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今の日本を動かしているのは政治家でもアーティストでもなくクレーマー

先日、週刊現代の取材を受けた。

埼玉と千葉の関係を深堀りする特集だそうで、埼玉に関する書籍も出している私に話を伺いたいと。

15時30分に駅前のカフェで、ということになったが、記者さんは「その前も別の取材があって、一本電車に乗り遅れると15時40分になるかもしれません」、と前日に連絡があった。律儀な方だ。わざわざこちら(埼玉)へ来て頂くのだし、それくらい一向に構わない。

当日、「やはり間に合わず15時40分着になります」との連絡が入った。

私は15時20分くらいにお店に入っていようと思い早めに家を出ると、なんと、自転車の後輪がパンクしていた。

急いで空気を入れてはみたが、そこからまた空気が抜けていくかどうかを検証している時間がない。すぐに抜けていく様子はないので駅前までは持つかもしれないが、カフェを出たらペシャンコになっている可能性もある。

結局、歩いて向かうことにした。

車で向かうこともできたが、駅前は駐車料金が高い。今すぐ向かえば15時30分は無理だが、40分には間に合う。記者さんが遅れてくれて良かった。

しかし8月の猛暑だ。尋常じゃない量の汗を噴き出しながら、早歩きで向かい、まるで風呂上がりのようなズブ濡れ状態で15時40分ジャストに店に入ると、記者の方はすでに爽やかな表情でアイスコーヒーを半分減らしていた。なんだこの差は。生まれ持った天運の差か。

取材はとても楽しかったが、帰りがまた大変だ。近隣の自転車屋をスマホで検索しながら歩いて帰った。

ネット(Google)評価がめちゃくちゃいい、小さな街の自転車屋さんがあった。

「あれだけやってくれて、あの価格。こちらが心配になってしまうほど」
「無料でいろいろと点検までしれくれて。星5つしか押せないのが残念なくらい」
「本当の職人技を見ました」

随分過剰な評価だな。

ネットの口コミなんか本当か嘘か分からないが、そこはうちから近いし、たまに通りかかるところで存在は知っていたので、そこでいいや。

家に着き駐輪場を見ると、やはりタイヤはペシャンコに戻っていた。確実にパンクだ。

ところで、パンクの修理というのはいきなり持ち込んでいいものなのだろうか。個人でやっている小さなところのようだし、迷惑にならないよう、事前に電話してみた。

「あの、パンク修理をお願いしたいんですが、これ、いきなり持って行っちゃっていいものなんですか?」

「…いいんですが、10分20分待って頂いて直る、というものではないので、持ち込まれても、いったんお帰り頂くことにはなりますが…」

随分と無愛想で、暗いおじさんの声。ネットの評判なんてそんなものだ。

「ああ、全然大丈夫です。近いですから」

「そうですか、それは良かったです。ではいつでもいいので、お持ちください」

最後の言葉が急に温和になった。

これはもしかしたら…。

自転車を押しながら歩いて向かう。マンションの1Fに店を構えているその自転車屋は、10畳くらいのスペースに所狭しと様々な工具が雑多に積み上げられている、お世辞にもキレイとは言えない、薄暗い店だった。

「こんにちはー。さきほど電話したものですが」

「あー」

ゴミなのか使う道具なのか分からない部品の山の隙間から、おじさんの顔が見えた。

壁に身体をこすりつけながら、窮屈そうにわずかなスペースから出てきて、さっそく私の自転車を物色すると、直す工程と料金を丁寧に教えてくれた。

これはやはり。

いつからか世の中は、声のでかい一部の不届き者が牛耳る社会になった。

「こっちはパンクして困ってんだ。今すぐ直せ!」

「というか取りに来い!」

「てめえ!ネットで書いてやるからな!」

もしかしたらこのおじさんは、過去にそう怒鳴られたことがあるのかもしれない。そういう経験を経て、

「すぐは直せませんから、いったんお帰り頂くことになるんですが」

と、恐る恐る私に訪ねたのではないだろうか。

こに時点で私は、ネットに書かれていた評判は全て真実だと確信した。とても真摯で良い人だ。

「…なので、一時間後くらいだったらいつ来て頂いても大丈夫です。そういう感じでよろしいですかね…?」

「全然構いません。ご判断は全てお任せしますので、よろしくお願いします」

私は目つきがいい方ではないから、精一杯笑顔で答えいったん帰った。

1時間後取りに行くと、おじさんは直した部分を細かく説明してくれた。空気を入れるチューブバブル付近が裂けてしまっていたそうで、チューブごと交換してくれた。料金は2,300円。

直った自転車にまたがって帰るときに気づく。

ブレーキの効きが俄然良くなっている。

「無料でいろいろと点検までしれくれて。星5つしか押せないのが残念なほどです」

これだ。

自転車を持ち込んでいったん帰るとき「安全点検もしておきます」と確かに言っていた。

どんな店主だろうと、変な客が憂さ晴らしでネットにボロクソ書くことがある。その口コミを見て選択肢から外す人もいるだろう。そのお店にも僅かだがクレームコメントはあった。これを5件、10件書き込めば、簡単にそのお店は潰れてしまうかもしれない。

インターネットやSNSの普及は、声のでかさがものを言う社会を構築した。今の日本を動かしているのは、政治家でもアーティストでもなく、クレーマーだ。ご丁寧にそれを細かく拾い上げ、拡散するメディアも多々存在する。

みなさーん、こんな奴いましたよーと、あえて突っ込みが入るよう過剰に取り上げみんなでワッと叩いて、ときには人の命まで奪う。

そういう人たちの暴走を止めることはできない。触れる側のリテラシーでしかない。

自分にできることといえば、リアルとネットの人間性をなるべく同じに保つ以外にない。

自転車に不具合が出たら、またあそこに持っていこうと思いながら帰った。

8割の流儀・鷺谷政明

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