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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 五章 2話 ここで実践、ついに実戦
2話 ここで実践、ついに実戦
ダークブラウンのマウンテンパーカーに黒のカジュアルパンツ。ナチュラルカラーや淡い色合いを好んでいた怜佳にしては、めずらしい組み合わせだった。
そしてアイスにとって、怜佳が銃を持つ姿も見るのも始めてだった。
怜佳はここを決着の場にするつもりだ。両手で保持したハンドガンをディオゴにむけた。
「末武、ミオたちから離れて! 形だけの夫を撃つことに躊躇はないよ」
末武は従わない。盾にしているミオは、人質としていちばん効果がある。片腕で抱き込む体勢を続けた。
「やっぱり生きていたんだな」
「やっぱり?」
確信めいたディオゴの言いように、アイスは疑問を投げた。
「爆発と火災のなかで、どうして死んでないと思ったの?」
「おれに訊かなくても、わかってるんだろ?」
「まあね。ディオゴの考えを聞きたいの」
「怜佳が自分の命と引き換えにするなら、少なくとも幹部クラスの人間を引き込むはずだ。なのに火災現場から出てきた死体は、おれの預かり知らぬやつばかりだった。メインイベントをおいて死ぬはずがない」
「赤点。全然理解が足りてない」怜佳が訂正する。
「臆病なおまえが、すぐに乗り込んでくるはずがないとわかってたからよ」
アイスにも、わからないことがある。決着の場に<美園マンション>屋上をえらんだ理由だった。
——美園って、あんな巣……あんなところに?
宿の場所を告げたとき、「巣窟」と言いかけた怜佳の反応からして、<美園マンション>の実際を知らないことがうかがえた。そんな場所では、突然のトラブルに対処しづらくなるというのに。
ただ、適切な場所を探しあぐねているうちに、美園の屋上が一般には開放されていないと知ることもあり得る。怜佳なら他人を巻き込む危険をまず考えたはず。立ち入り禁止になっている美園の屋上に利用価値を見い出した……
そう考えても、まだ納得できなかった。美園を利用するデメリットを上回る利点が、銃を使えることだけでは弱い。
「おれが電話で聞いたのは、子どもに関する交渉をやろうって話だった。銃を出してる時点で、話ですませる気はないな?」
ディオゴがそれを言うなとアイスは思う。怜佳も、
「そっちこそ。話し合いですませたいのなら、末武を別の場所で待たせておくべきでしょ」
「最初から力づくのつもりで、アイスを味方に引き入れたか」
確実に準備をすすめてきたが、最後になって怜佳に誤算が出た。〝交渉の場〟にミオがいるのは計算外だったはずだ。
唐突に、アイスは雑に踏み出した。わざとたてた足音で反応させ、この場の全員の注意を引きつける。声をはりあげた。
「ミオ、抜け出て走れ!」
背後から両肩にまわされているのは片腕だけ。
なのに、全力で抗っても末武はびくともせず、岩を押しているようだった。圧倒的な力の差に恐怖心があおられる。
ミオは、アイスから受けたセルフディフェンスのインスタント・レクチャーを思い出す。意識して、ゆっくり長く息を吐いた。パニックになっては、ますます身体が動かなくなる。
そこにアイスの具体策がきた。
「ミオ、抜け出て走れ!」
非合法組織の人間にまといつかれたり、爆発火災に居合わせたり。
続けざま「まさか」なことばかり体験し、まだ何か起こりそうな中にいる。セルフディフェンスの実用は、架空の話でおわらない逼迫感があり、実際に使うかもしれない緊張をもって練習した。
真剣にやったものの、本当にうまくできるんだろうか? 失敗しようものなら、みんなを窮地に陥らせてしまうかも……
心のすみに抱えていた、そんな躊躇逡巡をふきとばすアイスの声だった。
ミオは瞬間的に息を吐く。と同時に、膝の力も抜く。
重力に吸い込まれるまま、しゃがみ込むように下に落ちた。
上下移動を予測していなかった末武の腕の中から、拍子抜けするほどあっさり抜け出せた。
自分だけ逃げても意味がない。
「グウィン、行こう!」
手を叩く音で誘導する。
ところが、グウィンが動かなかった。
戦う力がないミオと、屋上では強みをいかせないグウィンは、この場から脱出する。これがアイスへの最大の援護になる。そのことをグウィンがわかっていないはずがない。
グウィンを止まらせているのは、アイスをおいていく不安だ。
ミオは寸刻で答えを出す。むやみに急かすのではなく——
「アイスを助けるために出来ることをやろう援護を呼べるのはわたしたちだけだよ!」
グウィンが、はっとなってミオに振りむいた。その手に肘をとってもらう。
ふたりで走り出した。
ディオゴに撃たせない。
アイスは、ミオとグウィンへの射線にはいって阻む。瞬きのない目と、ぶれのない銃口でディオゴを照準し、フリーズさせた。これで同時に末武の動きも封じる。
