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『例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)』展を見に。

秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTで開催中の『例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)』展を見てきた。
https://biyongpointexhibition.jimdofree.com/

それぞれ異なる制作・研究をしている岩瀬海、中島伽那子、櫻井莉菜3名による、「社会の中にある理不尽な抑圧 / 排除、加害性」(それは暴力的行為だけにはとどまらない)への問いかけ。7/3まで。

BIYONG POINTの壁が、剥がされている。

この建物は、もともと秋田県小児療育センターだった場所をリノベーションしていて、中から覗く壁紙は、療育センター当時のもののようだ。ホワイトキューヴの内部(外側というべきか)に、意外にも赤い壁があったことを唐突に知らされて、何だか妙な気持ちになる。

私はここで2つの「加害性」の狭間にいて、少し心がヒリつく。ここが、ある建物の機能・歴史を真っさらに覆い隠して別物にしていたのだ、という行為の発見と、熱意を込めて作り上げられたこのBIYONG POINTの壁を、少しキツい言い方をすれば、アートの名の下に破壊した行為。それは、またしてもキツい言い方をすれば、アートの名の下に、敢えてギャラリーに「加害性」を持たせた、とも言える。

もう20年近く前のことになるが、当時まだ療育センターだったこの場所を、仕事で数度訪ねたことがある。ところが私はこの壁紙を全く思い出せない。壁紙どころか、ここが何の部屋だったのかも思い出せない。あの頃、私はまだ若くて、当事者意識だけは十分にあり、しかし、社会人としても人間としても全くの未熟者で、今思い返すと、あれでよく仕事ができたものだと恥ずかしくなる。私がこの壁を思い出せないのは、たんに歳月によるものだけではなく、私の、社会への認識不足、周囲へ心を配っていなかった、見えていなかった。そういうことなのではないか。

ギャラリーを後にしてからも、芋づる式にあれこれが思い出されてくる。
あの時、あの人にぞんざいにされた、あれを却下された。反対にあれは大目に見てもらった、何故かすんなり抜擢された……当時は必死でよく考えもしなかったが、今思えば、あれは私が若かったからそうされた、だけではなく、「若い女」だったからではなかったか、と思い当たるものもある。

人は、自分にふりかかる被害についてははっきりと憶えていても、加害にまわった行為には気づかない事が多い。人は、被害者になった時に深く傷つくが、自分に隠れた加害性を発見してしまった時も、深く傷つく。

被害も加害も、共感の数が多ければ─それがマジョリティとなれば、声を上げやすい。世間というのは、何であれ大体8 : 2の割合なのだそうだ。むろん2がマイノリティ。こういう言い方は少し語弊があるかもしれないが、8 : 2である間は安定状態。つまりこの時、世間は動かない。しかし何かのきっかけで2が3になった時、マイノリティだった価値観が3に達した時に、パタパタと数が増えて逆転していく可能性があるのだそうだ。
世間のマジョリティはもとより、個人の価値観というものも、そもそも日和見的で移ろうものなのかもしれない。では、私たちが過去にされてきた、してきたと記憶している行為の数々は、実際のところ、マジョリティとマイノリティ、被害性と加害性、どちらに位置づけられるだろうか。それは本当だろうか。それは永遠にそうだろうか。

以前、知人がこんなことを言った。

「傷つくことは悪いことではない。絆創膏の『創』の字、あれは傷と意味と創る意味、両方がある。傷つくことそのものは、悪いことではない。人はドン底にいる時に、それぞれに見えるものがある」


もしかすると、傷つけられた、傷つけた、というその記憶を、どちらかに振り分けてみる行為から、もう一歩進む行為があるのかもしれない。「傷」の先に、作られていくものが確かにあるのかもしれない。

引き剥がされ、分断された欠片を集めて、もう一度、ここにテーブルを作り上げるように。

秋田公立美術大学ギャラリー
BIYONG POINT

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