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たこ天物語 #1  (寒海幻蔵)

 これから語られるのは、われらが「たこ天」の物語。語り手は、寒海幻蔵(さむかい・げんぞう)。われわれPAS心理研究所の理事長の別名であり、「たこ天」村の村長としての名でもある。
 「たこ天」の誕生秘話、今もなお脈々と受け継がれるその精神……長い長い「たこ天」の歴史を、村長、寒海幻蔵が語ります。名づけて、たこ天物語。


 ダルビッシュ有投手が日米通算200勝を達成した。
 かつて、我が道を行く野茂英雄のメジャー挑戦に想いを重ねていた寒海にとっては、感慨深い。
 日米通算200勝の2番手は、広島カープから海を渡った黒田博樹だった。

 広島カープといえば、プロ野球黎明期、万年最下位のお荷物球団。盟主巨人に勝つことだけを存在理由にしていた。
 広島市民は、明らかにアメリカの戦争実験台に乗せられ、全土を焼け野原にされた。一瞬の閃光のうちに世界から消され、日本政府からも復興の叫びを無視された。
 何度も、何度も、見捨てられた。
 それは被爆者個人が経験してきたことであり、その子どもたちもまた、自分は日本人なのか、何者なのか、広島人ではある、と複雑なアイデンティティに追いやられていた。
 盟主巨人だけには勝ちに行く気概が、消されてしまうアイデンティティを保つ旗印にさえなっていた。
 カープは、野球界のお荷物チーム。それでも存在を消させない。
 広島人の悲哀と怒りに重なった。唯一心を元気にしてくれる弱小貧乏チームを、貧乏市民が「樽募金」で支え、泣き笑いを共にした。野球を知らない市民でさえもが持つ、元気をくれるチームへの義理がカープを支え、それがまた自らの生きる力を鼓舞した。


 そんな大人たちを見て育った貧しい子どもたちは、ヤンチャをするしかなかった。
 何か言っても無視される。下手なことを言うと石を投げられる。しつこく言うと横っ面を張られる。面白いことは何もない。食べるものにも事欠く。
 そうなると、柿や芋、いちじくに溢れている山の畑は天国。食欲のまま失敬して、追いかけられるスリルがまた美味しく、面白くもなる。
 何度も追いかけられ、捕まっていると、畑の主に可愛がられるようになる。そうなると、その家の畑からは盗まなくなる。盗みに来るよその悪ガキたちを見つけては追い払って遊ぶ。
 やんちゃなガキたちにも義理があった。


 時代は変わって、義理よりもお金の時代。
 変わらず、資金は豊富でない広島カープ。その分、選手育成に長ける。育てては、選手がピークを迎えると阪神、巨人に、そしてメジャーに持っていかれる。
 なつかしの低迷弱小チームに、純真カープファンは分かりやすい。応援に行きながら荒れた。

 広島市民が荒れ始めた時、黒田博樹は帰って来た。しかも、やはり選手としてピークの時に広島を去った男ーーー阪神の四番を張り、どの面さげて広島に帰れるかと揺れる新井貴浩ーーーを説得して広島に復帰し、二人して市民の誇りの優勝チームを蘇らせた。
 黒田には漢気があった、義理を果たすという。
 それに乗った新井にもそれがあった。
 若い頃ヤンチャだったダルビッシュにも、その気があることを彷彿とさせる逸話が、いくらもある。WBC優勝をもたらした彼のチームへの貢献は記憶に新しい。


 世の中あいかわらず、世界中どこでも強いものが奢り、弱いものをいじめ、搾取し、生きづらい。
 引きこもり、病名をもらって、病気のゆりかごの中で、来ない助けを待ち続ける子ども、大人。いじめ、ハラスメントの末に殺され、あるいは自殺に追いやられる子ども、大人。
 人情薄く、義理は、はや死語か。
 そのため世の中と個人のつながりは、SNSを間に置き、近くて遠いものになっている。


 大人も子どもも、今輝いている者もくすんでいる者も、誰もが世の中からあふれこぼれる不穏な感じを抱えている。世の中を、人を、自分を信じられず、何かはっきりしないイヤーな感じがないかい。
 自分があるようで自分がない。
 かつての寒海の、寒い時代の心があちこちに見える。
 そんな世界を生きた子どもの寒海は、山賊になりたかった。小学校に入った頃、厄介になっていた親族の家が不穏になると、自分から家を飛び出し、山に籠った。戦国時代に山城があった黄金山の中腹に隠れ、笹竹小屋を作り、一人そこに篭った。子ども山賊になっていた。
 たこ天の原点だ。


 子どもは山賊になれた。大人になると、それがとんでもない絶望を生む。
 プーチンさん、今や子どもじゃない。トランプさん、自国の議会を襲わせて、彼も子どもじゃない。正義の戦争とはいえ、ゼレンスキーさんも苦しい。ジェノサイドの戦争犯罪を問われているネタニヤフさんも。組織に続く不正を止められない豊田さんも。みんな苦しい。みんな他人ごとではない。
 世の大人たちは批判をするが、それ以上何もできない。何もできず苦しい。
 ちなみに広島カープの新井さん、選手の時のように勝てない。これも苦しい。


 だが子どもは違う。追い詰められて、自分と自分の周囲を破壊してしまうことから、子どもは逃れられる。もっと逞しくなれる。山賊になることができるから。
 子どもの山賊は、逞しい自然児になることだ。叱られ追いかけられ、逃げて捕まり、自分たちの山に自分たちの村を作り、自然に振る舞い、自然に助けられ、大人とも共存し、大人に希望を与え、大人から知恵と勇気をもらう。
 容赦のない自然と思いっきりの自分で遊んで、今という時を得る。今を生きて過去から解放され、未来を解放する。
 それが子どもの山賊だ。
 誰の中にも子どもの自分が生きている。今も、生きている。
 だが表では死んではいないかい。意識の中にいないだろう。
 表で生かしてやらんかい! これがたこ天だ!

 この夏もやる。来るかい。


 そこでまた会うとして、過去も未来もみな、今ここにあるとか?
 たこ天には長い前史がある。
 聞くかい?

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