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3羽のセキセイインコを空に放とうとしている。

昨夜、変な夢を見ました。

3羽のセキセイインコが鳥籠の外に並んでいます。いちばん手前で私の近くにいるのが、最もスタンダードな柄の、セキセイインコといえば思い浮かぶような緑色が基調の個体で、とても若い。その後ろが青い個体で中年くらいでしょうか。そして奥にいるのは白地に青混じりの、お爺さんかお婆さんか、とにかく年をとっていて躰も前屈みに傾いています。子どもの頃にずっとセキセイインコを飼っていたからなのか、光景が妙にリアルでした。

私は手前の若い個体を両手のひらにそっと乗せながら、

「今から放すからね。」

と、言葉で言ったわけではないですが、3羽のインコにそう話しました。夢から覚めてみると自分が何をしようとしているのか全然分からないのですが、夢の中の私は完全に事情を分かっていて、極めて冷静で、何の感傷もありません。
するとインコたちは心底驚いて私の顔を覗き込み、「本当に?本当に?」と、言葉で言ったわけではないですが聞き返してきます。

「そうだよ。」と答え終わらないうちに、緑のインコはもう何処かへ行ったものらしく、見あたりませんでした。

青は辺りを見回して探索を始めました。

白は、老いた躰を動かして「……この私に、飛べるのか?」と、ひとり考え込んでいます。

当の私はというと、もう彼らを気にしてはおらず、「みんな飛んで行ったら、籠の掃除をしなくちゃな。」と考えているのです。

そこで目が覚めました。
何だかよく分からない夢ですが、朝食を食べる間も、やけに心に残っていました。

今、ふと思いました。人生というのはこういうものかもしれないな、と。

自分の自由を阻むような、鳥籠なのか飼い主なのか、とにかくそういう存在が人生の岐路にあったとして、それは特定の状況や誰かであるように見えても、案外とそれは自分自身が檻のように張り巡らせた幻想、結局それは自分自身だったりするのかもしれません。そしていざ、自由にどうぞ、となった時に、私はこの3羽のうち、どのインコのように振る舞っているのでしょうか。
この状況で上手くできるか、失敗してあの人に笑われないか、そういうことを散々悩んだとしても、案外とその状況も人も、もうこちらを気にしていなかったりするのではないでしょうか。

だって夢の中で、インコである私を捕まえていたのもこの私で、その私がもうインコとサヨナラしようとしていて、何も寂しくはなかったのですから。もう次の支度をしていたのですからね。

書いていて、何だか文章が妙に間が抜けているな、と思ったのですが、「インコ」っ書いたからですかね。「小鳥」にしておけばもっとカッコよかったのかもしれないです(笑)。でも仕方がありません、あのセキセイインコの愛嬌を、そのままに私は愛しています。

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