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「全てすでにある」という体験

Safeology研究所研究員の森田です。

山川先生が始めた「自分の中に安心の土台をつくるための研究所」というサンガ的なこの場所で、仲間と共に、自身が体験することから解を見出していきたいとの思いで参加している一個人です。

体験といえば、今日、「野歩き」の専門家Yさんと、30分ほど散歩する体験をしました。私が現在住んでいる長野県北部のとある農村で開かれた、リトリートプログラムを設計するための体験会に、モニターとして参加したのです。

山間の渓流に沿って広がる、そろそろ黄金色に色づき始めた田んぼやまだ実の青いリンゴ畑。その中にある小さな集落の一画に6 畳ほどのタープが張ってあり、真ん中には小ぶりな焚き火台。それを囲むように5つの椅子を置いて、小雨に包まれながら会はスタートしました。

ファシリテーターのHさんが初めに、整体の先生から習ったという10分間ほどの簡単な体操をリードしてくれて、ガチガチに固まっていた肩甲骨や肋骨がゆるまると息が深く入るようになり、自ずとリラックスしてきます。そして五感を1つずつ使いながら瞑想。聴覚、嗅覚、味覚、触覚、最後に視覚。1分間ずつ、その感覚器が受け取るものだけに意識を向けて感じてみると、自然に中にこんなにも多様な音や匂い、動きや色があったのかとハッとさせられました。

体の可動域とセンサーの感度をほぐして広げたところで、Yさんと野歩きに出発です。樹木医でもあるYさんは、ご本人が大樹さながらにどっしりと安定感があり、かつ細やかに道端の植物の一つ一つを解説し、食べられる野草を魔法のように景色から取り出して見せてくれるのです。

初秋の長野では、夏の間に旺盛に茂った葛にちょうど花が咲いており、甘酸っぱい葡萄のような香りを漂わせていました。その花をお茶にできるというので摘み、地面を這うように至る所に生えているカキドオシは和製ジェノベーゼになるというので葉をちぎり、ハナニラや楓の葉は天ぷらに、渓流の中にわんさか自生していたクレソンはサラダにするために、たっぷりと収穫しました。Yさんとたった50mほど散歩する間に、私たちの手にはみるみる食料が集まってきました。そしてそれらは、最初からそこに「ただ生えていた」のです。

その後、持ち帰った野草をみんなで簡単に料理して、焚き火を囲んで食べながら、今日の体験を振り返る対話をしました。

私が感じていたのは、「全てすでにある」という実に満ち足りた感覚でした。五感の一つ一つを通じて感じた自然の豊かなざわめき、そしてお腹いっぱいになるほどの野草をくれる気前の良さ。自然に包まれながら私は深い「安心」を感じていることに気がつきました。

不安から始めることと、安心から始めることとでは、たどり着く先が違ってくるのではないかと思います。行動の集積が人生をつくるのならば、これはとても重要なこと。これまで私は、自分には何もない、まだ足りないという不安と焦りから何かを探し求め、誰かの期待に応えようとしてきたように思います。

しかし、今は違う。

ふと気がつくと、私は働き方や住む場所、共に過ごす人など、だいたいは満足できる環境にいるのだなと思えました。自然がくれた「全てすでにある」という安心感をきっかけに、そんな思いが湧いたのです。全てがすでにあるのだから、自分もありのままでいいのだという肯定感も感じました。これからは、不安からではなく安心から何かを始められるのではないか。そんな気さえしてきました。

例えば今日の体験で私に起こったことの中にある普遍的なエッセンスや筋道のようなものを、抽出し研究していくのがこのSafology研究所の一つの目的なのかなと理解しています。自分の中の安心できるホームを、なんらかの理由で子ども時代につくり損ねたとしても、大人になってから、それは自分自身でつくり直すことができると思いたい。それをするためのシンプルな方法を、論理的に理解し、感覚的に体験したい。「安心のつくり方」を、手に取れるはっきりした形で見出したい。そして、その土台に立脚した時、自分は何を始めようとするのか。

これからこの研究所で交わされるさまざまなやり取りや実験や研究が、とても楽しみです。

文/森田マイコ(Safeology研究所研究員)


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