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たこ天物語(前史) #3 (寒海幻蔵)

 ケンゾウは二つの世界を生きた。
 家と学校は、いつ死ぬるか分からない被爆者の子。山は自然なまま。
 小学校三年にもなると、笹竹小屋から遠くまで足が延びた。結構汚らしい似た者同士に出会いもすれば、縄張り争いも起きる。
 群雄割拠を夢見るが、どの世もそう甘くはない。相棒ができたと思いきや、中学生を親分に仰ぐ一団にあっさり吸収されてしまう。


 集団になると、やることがエスカレートし、大胆になる。一人山賊は、百姓さんにも仲良くしてもらっていたが、そうもいかなくなる。
 近在では、我らが親分は札付きの悪で鳴らしていたらしい。だが、一団の中にいる者にその認識はない。


 子分たちが知らない山の知識、大人たちの裏をかく術、他のギャングの弱点、親分は熟知していた。だから親分なのだが、それ故に、小学生がほとんどの子分集団は、ことのほか親分を尊敬していた。
 親分の采配で、大人たちに捕まることも稀。他のギャングに囲まれても、関ヶ原の島津軍団さながらに逃げ切れた。


 システム世界の現代、子どもの世界も大人の世界も、出来上がったフレームの中で生かされ、働かされている。
 そんな出来合い世界に、親分は育たない。親分が育つよりも、少しでも不利な状況が生じればそれをなくすことに奔走し、クレーマーを育てる土壌が強くなっている。
 困難を知恵と勇気の断行力によって切り抜ける親分。そのイメージさえ持ち得ない。上が失敗すれば、すげかえればいい理屈が通る。


 窮屈な家と学校、奔放な山暮らし。二つの世界は割れていたが、それで十分生きて行ける。ケンゾウは幸せだった。
 だが人生ままならない。クラスの優等生に絡まれた。
 「お前は不良だよな!」
 山賊小僧を暴かれた。
 女の子たちの興味津々の目は鋭い。好奇の目に囲まれたケンゾウはまた、クラスの異邦人になった。


 目立つことは避けていた。それが逆に働くことを、この後何度も経験する。
 目立っている連中は目ざとい。自分たちと極の位置にいる者が目障りになるらしい。
 目障りな者には、二つの視線が向く。一つは敵意、もう一つは憧れ。
 憧れは裏に隠れ、敵意が表に出る。裏の憧れが強いほど、その敵意も強くなる。
 いじめがエスカレートする力学だ。


 全員が敵になった。
 言ってみれば、関ヶ原の島津公、札付きの山賊親分、宮本村のタケゾウ、自分もそうだ。
 「オーヨ!  俺は不良だ」と応えた。
 いじめられ慣れて覚えた、入り身の術。攻撃に逆らわず、受けた攻撃力を使って自分を通す。


 世界がまた変わった。
 学校、家の自分、山賊小僧の自分。世界は一つになった。
 「命は長くは保たない」の怖れは残ったが、二つの世界を生きなくてもよくなったケンゾウは元気になった。自分の内も外も同じ自分でいることは、気分がいい。
 後々に心理学世界のトップスター、ロジャース先生に会って、それが先生の理論の中核「純生人間」の姿だということを知った。弘法大師の教えでもあった。


 いきなりヒロシマの街に移住し、自分が思っていた自分とは違う自分の見られに翻弄され、ケンゾウは二つの世界を生きた。
 一つは育ったままの奔放な自分。新たにレッテルを貼られた、命短いピカドンの子。
 山と世間、どちらの世界にいるかによって、常に他方の自分を押さえ込むエネルギーを使わされていた。


 どっちも自分。今で言う量子論的な多世界を生きる自分。外に規定される自分、規定されない自分。
 どっちの自分もOKとした自分になると、自分の世界が広くなり大きくなる。気分がいいわけだ。
 そうなると、外から見る目もシンプルになる。大人たちも遠慮なく叱り、悪さには罰を与え、山賊親分のようにリーダーシップを発揮すれば買ってくれた。多世界自分をそれぞれに可愛がってくれた。


 だがケンゾウの中で、誰も助けてはくれない不安は残った。
 その取り扱い不全度は、歳を取るにつれ高まった。何歳まで自分は生きられるのか。誰も知らないし、誰も何も言わない。
 後々、心理療法家になって知った。
 そのような不安を体験するのは、なにも被爆者だけではない。人間であれば、誰にもその不安は奥深くある。


 どんな形であれ、大人も子どもも、いじめられは辛い。耐え難いところに至り、自死に追い込まれる道理もある。
 自分は生きられるのか、と死の恐怖に直面すると、何も感じないうつ病になるか、自分をバラバラにして精神病反応に至るか、自ら死を選ぶか、といったことは起きる。


 そうなる前兆は、はっきりしている。
 孤立だ。
 孤独よりも孤立が危険。
 いじめられだけではない。なんであれトップも、孤立から死の恐怖に襲われる。
 ピカドンだけではない。大災害、大事故、金メダルも危ない。売れに売れたタレント、大企業トップ、トランプさんもプーチンさんも、みんな孤立はすぐそばにあり、危ない。


 お釈迦さんは、自灯明法灯明と教えられた。
 武蔵も大師空海も、みんな苦しみ抜いてその境地に達したらしい。並の人間には、それは難しい。当然、ケンゾウには無理。
 天涯孤独という言葉が嫌いだった。千羽鶴も嫌いだった。
 逃げて引きこもっても、ますます孤立に追い込まれた。
 自分の場所、自灯明を得て、山賊の親分が法灯明の足がかりをくれた。


 人間、捨てたもんじゃない。
 人は一人に生まれ一人で死ぬ。
 精神分析の基本の基。孤立から自灯明へ、死あっての生。
 足がかりは、山賊に、たこ天にある。

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