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東京屋vsひさえちゃんの戦い

『令和3年3月8日 に他界したひさえちゃんへ捧ぐ』

ひさえちゃんは、私の祖母。
小さくて、丸っこくて、のんびりしてる雰囲気があるんだけど、家事は完璧のある意味主婦の鑑。

ひさえちゃんが家事をしていた頃の実家は、チリ一つ無かった。
洗濯物だって、ノリがバッキバキに効きすぎて角が痛いくらいピッチリ仕上がっていた。
ご飯も超美味しかった。
特に煮物。
ひさえちゃんの作る、ニシンと大根の炊いたんは大好物だった。

さて、そんな、まるっこくて小さくて優しいひさえちゃん。
2021年3月8日 享年100歳で、私の祖父や母、叔父、そして兄がいる場所へ旅立った。

noteを書き始めた頃は、乳がんの闘病中ではあったけど、進行もそこまで早くなくて乳がんが命に関係するというほどでもなかったので、最後まで私のそばに「居る」ものと勘違いをしてしまっていた。
旅立った理由は「老衰」
単に天命を全うしたわけです。
当たり前だね、100歳ですもん(笑)

こんな可愛い大好きなひさえちゃん。
今思うと幼少の頃の私は、やりたい放題させていただいておりました。
少しは言うこと聞けよと、タイムマシンがあるなら、今すぐ商店街に駆けつけて頭を一発でもパシッとやってやりたいくらい。

覆水盆に返らず。

母がネグレストな感じだったので、私の保育園への送迎はほぼ祖母がやってくれていた。
まだ朝はいい。祖父や叔父たちと一緒に食べた朝食後は足取り軽く、ひさえちゃんに手を引かれながら保育園までスッタカターと、色々おしゃべりしながら機嫌よく歩いていったもんです。

問題は帰り道。
デーモンえっちゃんが登場する。

保育園からの帰り道には、2つのパターンがあった。

まず、第一のコース「緑道コース」
こちらは高圧電線の下に作られた、緑が沢山の小道。自然豊かな田舎道といえばわかりやすいでしょうか。

そして、第二のコース「商店街コース」
こちらは、ひさえちゃんが晩ごはんのおかずなどで不足していたものや買い忘れたものを買うために通る道。
スーパーなんか無かった時代に個人商店が並ぶ、魅惑のロードだった。

えっちゃんは、この第二のコース「商店街コース」が大のお気に入り。

記憶の引き出しから、道にあったお店の順番を思い出すと

① かどや「おはぎ」
② 書店
③ 東京屋「衣料品店」
④ タカラブネ「ケーキ屋」
⑤ お豆腐屋
⑥ 鶏肉屋
⑦ 書店

確かこんな順番で並んでいたと思う。
いや、お店はもっとあったんだけど、私が覚えているのはこの7つ。

この商店街コースは、私にとってはパラダイスロードで、見ているだけでも楽しいものが沢山並んでいた。
おはぎに本屋、ソフトクリームに鶏もも肉のてりやき、そして、また別の本屋さんには絵本に月間雜誌の付録付きマンガ「なかよし」がこれでもかと店頭に並べられていた。

中でも、東京屋は格別だった。

普通の衣料品店なのだが、なんと、ここの軒先には洗濯ばさみに吊り下げられた、大量の「キャラクターハンカチ」が売られていたのだ。

・キャンディキャンディ
・魔女っ子めぐ
・ゴレンジャー
・ウルトラマン
・赤影参上
・母をたずねて三千里
・アルプスの少女ハイジ

こんな魅惑のハンカチを見せつけられて、黙って通り過ぎるわけがない。

「おばあちゃん、あれほしい!!キャンディキャンディのやつ!!」
「あんた、この前もこうて(買って)あげたやないの」
「ちゃうねん、あれと、これとはちゃうねん!」
「ほんま、何が違うの、一緒やないの」
「ちゃうねん、ちゃうねん、ちがうって!!!」
「あかん、もう、毎回毎回・・・。帰るで」

