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たこ天物語(前史) #5 (寒海幻蔵)

 原始たこ天のスタッフは、学生だった。東京で再出発したたこ天スタッフは、サイコセラピスト。
 サイコセラピストたちが、下働きをし、出店を出す。その出店は、多様な短期集中のグループセラピィ。
 参加者も出店を出す。自分の得意なダンス、楽器・歌唱セッション、ヨガ、筋トレ、サッカー、書道、ペインティング、合唱、盆踊り、そして時には全員での祭りが催される。


 サイコセラピストは、日本には多くはいない。カウンセラーとも違う。心理士、臨床心理士の中にも、サイコセラピィの専門家は多くはない。とりわけ、精神分析を「法灯明」とし、General Systems 理論、量子論を駆使して人の創造的変化を探究する心理療法プロは、国際的にも少ない。


 その仕事の目的は、人がどこで何をしていても、自分の中心軸から自分の居場所を自ら照らし、周囲にwin-winの関係を展開する「自灯明」を発達させるところにある。


 当初は、子どもも大人も村人になっていた。
 幼稚園を通じておしめが取れなかった、小学校一年生のミチル君とお母さん。
 人中で落ち着いていられず、早々と統合失調症と診断された女子高校生のサヤカ。
 食事を一人で摂ることができない。偏食を超えて特定のものしか食べない。他児、大人とコミュニケーションが取れない。当然のように発達障害と診断された小学三年生の子タクヤも、父と二人でやってきた。


 大学生の娘とは全く話ができないが、優秀な、評判のいい教師。
 自分ではその意図はないというが、ストーカー行為によって警察に拘束された男性。
 問題を抱えた難しい人ばかりではない。
 名を聞くとそれとわかる、セレブの女性。業界ではよく知られ、自社にいるよりも講演旅行の多い社長さんもやってきた。博士論文と格闘中の大学院生も。


 人生の見本市でもあるかのように、人それぞれ、さまざまに泣き笑いを持ってやってくる。
 たこ天は、貼られたレッテルのフレームの中で生きるのではなく、生の自分で生きる山賊の村。
 シャーウッドの森の山賊には、ロビン・フッドがいた。みんな犯罪者のレッテルを貼られていたが、森は自由の喜びに溢れていた。


 病気のレッテル、障害のレッテル、教師、芸術家、セレブのレッテル。どんなレッテルを貼られようが、中身はれっきとした生身の人間だ。みんな人間としての資源を持っている。
 人は人の中で育つ。


 ミチル君は、たこ天村でおしめが取れた。
 村長の「おしめ、いらないよな」の声かけに、お母さんの戸惑いをよそに「うん」と答えたミチル君。
 村長はミチル君に言った。
 「もよおしたら、『トイレ行く』と大声で叫べ。叫んだらトイレにダッシュ。」
 声が小さいと、村長から「声が小さい、大声で!」と檄が飛んだ。
 1回、2回、失敗したが、3回目で成功した。
 「トイレ行く」のミチル君は、村の英雄になった。


 サヤカは、人中にいられなかった。
 廃校の体育館が。コミュニティのホールになっていた。皆がコミュニティに集まっている時、いつもうろうろとホールの隅の方を歩き回っては、時に外へ逃げ出した。
 村長は、体育館のど真ん中に、2畳くらいの空間を作った。その周りに卓球台を縦に置いて結界を張り、「サヤカの場所だ。サヤカの許可がない限り、誰も入ってはいかんぞ!」と宣言した。


 サヤカは、その場所ができて、逃げて外に出る代わりに、結界の中の自分だけの場所に入るようになった。そこから出たり入ったりしながら、広いコミュニティ空間にいることができるようになった。
 3年間毎夏たこ天にやってきて、人と話をしなくとも人中にいられるようになった自分を確かめ、大学に進学した。

 

 小さい子どもの変化はいつもドラマチックだ。
 やってきた最初の日の夕食で、タクヤは、出された食べ物をばら撒き投げて、牛乳を要求した。
 「牛乳は明日の朝だー!」 担当スタッフは叫んだ。
 父親は呆然としていた。
 だが沈黙の後、牛乳は自分が買って来る、とスタッフに主張を始めた。そのやり取りで、父親が最初に注目を浴びた。


 その間、父親の視線は逸らし、知らんぷりをしていたタクヤだが、時折、ジーと父親の姿を見る目があった。それを村長は見逃さず、その瞬間「お父さんはタフやー」と叫んだ。
 タクヤの目が一瞬動いた。
 食事毎に、タクヤ、父親、担当スタッフのそれぞれの主張が、村民みんなの前で繰り返された。


 4日目の昼食、最後の食事をタクヤは黙々と食べていた。ランチプレートを、何一つ残すことなく平らげた。
 担当が驚きの声をあげた。その時の担当の目に応え、タクヤは空のプレートを持って村長に駆け寄った。
 村長は皿を受け取って、まるでワールドカップのトロフィのように掲げ、「タクヤがやった、チャンピオンだ」と叫んだ。


 人はいつも変化している。自分で変わろうと思えばいつでも変われる。
 だが周りはそれを許さない。なかなか一人で変わるのは難しい。
 変わるに相棒が要る。変わる自分を受け入れ、確認してくれる人が要る。だから人は、人中で変わることを実感できる。
 だが、人中で変わろうとする勇気がなかなか持てない。


 そこに楽しさがないと、難しい。楽しもうという心が要る。
 それは子ども心にある。
 誰にでもある。お祭りに行こう、楽しみに行こう、という子ども心だ。
 たこ天物語は、自分で綴る楽しい子ども心が切り開く、新しい命の扉だ。


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