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Instagramを見ていると鬱になるという君へ

「Instagramを見ていると鬱になる」

という人がいる。

他の人が楽しそうにしているのを見ていると、自分がみじめに思えてくるという。

開高健さんはかつて、「何が書かれたかより、何が書かれなかったかが大事だ」と言っていた。

楽しそうな日常は、楽しくない日常に支えられている。

そもそも、写真一枚で伝えきれる楽しさなんて、たいしたことはない。

僕の場合、最高のエロ動画を見つけたときの嬉しさは、とても写真一枚なんかで伝えきれない。原稿用紙3枚とティッシュ30枚は必要だ。

そもそも、誰かに肯定してもらえないと感じられない楽しさは、楽しさではない。

味覚と同じで、本人がうまいと感じれば、万人がまずいと言っても、うまいもんはうまい。

InstagramなどのSNSは、日常の一部分を作為的に切り取った瞬間に過ぎない。

人は、落ち込んでいるとき、あまり人と会いたがらない。

家族や親族などとは、もっと会いたがらない。

特に、目標も過程も結果もないとき。

発表できる材料がないことが嫌なのだ。

そんなときでも、強制的に大勢の親族と会わざるを得ないことが、この日本では不定期で起こる。

それが、冠婚葬祭だ。

自分がなにもない状態のとき、毛一つ生えてなかった頃から世話してくれた人たちと会うのは辛い。

ましてやそれが、結婚という幸せの絶頂であったり、永遠の別れであったり。

なにもない自分と対比して、ゲンナリする。

しかし今振り返ってみると、それが良かったんだと思う。

その帰り道はいつも、強制的になにかがリセットされるような感覚があった。

ファミコンのリセットボタンを押されたような、諦めにも似た爽快さ。

あーあ、もうダメだなこりゃ。じゃあ、ダメなりにやって、さっさと終わりにしよう。

行く前の腰は重いが、行ってみるとスッキリする、まるで健康診断のようである。

心が辛い時期の冠婚葬祭は、一人健康診断だ。

そのままだったら腐っていたところを、強制的にリセットされる。

僕は大葉やバジルなどの香草を自家栽培しているが、どこかが腐り始めたときにはすぐ対処しなければならない。

日当たりか、雨風か、置く場所か、または水の量か、害虫か、とにかくそのまま放っておくと、腐敗は一気に進む。

人間も同じで、放っておくと腐敗は一気に進行する。

落ち込む時間も必要だが、この時間に得れるものはあまり少ない。

だから僕は、辛いときこそ誰かに会う。

嫌だな、ダルイな、メンドイなと、辛いときこそ思うが、だからこそ、思い切り腰を上げて外へ出ていく。

そのままダラダラくさくさして、時間を無駄にすることだけはもう繰り返したくないからだ。

失敗が許されるのは、それが改善できたときだけである。

そんな一人健康診断は、数年に一度だからいい。

これが毎日だったらやっぱりしんどい。

SNSを見て鬱になるのは、おそらくこれを半強制的に毎日やっているようなものだからだ。

「嫌なら見るな」は、制作者の驕りだというが、僕はそうは思わない。

嫌なら見るな。

テレビもInstagramも。

「楽しい」は自分で作れ。人任せにしてる場合じゃない。

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