私の手を引き、進むもうとするひさえちゃん。
だが、当時の私はとんでもないやつだった。
ここは、母親譲りと言っておこう。
自分の思い通りにならないと、あるものを味方につけるのだ。

「いややいややーーー!!!こうてくれへんかったら帰れへんっ!」

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必殺「地球を味方にする」

ほんと、自分の娘にこれをされていたら、頭を叩いていただろうと思う。
幸い、うちの娘はこんな駄々をこねることなく、ダメといわれたら
「ジト目で黙ってにらみつける」だけの大人しい反抗の仕方だった。

話を戻す

こうなると、もう、えっちゃんは手を付けられない。
しかも、商店街の東京屋で新しいハンカチが出ていると、毎回これをされるもんだから、ひさえちゃんもたまったもんじゃない。

そして、東京屋のおばあちゃんも商売上手。

「えっちゃん、これか?これやろ?この間入ってきたんよ、新しいキャンディキャンディな。これの事いうてんよ、えっちゃん」

と言いながら、洗濯バサミからお目当てのハンカチを外し、そっとひさえちゃんに渡すという匠の営業技を使う。

だがしかし、毎度毎度こんなことをされていたら、ひさえちゃんもたまったもんじゃない。
東京屋のおばあちゃんに、ハンカチを返し、これはまた今度にでもと言いながら、私を引きずりながら道を進み出す。

「おばちゃん、いややーーーーー、それほしいーーーーー!!」

往生際の悪い私は、東京屋のおばちゃんに手を伸ばし助けを求める。
おばちゃんも、ちょっと後ろをついてきて、もう一度ひさえちゃんに交渉をしてくれる。

しかし、ひさえちゃんは、はいはいと言いながら、私を引きずり先へ進む。
東京屋のおばちゃんは、引きずられる私を苦笑いしながら

「また明日おいでー」

と声をかけてくれるが、ひさえちゃんは

「明日は緑道で帰る」

とボソッと一言いいながら、起きない私をそのまま引きずって商店街をなれた手付きで歩いていくのであった…。

振り上げた拳の下ろしどころをなくした私。
それで諦める日もあれば、そのまま別のお店に駆け込むこともままあった。

「ソフトクリームぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

当然、ひさえちゃんは無視。
手を引っ張って、そのまま泣いている私を怒鳴ることなく叱ることなく、

「あんたも孫の面倒見させられて大変やな」

というご近所さんに、「せやねんよ~」などと愛想笑いをしながら必要な買い物だけして帰路につくという感じだった。

The 目的至上主義

ひさえちゃんは、ギャンギャン騒いだり怒鳴ったりすることはなかったけど、淡々とするべきことをする人だった。
そして、普段もせっせと家事をこなし、娘が置いていった孫の私の世話もしながら日々を過ごしていた。

家電もそこまで発達していなかったあの当時に、あそこまで清潔を保ち
家族全員の食をきちんと作っていた祖母はスーパー主婦だったと今では尊敬の念を抱くほどである。

対して

私の母はよく叱られていた。
洗濯物の畳み方がなってない。
端がピシッと折れてない。
あんたがたたむと、洗濯物がフワッとしてかさ高い。
掃除ももっと、きれいにしなさい。
隅の方にホコリ溜まってるやないの。

などなど。
よくまぁ、そこまで細かいことで叱ることがあるなと思うほど、
娘のすみちゃんには色々と文句をつけていた。

だがしかし、スーパー主婦ひさえちゃんに
可愛がられ溺愛され、何一つ自分ですることなく育てられた私は

母のすみちゃんよりもっと酷い、一切家事のできない
「スーパー下町お嬢様」へと見事な成長を遂げたのでありました。

ナイス、ひさえちゃん。
あんた、いい仕事したよ!

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