北方領土問題に関して【訂正】-二島主権論の提唱

北方領土への主権の有無について、色々と検証した結論を記載する。


法学に精通している友人と精査し議論をした結果、法的効力に関して訂正が発生した。

北方領土への主権の有無について

1.政府の主張の根拠

・日本はロシアよりも先に北方四島を発見しており、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立していたて、ロシアの勢力が四島まで及んだことは終戦まで一度もなかった
・1855年(安政2年)に日本とロシアとの間で平和的・友好的に結ばれた日露通好条約よって四島は日本の領土と確定した。。
・日本との日ソ中立条約に違反して日本を侵攻し、日本が降伏した後にソ連は北方四島を占領した
・当時四島にはソ連国民は1人もおらず、日本人は連行
・米国政府も日本の方針を支持している

2.北方領土問題略史

~19c 日本が発見、主にアイヌが住んでいた
1855 日露通好条約により得撫ー択捉間に国境
1875 樺太千島交換条約発効
1905 ポーツマス条約
1941 日ソ中立条約、関特演、太平洋戦争開戦
1945 ソの対日侵攻、ポツダム受託
1951 サンフランシスコ平和条約
1956 日ソ共同宣言
1991 ソ連崩壊

3.検証

政府の主張についての再考が必要と思われる。
主に、
・ソ連の対日侵攻に関する合法性
・国際法上における主権の帰属
・「千島列島」が示す範囲
について検証すべきである。

4.対日侵攻の合法性

4-Ⅰ.関特演に関する問題
日ソ中立条約が1941年に締結されたが、同年関特演により相互不可侵が定められた条約において破棄が発生した可能性もある。しかし、1945年4月に再延長を否認を表明する等ソ連内においても有効であるという認識でもある。双方の国家間の認識では関特演はソ連侵攻の理由の日ソ中立条約の破棄としては認められないのではと思う。

4-Ⅱ.時系列におけるソ連の正当性の有無
しかし、それは満洲への侵攻が正当でないとは言えるが千島列島への侵攻に関して適用されるのか疑問である。
日本はポツダム宣言の受託と同時に領土が限定されていた。ポツダム宣言は日英中で発表されたが途中でソ連も参加していたので、これはソ連に対しての効力も持つ。この時、8/14にポツダム宣言を受託、9/2に降伏文書に調印。日本は本土4島と周辺小島以外の主権を放棄している。
周辺小島に関する範囲についても後の項で触れるが、周辺小島の範囲に日本の主権の有効性と日ソ中立条約違反かどうかの議論はこれに依存するので合法とも違法ともなり得る。詳細は後述する。
またポツダム宣言の受託により国際法上の戦争は終結しているのか、降伏文書受託により戦争が終結したのかの解釈に依存し、不拡大方針に則っているかついての明確な結論はでないと考えられる。
 
4-Ⅲ.考察
確かに8/8以降のソ連侵攻は中立条約違反であるかも知れないが、8/17以降の千島列島への進出に関しては周辺諸小島に関する結論が出ていない現時点で結論を下すことは不可能。

5.法的な主権の帰属

5-Ⅰ.日露通好条約
第二條*1*
今より後日本國と魯西亞國との境「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「ヱトロプ」全島は日本に屬し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亞に属す「カラフト」島に至りては日本國と魯西亞國との間に於て界を分たす是まて仕來の通たるへし
*1* (一)明治八年樺太千島兩島交換條約アリ(第六八〇頁參照)
◯主権は日本に帰属

5-Ⅱ.樺太・千島交換条約
 第二款 全魯西亜国皇帝陛下は、第一款に記せる樺太島、即薩哈嗹島の権理 を受し代として、其後胤に至る迄現今所領『クリル』群島、即ち第一『シ ュムシュ』島(中略)第十八『ウルップ』島共計十八島の権理及び君主に 属する一切の権理を大日本国皇帝陛下に譲り、而今而後『クリル』全島は 日本帝国に属し、柬察加地方『ラッパカ岬』と『シュムシュ』の島の間な る海峡を以て両国の境界とす
◯主権は日本に帰属

5-Ⅲ.ポツダム宣言
八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
◯諸小島に北方領土が含まれるか否かによる。一般解釈によると得撫島以北は放棄しているが、明記されていないので現時点でこの議論は避ける。ただこの議論に関しては後の項に譲りこれ以上は書かないとする。

5-Ⅳ.降伏文書
(外務省和訳文)我々はここに、ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること並びに同宣言を実施するため、連合国最高司令官またはその他特定の連合国代表者が要求すべき全ての命令を発し、かつ、かかる全ての措置を取ることを天皇、日本国政府及びその後継者のために約束する。
◯領土について特別には書かれていなかったが、宣言の履行ということに収められていると考えられる。