腹立たしげな声をディオゴがあげた。
「報酬でも子どもへの同情でもない。いったい何がおまえにそこまでやらせてるんだ⁉︎」
「わからないままでいる、おまえから離れる決心がついたってだけ」
「おれにわかるように言えって!」
怜佳がアイスに加勢する。ディオゴにハンドガンで対峙して言った。
「そういうとこよ。ワンマンやるには力不足だって自覚がない」
「おまえにまで言われる……ああ、そうか」ディオゴが訳知り顔になる。
「<オーシロ運送>のことをまだ根に持っているから、アインスレーの側になるんだな。あれは逆恨みだと説明してやっただろう? おまえを救うためだったんだ」
「『贅沢させてやったのに何が不満なんだ?』って聞こえる。あってる?」
「傾きかけた運送屋暮らしがいいはずないだろう。若い女をオイルまみれにして働かせていた親だぞ。そんなのと一緒にいた方がいいなんて強がらなくていい」
「エンジン整備は好きでやってた。わたしが欲しかったのはブランド品なんかじゃない。弱小の運送屋だけど、真っ当なものを運んだ利益で充分。
だいたい、理工学をやっていたわたしを大学から引き剥がして望みを奪い、父がそだてた運送会社を汚して、死に至らしめかけた。その張本人が稼いだダークな金で贅沢して、楽しいと思える無神経じゃない!」
ボスとその妻のあいだではじまった口論に、末武が困惑する。ミオたちを追うか、ディオゴをガードすべく残るか、視線を迷わせた。
アイスには突破口をさがす猶予になった。ミオたちがそばにいないなら、強行手段もつかえる。ハンドガンを持ち出した怜佳は覚悟の上と解釈して——と、ここでまた怜佳のパーカーに目がとまった。
<オーシロ運送>で仕掛けた爆破火災、履修していた理工学……
アイスは、ありえなくはない可能性に思い当たった。
怜佳は、ディオゴの妻にされたわけを承知していた。
大学での学修をやめて麻生嶋ディオゴと添い遂げた女というストーリーは、<ABP倉庫>を率いるボスの妻として体裁がよかった。実家の<オーシロ運送>は、ディオゴの仕事に利用できるし、怜佳も家業の手伝いをしていたから、倉庫業をまわすサポート役がこなせる。
トロフィーワイフというほど自分の見てくれがいいのかは疑問だが、体裁と実益を兼ねていた。
「外に女ができても離婚はしない。そんな度量の広い妻役もいい加減飽きてたし」
「女と違って男は身体の処理をしなきゃいけない。おまえが応えてくれないぶんは、ああするしかなかったのはわかるだろ?」
常套句な言い訳に、怜佳もストレートに返すことにした。
「なるほど。自分の右手じゃイケないから、シテくれる相手が必要だったんだ」
「根も葉もないことを言うのはやめろ!」
「言いたいのは『不倫を許せ』? どうぞご自由に。心を許していない相手が何をしていようが心底どうでもいい。仕方なしに応えていた当初から、わたしは麻生嶋怜佳じゃなく、ずっと大代怜佳のままだったんだし」
言っているうちに、怜佳は自分の表情が硬くなっているのがわかった。吐き出している言葉とは別のことが頭に浮かぶ。
こんな男を終わらせるために、あとの人生まで代償に差し出すのか……。
アイスにはその覚悟があるように言ったものの、ディオゴと言葉を交わすうちに、わからなくなってきた。
「そうか、子どもか? 子どもができなかったから、おれの事もどうでもよくなったんだな」
ため息も出なかった。女なら誰しも子どもが欲しいわけではない。
「人の尊厳に無頓着でも、避妊薬ぐらい知ってるでしょ」
「意図してやってたのか……?」
「子どもはきらいでも好きでもない。はっきりしてるのは、<オーシロ運送>っていう質をとられて、ベッドに応じていただけ。そんな相手の子どもを愛せる自信がない。だから、できないようにしてた」
こうなった結果としても良かったと思う。少なくとも捕まって、養育できなくなるような無責任はふせげた。
「わたしの人生を奪った男に報復できる日を思って耐え続けてきた。やっとかなう」
うかんだ迷いは気づかなかったことにして、怜佳はハンドガンを構えなおす。
無理だ。
安定を欠く怜佳の銃口に、アイスは手を貸すべきか迷う。
報復が怜佳の悲願なら、相手がディオゴでも邪魔する気はなかった。しかし、ぶれる銃口が重さのせいだけではないなら、話は別になる。
アイス自身にも迷いがあった。
怜佳に一線を越えさせていいものか……。
アイスはまだ子どものうちから、犯罪を生きるための手段にしてきた。暴力への精神的ハードルは低い。そんな自分の感覚で判断していいものか。
ディオゴが暴力をにおわせる言葉を出すだけでも眉をひそめていた怜佳だ。銃を手にしている怜佳の真の望みは——
「あなたが手を汚すことはない」
怜佳をとめたのは、ディオゴの妻を疎んじていて当然の人間だった。
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