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なぜ佐賀で予備校を作ったのか?

この度、佐賀駅前に、「佐賀駅前予備校」という大学受験対策を行う予備校を設立しました。今回は、「自己紹介」として、全5回で、以下の5つのことについて書いていこうと思います。


  1. 佐賀駅前予備校とは?

  2. 作った人はどんな人?

  3. なぜ佐賀で予備校を作ったのか?

  4. 佐賀駅前予備校が目指すもの

  5. noteでは何をしていくのか? 


 今回は、3つ目のテーマです。「3.なぜ佐賀で予備校を作ったのか?」について書いていきたいと思います。理由は3つあります。

理由① 両親の生まれ故郷が佐賀だから
理由② 早稲田大学出身だから
理由③ 佐賀県に貢献したいと考えたから

 この3つの理由について、それぞれ詳しく書いていきたいと思います。

理由① 両親の生まれ故郷が佐賀だから

 私自身は、兵庫県神戸市で生まれ育ち、浪人を経て早稲田大学に入学するまではずっと神戸で過ごしていました。両親は、もともと神戸の人ではなく、佐賀県の出身で、両親とも佐賀北高校に通っていました。当時の自分の佐賀のイメージは、「おじいちゃんとおばあちゃんがいる楽しいところ」というイメージでした。親戚もみな佐賀におり、お盆などで訪れたときは、たくさんの人が家に集まり、楽しかったです。神戸よりもテレビのチャンネルも少なく、ゲームもないため、おじいちゃんやおばあちゃんと遊んでいたので、佐賀はとても好きな場所でした。

 私は、大学で東京にいき、(すいません、ウソつきました。キャンパスが埼玉のキャンパスだったので、正確には埼玉にいきました。でも東京にいったって言いたいですw)
 大学4年生の時から、就活をほとんどせず、IKEAでアルバイトを始めたので、千葉県の船橋に住んでいました。その後、IKEAで新卒として働きだして、神戸店の立ち上げに参加するために、神戸に戻ってきました。
 神戸のIKEAで一通りやりたいことをやって、「他の人がマネできないことをしよう」と考え、なんのあてもなく沖縄に移住しました。次の仕事を決める前にIKEAをやめて、ハローワークにいくと、「順番が違いますよ?」と受付のおじちゃんに言われました。
 沖縄の地元の予備校で人財育成をして、その後、独立し、ドリームタッグという名前の予備校をつくりました。沖縄で何年かやったあと、情報があまり入ってこないことが気になり、情報を得るために東京に移住しました。(今回はちゃんと東京ですw新宿区に住んでいました。)
 やりきった感が出たので、大手の塾はなにをしてるのか気になり、また神戸に移住し、サラリーマンをやり始めます。1年後、また別の塾でお世話になり、それは奈良県でした。
 このように、私は、神戸→東京(埼玉)→千葉→神戸→沖縄→東京→神戸→奈良といろんな場所でいろんなことをやっていました。全ては家族を幸せにするためでしたが、ここでふと気づくわけです。仕事ばっかりして、家族との時間があまりとれないということに気づいてしまいました。
 母は、祖母の面倒をみるために、佐賀にいました。じゃあ、佐賀に移住しちゃおうと、家族のそばにいるために、佐賀に来ました。もう移動することはないです。自分の人生を終えるまで、佐賀にいようと思います。

理由② 早稲田大学出身だから

 「佐賀と早稲田がどう関係してるの?」と思う方も多いと思います。そうですよね、よくわからないですよね。私も昔、佐賀と早稲田の関係は知りませんでした。1年の浪人を経て、早稲田大学に入学し、「大隈重信」像を目の当たりにし、本当に早稲田に入ったんだと感じたりしました。それから佐賀に遊びに来た時に、「大隈重信は佐賀の人だよ」と母と祖母から初めて聞かされます。申し訳ないですが、勉強しかしてなかったので、そんなこと知りませんでした。おばあちゃんに連れられて、「大隈重信記念館」を訪れ、「大隈重信旧宅(生家)」の中に入りました。「うぉぉぉ、ここで大隈重信は勉強してたんだー!」とめちゃくちゃテンションが上がった覚えがあります。
 私が早稲田大学を目指したのは、母と祖母が箱根駅伝が好きで、いつも早稲田を応援していたのを小さい時に見ていたからです。「大学=早稲田」というイメージが幼い頃からありました。そしてふと疑問に思ったのが、「なぜ早稲田を応援しているのか?」ということでした。母と祖母に理由をきいたことがあります。その答えは、「早稲田だから」という全く納得いかない答えでした。そこで当時の自分は考えたわけです。自分が生きているのは、祖母と母のおかげだから、2人を喜ばせようと考え、「なぜ早稲田を応援するのか?」という問いに、「息子の母校だから」というちゃんとした理由をつけるために、頑張りました。
 自分と早稲田を関係づけたのは、佐賀という場所があったからです。私は早稲田大学で、本当に色んなことを学ばせてもらいました。早稲田のTシャツを部屋で着るぐらいには好きですwそして教え子たちも本当にたくさんの人数が早稲田に進学してくれました。自分の人生で、早稲田、佐賀、というものは非常に多くを占めていると振り返って思います。大隈重信先生が導いたのかな?と勝手に考えています。そんなことはないと思いますがw

理由③ 佐賀県に貢献したいと考えたから

 私自身と、佐賀のつながりは上に書いた通りです。色んな場所で、色んなことをしてきましたが、その経験の全てを、自分の人生のルーツと言っても過言ではないこの佐賀に還元したいと考えました。
 自分が今までやってきたことの中で、何をどうすれば佐賀に貢献できるのかを考えた結果、やはり教育、人財育成をすべきだと考え、大学受験を通して人財育成をするという自分の1番得意で、他の人にできないことをすることを決めました。
 大学受験は、みんなが通る道です。「どうせやらないといけないのであれば、それを最高の体験にしてあげたい。」そう考え、「佐賀駅前予備校」というとてもわかりやすい名前の予備校を佐賀につくることにしました。
 「学歴なんて大人になったら関係ない」という意見があります。自分もそう思います。社会で活躍している人たちは、色んな大学の出身ですし、なんなら大学にいってない人もいます。これまで色んな立場や種類の人たちと出会い、話してきましたが、活躍している人にはある共通点がありました。それは「自分の頭で考える力」があるということです。世の中には色んな問題が存在しています。どれも複雑で簡単には解決できないものです。答えなんて当然ありません。そんな問題を発見し、解決している人たちは、みなさん「自分の頭で考える力」がありました。
 この「自分の頭で考える力」を大人になってからつけようとするのではなくて、高校生のうちからつけてしまえば、とんでもない存在になれるのではないか?と考え、これまで実践してきましたが、卒業生はみんな立派に育ってくれました。
 少し話がそれましたが、私が、佐賀県に貢献する方法は、「大学受験を通して、社会で活躍するために必要な自分の頭で考える力を伸ばす予備校を作り、人財育成をする」ということです。

 以上の3つの理由から、私は佐賀県に、佐賀駅前予備校を作りました。正直、うまくいくかはわかりませんが、自分はまだ出会っていない、この記事を読んでくれているみなさまと会えるのが楽しみです。

 「3.なぜ佐賀で予備校を作ったのか?」という記事は以上です。何か気になったことがあれば、下記のリンクからホームページもご覧ください。よろしくお願い致します。

佐賀駅前予備校


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