5-Ⅴ.連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号
3 この指令の目的から日本と言う場合は次の定義による。
日本の範囲に含まれる地域として
日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼
日本の範囲から除かれる地域として
(中略) (c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。
6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。
◯日本の範囲から一度千島列島と北方領土は外されてるが、SCAPINを定めた目的は行政の問題であり、「我々の決定する諸小島」には当たらないことが規定されている。

5-Ⅵ.サンフランシスコ平和条約
第二章 領域
  第二条
(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
◯実質的な国境画定であるが、何度も言うように「千島列島」の範囲は何処なのかという解釈による。
また、平和条約締結迄に「我々の決定する諸小島」について言及されることが無く、この部分の法的有効性が疑問視される。

なお、対日平和条約の起草は、対イタリア平和条約成立後の1947年3月、米国国務省の担当者が領土関係規定について起草したとされているので、米国側の解釈に依存する。

5-Ⅶ.考察
・〜1945までは日本に正当な主権が存在
・①「諸小島」の範囲は何処なのか?具体的にGHQから提示されていないので発効していない可能性が高いのでは?
②千島列島の範囲は何処なのか(サンフランシスコ平和条約における米政府の解釈は何か)
この2つに関する結論が出ない限り主権の帰属は断定できない。

6.「千島列島」の範囲

現在において、
日本側は得撫島〜占守島
ロシア側は歯舞群島〜占守島
であり、当事国間で解釈にズレが生じることは領土問題おいての前提である。
6-1.1945年までの解釈
日露間の協定で効力を有する樺太千島交換条約を参照にしても『所領『クリル』群島、即ち第一『シ ュムシュ』島(中略)第十八『ウルップ』島共計十八島』や『『クリル』全島は 日本帝国に属し、』という部分は「クリル諸島のうちロシア領の18島が引き渡された結果全てのクリル諸島が日本領になった」と捉えるのか「クリル諸島18島全てが引き渡されたからクリル諸島は日本領である」と再確認しているのか、当時の解釈に依存してしまうので明確には断定できない。しかし、日本が地方区分として一帯に置かれた千島国は当初択捉島と国後島が属しており、交換条約後に占守島までのすべての島が含まれるようになった経緯がある。なおこの後色丹島も根室国から分離されて千島国として扱われている。
しかしサンフランシスコ平和条約などにおける起草はアメリカ国務省であり、アメリカの千島列島に関する解釈に依存する。
6-2.アメリカ側の一般解釈
アメリカ側が明確に範囲について明言した資料はGHQの前章に挙げたSCAPIN-677である。前章に引用したように国境を画定する根拠にはなり得ないが、千島列島の範囲としてGHQの解釈が伺える。なお、事実上GHQはアメリカ中心となって組織されており、戦後期の実効支配においてはアメリカの単独占領であったことも考慮し、両者の意向はかなり類似していると解釈する。これにおいて、『千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。』と敢えて表現されていることからGHQとしては択捉、国後までが千島列島と捉えていることが読み取れる。よってサンフランシスコ平和条約においても千島列島の範囲は国後〜占守島までの範囲であることを前提としていると推測することができる。
また、我々の決定する諸小島はGHQ側から明示されていない。よってこの条項自体無効であると考えられる。しかし、サンフランシスコ平和条約において千島列島が放棄されたという事実に影響を及ぼすこと無い。

6.5.ソ連侵攻の正当性の考察

「我々の決定する諸小島」の無効性が5章において示された。よってソ連は日本が主権を完全に放棄したとは言えない北方領土に関しての侵攻は遡及的には違法という見方が可能である。しかし、北方領土に関しての国境画定が為されなかった当時を考慮するとかえってソ連側の法的な返還義務を伴わないのではないか。そして領土画定は二国間の同意を伴うが、放棄は一方的な物でも効力を持つので日本の放棄地に関してのソ連の支配は妥当である。

7.結論

国後島、択捉島は千島列島に含まれ、色丹島、歯舞群島は千島列島の範囲外である。よってサンフランシスコ平和条約以降日本は国後島、択捉島に対する請求権を破棄している。
ポツダム宣言における「我々の決定する諸小島」は、GHQが平和条約まで一度も画定していないので最終的に無効となったと考えられる。よって、ソ連の満州への侵攻は中立条約違反、北方領土に向けての進出は、遡及的に解釈すれば中立条約違反かつ国際法の違法であるが、当時確定していなかった状況においては必ずしも違法かつ返還義務を伴うとは言えない。
サンフランシスコ平和条約における放棄地においてはソ連は主権を主張する権利はあるが、放棄していない土地については日本側の主権の余地も伺える。






以上のことより
日本は色丹島、歯舞群島における主権が存在している為、二島返還が妥当である。


(一般的な二島返還論は四島返還の諦めに対する妥協としての意味合いが強いが、結論においては二島に主権が存在するという意味合いである。)

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