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高齢者というメディア・改2020

『高齢者というメディア』
この言葉は、2018年下半期くらいから、再三使っている言葉である。

【世の中にこんだけ年寄りカテゴリーの人々がいるのに、なぜ、そこをメディアとして楽しんだり研究しないんだ?】という疑問は自分自身の入職のきっかけであったので、かなり前から感じてきた。

直接援助を中心に15年以上、高齢者介護に携わっていると【高齢者を敬う】【高齢者の生活を豊かにする】ケアなんてことをよく聞くが、
個人的には【高齢者をケアする中で触ることのできる真理】をエサに生きてきたのだ。

高齢者を楽しませるのがメインというより
高齢者の為の介護というより
高齢者の見る風景、見てきた世界を分析し、
そのカルチャーや歴史の中にある、
【今こそ使えるパーツ】を
現代社会に活かすおもしろみというのが、
大凡、僕のやってきたことである。

2011年くらいのことだ。
とある福祉系コラムを書くことになった時、
迎えつつある多様化の時代の介護についてこの様なことを書いた。

かつて日々の過ごし方が世の中ある程度、一様であった時代。
大好きやら大好物やらを遥かに超えて、
【食べ物】で、超絶ハピネスを
増幅チャージしていた時代があった。
例えば赤飯。例えばおもち、お寿司。
【食べ物】は人生の重要な舞台装置で、
人々の感情、生き様を派手に象徴づけた。
これら《ハレの食べ物》を前にした時、 全ての人がではないにせよ、多くの人が、世代も性別も超え、
『わぁー!今夜は、ごっつぉうだな』とテンションぶち上げた時代がかつてあったのだ。さてさて、今目の前にいるお年寄りは、そんな時代の子供達だったから、まだ理解するのも難しくないけど、これから先、めっちゃ大変だよね。

音楽のレクリエーションなどすると(僕は個人的に、djおんこちしんというdj活動をしていたのである)まぁ、10年くらい前までなら、『青い山脈』だの『憧れのハワイ航路』だので1910年代生まれから1940年代生まれの40年ギャップをなんとなく一律に楽しませることもできたけれど、戦後世代はもうそれじゃ無理だよね。
(いや、この世代だって、越路吹雪好きと、美空ひばり好きの、趣味の違いとかホントは明確にあるんだけど。)

『さがんさーん、ロック好きでしたよね!
ほら、○○、○○の歌ですよー』とヘルパーさん。

[そんなもん、ロックじゃねぇ!あと、
俺の好きなのは、ロックではなく、
ロックンロールで!ちなみにジャンル不問や!って歌ってなんやねん!]みたいな面倒くさいコダワリ世代がやってくるわけで。

だからこそ、『知らないといけない』義務ではなく、『高齢者をメディアとして楽しんで、得たことを活用しよう!』と捉えるとまるで話が変わるんじゃないかなと思う。

昔はこんなことがあったのかぁというのを単なる知識にするんじゃなく、現代の課題解決に使う。
昔、流行ってたらしいあんなコレ、もしかして今からめっちゃ合うのかもー!と試してみる。

生活や人生に対して、
一連の物語として捉えることをナラティブとかいうけれど、ナラティブケアがルーティンとしてできる介護士は、本来、何倍も課題解決能力が高くなるはずだ。 

ジョジョでいう時のスタンドを得るのとそう変わりないんだよ。

ま、そんなわけで、今年もまた、
【高齢者というメディア】通信を発していく所存^_^


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