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身体は勝手に好転する。脳は勝手に好転しない。

熱が出るのは、体内のウィルスを攻撃するためだという。

免疫機能が働き、身体が戦闘モードに入る。くしゃみ、鼻水、咳などの症状も、異物を外に出そうとするためだ。

小学生の頃転んでできた擦り傷から、未だに血が出ているという大人がいないように、身体というのは必ず回復に向かって好転するように出来ている。

しかし、脳はそうはいかない。

誤った知識であっても、それが本当だと思いこんだら、その呪縛はなかなか解けない。

洗体といえばエロい想像くらいしかできないが、洗脳というと急に怖くなる。

そもそも、その知識が誤っているかどうかの判断は難しい。本人がそれを信じ、それで毎日幸せならば、その考えを無理矢理改めさせようとするのは、必ずしも正しいとは言えない。

しかし、その幸せを守るために破壊活動へ転じようとするなら、間違っていると抑制する必要がある。

「天才とは努力する凡才のことである」

という、アインシュタインの言葉があるが、才能よりも努力することこそが大事であると先人たちは言う。

しかし、誤った努力もこの世には多く存在する。

「俺はジャニーズに入って国民的アイドルになりたいんだ!」

と、50代の太った男性が酒飲んで管巻いてたらどうだろう。

「いや、年齢的に…」

「何歳からだって夢見ていいだろう?お前は年齢で人を判断するのか?」

「でもそのお腹とか…」

「お腹がどうした?太ってたらジャニーズに入れないなんて法律はない。お前は容姿差別するのか?」

「ならせめて酒くらい控えて…」

「太っているのも酒を愛するのも俺。本当の俺を愛してもらえずなにがアイドルか。偽りの人気で国民的アイドルにはなれないんだよ。考えが甘いよお前」

「じゃあその国民的アイドルになるために努力してるの?」

「毎月履歴書を送っているよ。原宿をよく歩いたりもしてる。でもなかなか俺の魅力にみんな気付けないみたいなんだ。わかってないよなあ」

身体は怪我しても勝手に好転していくが、脳は決して好転しない。誰かが言ってあげないと、どんどん悪化する。

人間は、堕落しようと思えば際限なく堕落できる生き物だ。例を挙げるまでもなく、あなたも身に覚えがあるだろう。

脳が身体を制しているのではなく、身体が人間を制しているのであり、それは脳によってたびたび阻害される。

1970年代頃より禅に傾倒していたスティーブ・ジョブズは、結婚式も禅宗様式で挙げた。

禅の教えの基本は、不立文字(ふりゅうもんじ)といって、修行により体得することが重要だとする思想にある。

つまりこれは、「型」である。

考え方を学ぶというより、「型」から脳を整えていくのだとすれば、やはりこれは脳の敗北とも言える。

身体を律することで、脳が好転していくことを示している。

どれだけ頭だけで良い方向へ向かおうと念じてもそれは実現しない。アイドルになるんだといくら願っても叶わないように。

首から上だけで考えず、首から下で考えろという。

下半身で考えろということではない。

いや、この文脈で言えば首から上だけで考えるよりは、下半身で考えたほうが幾文か健全かもしれない。

学歴、経歴、肩書き、年収、そんなことより、やりたいのかやりたくないのか。人間関係も最後は理屈ではない。

職人の世界ではよく、「背中で学べ」と言われる。今では死語である。

怠慢な上司の典型例とされがちであり、甘えた新人の聞く力の低下と捉える人は少ない。

様々なことを学べる効率的な思想、と捉える人も少ない。背中で学べる姿勢があれば、自分の仕事以外のジャンルでもなんでも学ぶことができる。

YouTuberとして成功しているほとんどの人が背中で学ぶタイプだ。撮影、編集、企画、演者、これらを教えてくれる上司がいる環境は稀だからだ。

しかし、なりたい職業ランキング1位にYouTuberがいる。多様性という言葉に飛びつく割に、画一的に了見を狭くするのが流行りのスタイルのようだ。

僕は、AppleよりもWindowsの方が機能的には優れていると思う。しかし、Apple製品はある程度の型が決められているため使いやすく、馴染みやすい。悪く言えば、拡張性がない。

だからこそ、年配の方になかなか扱いにくいパソコンもiPadなら扱えるという人は多い。iPhoneもそう。

なによりデザイン性がずば抜けている。持った瞬間なにかが律せられるような錯覚を起こすほど。これも、「型」が持つ力だろう。

スティーブ・ジョブズはこの「型」をなによりも大事にした。

それはもしかしたら、禅の教えである「不立文字」が染み込んでいたからかもしれない。

人生は遠回りしてもいいし、間違った努力に費やす時間も必要かもしれない。

しかしジョブズは、こんな言葉を33年間、毎日鏡の前で繰り返していたという。

「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」

そしてこう続く。

「答えが、いいえという日が何日も続くようであれば、何かを変える必要がある」

人生100年時代と言われるようになって久しいが、ジョブズはこんな言葉も遺している。

「死は生命にとって最高の発明だ」

あなたが今の状態で100年生きられるという保証はどこにもない。

その努力が間違っているかどうかは、「型」と照らし合わせてみるといいかもしれない。

自分の型を作るのは、その後の話だ。

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