私が線路に落ちたときのお話

各駅停車の出入口が、むせ返るような人間の束を吐いた後の出来事です。

本来ならば次の急行電車が来る間際、私は線路に堕ちました。
私がなぜ墜ちたかなんて覚えていません。ただ吸い込まれるように、アナウンスを皮切りに、簡素で冷え切った椅子から傾き、墜ちたのです。

華奢な私は、下り線の高さと敷き詰められて冷えきった石とで随分な怪我をしました。

でも救急車なんて来なくって、代わりに男の警察官が私を羽交い締めにしていきました。鈍く痛む足腰は、大勢に押さえつけられるだけで強い麻酔のように働き、気を失うには十分でした。

次に意識を戻したとき、私は檻の中にいました。おそらく留置所とでも言うのでしょうか。小説では読んだことがありました。

私が何を訴えても、警察官は汚言を吐くばかりで。私は犬小屋の毛布のような茶色の物質に身を包み、私の傷跡と一緒に一夜を過ごしました。

檻を出ると、私の荷物は警察に総て整理整頓されていました。それから、身分証で知れたと思われるママに連絡が行ったようです。ママはママの彼氏を連れてお迎えに来てくださいました。

お迎えに来てもらう間、私は傷跡が痛くって、談話室の床に寝転がっていました。でもちゃんと職場には連絡したんです。「風邪を引きました、一日休ませてください」と。はっきりとしたいつもの声で。

ここでやっと気が付きました。私だけが痛いんじゃなくてみんな痛いんだって。私を汚物のように扱った警察官だって、職場の上長だって、私のせいでダイヤグラムが乱れて帰宅が遅れた乗客だって。きっとみんな痛かったはずです。

ママに、そんなことをただ言ってみたかったのですが、ママとママの彼氏は、何か別の話に夢中でしたので差し控えておきました。

痛いのが私だけだったらいいのに。そんな気持ちは更に膨らみました。

だから、せめて私だけでも長く、痛く、苦しんでおきたいと思いました。それで、怪我のことは兎に角誰にも内緒にしておくことにしました。

それからしばらくして私の傷跡と痛みは、奇麗に、それでいて唐突に、消え去ってしまいました。

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