはアインスレーもわかってるだろ」口角だけがわずかに上がった。
「おれにはトップのカリスマ性も人をまとめる能力もない。陰で嗅ぎまわって仕掛ける黒子が適任だ」
「自分を冷静にみられるとこ好きだよ。あたしは、声のでかいやつがボスになったことに納得してなかったんだね、きっと。今ごろ言うのも間抜けだけど」
<ABP倉庫>を興したとき、ディオゴは当然のように言った。
 ——ボスは男の方が商売相手から信用が得やすい。表向きの形式だけだ。おれが社長ってことでいいな?
 トップになることにこだわりがなかったアイスは頷いた。オフィス外での付き合いは不可欠になる。呑みや会食を含めた接待スキルがあるディオゴの方が向いているだろうと思った。
 そして、自信に満ちた態度配下を引っ張るディオゴが頼もしくもみえたのだ。当時は。
 数人ではじめた倉庫事業は徐々に大きくなり、ディオゴが仕事全体をまとめ、アイスが裏業務の中心になって動くことがスタンダードになった。アイスは目立つことを好まない。派手好きなディオゴと組んだのだのから、自然な流れだった。
 運営面での発言力をもっと残すべきだったかと考えたこともある。が、会社が安定するにつれ、このままでいいかという妥協が大きくなった。歳をとるほど新しい風を起こすことが億劫になり、ただ無難にすごすことだけを考えるようになった。
「これからどうするんだ。ひとりでやっていくあては?」
「敵になった十二村には教えない」
「……おれも<ABP倉庫>を抜けたら?」
 冗談がいえないのが十二村だ。思わせぶりな台詞であったが、
「悪い、いま考えてる余裕ない。喫緊の課題を片付けないとだし」
 浅野がミオを見つけたのは、<美園マンション>を張っていた可能性が高い。ゲストハウスの部屋数が膨大だから簡単に特定されることがなくても、このまま美園にいるのは危険だった。
「ということで、お互いやることがある。さっさと撤収しよう」
「おれは一太の指示に従わないと……」
「わかってる」
 アイスは<ABP倉庫>から離反した。十二村とも、ここで別れることになる。
 十二村が右手を出そうとして宙で迷わせた。その右手に気づかないふりをして、アイスは背中をむけた。
「元気でね。アルコールより牛乳でも飲んで体重ふやして」
「余計な一言ならいらん」
 十二村だから背中を見せて別れられる。


 アイスは保護者がいない子ども時代をすごした。
 だから両親をなくし、揉め事に翻弄されるミオに同情する傾きがあることは否定できない。
 もちろん、親を亡くした子どもなど数えきれないほどいる。ミオが特別なわけではないのに、なぜ追われる立場になる行動にでたのか。グウィンと話しているミオを遠目に見ながら、ぼんやり考えた。
 年を食って情にもろくなった。
 怜佳の押しに負けた。
 グウィンの厚意を手助けしたかった。
<ABP倉庫>を優先して自分を殺してきたせいで、ディオゴの一〇分の一ぐらいは我が儘したくなった……
 理由になりそうなことは結構いろいろあった。強引に肯定的に考えれば、<ABP倉庫>を失うことで、それだけ新しいものを得る可能性があるのかもしれない。
 最初で最後かもしれない我が儘で、のっぴきならないことになった。後悔を残さない決断になったのか、憧れの悠々自適人生がぱあになったか。
 結末を迎えるときには、どういう笑みをうかべているだろうか。


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