自分がどれだけ心配性かとお悩みの方へ
私は筋金入りの心配性です。
たぶん、クヨクヨ悩むことにかけては誰にも引けを取らない自信があります。
人とzoomで2時間も話せば、
終わったあと必ず頭を抱え、
小一時間はなにもできずに部屋でグッタリしています。
相手がどんないい人でもそうです。
ああ私、また余計なこと喋ったんじゃないだろうか。
変な自分語りしちゃったんじゃないか。
勘違い発言しちゃったんじゃないか。
知らずに誰かの悪口を言っちゃったんじゃないだろうか。
それらの考えがうずを巻き、そして必ず思うのです。
ああ相手はきっと私のこと、おかしな人だと思っただろうなあと。
おかしいのは生まれつきなんだから今さら気にする必要はないのに、
私の頭は感心するほど、次から次へと新しい心配事を作りだします。
ちなみに昨日の悩みは、
「ベランダに植えたユウガオの芽が出かかっていたのがなかなか種から出ることができず、昨日とうとう力尽きて立ち枯れたのを見たこと」でした。
これが、コロナの恐怖よりもランキング上位なんですから情けない話です。
自分でもビックリするほど落ち込みました。
早く芽が出ないかな出ないかな、と思いつつ毎朝水をやっていたのですが、
なかなか頭に種の帽子をかぶった状態から脱出できない様子を見て、
手伝うべきか、いや可愛い子には旅をさせろの精神でただじっと見守るべきか、
そんなことをクヨクヨ考えつつ、日々様子を見ていたところ、ある朝とうとう力尽きてご臨終になっていました。
私は自分を責めました。
ああこんなことなら静観などせず、とっとと手を貸してやりゃよかったと。
しかしこういうとき、私はすぐ「野鳥のヒナが巣から落ちたら手を出してはいけない」云々の余計な知識が頭を駆け巡ります。
なので、それらの情報が邪魔をして、なかなか決断ができないんです。
(相手が生き物の場合は別です。
ネコズに少しでも異変があったら、秒で病院へ連れていきます)
で、そういうおのれの決断力のなさにほとほと嫌気がさし、ゆうべは映画『怪談』を観ながら耳なし芳一の弾く琵琶の音色に心をなぐさめられておりました。
たかがユウガオの苗ひとつ育てそこなったくらいで、壇ノ浦に散った平家一門の恨みつらみ無念と己を重ね合わせてしまうという、そんな自分の傲慢さがつくづく情けなかったです。
気を回しすぎて自滅する、これは普段の生活でもほんとうに多く、
考えが何周もしてしまい、もはやトラック何周めだかわからなくなり立ち往生するマラソン選手が他人事と思えません。
ここまでくると、もはや趣味です。
でも、こんなに苦しいのですからやはりきっと趣味ではない。
世の中には苦しみそのものを快楽にする人もいるようですが、私はこれ、昭和の家電みたいに叩けば治るものならブッ叩きたい。
だから、快楽じゃないと思います。
一見、そんな風には見えず、外見が自信満々に見えるらしいのが、私のこの問題をさらにやっかいにしています。
年のわりには元気な人、というのが私の印象だそうですが、たくさん喋るのは言いたいことが山ほどあるせいだけじゃなく、
沈黙がこわい
からです。
要するに、シンとなった瞬間がおそろしく怖いのです。
しかも「いい人だ」と思われたいというスケベ心があるものだから、
相手によく思われそうなことを次から次へと喋ります。
多く喋れば喋るほど多くを失うのがわかっていながら、
それでもなおかつ喋るのがどうしてもやめられない。
だから、そういうのがまったくない、沈黙に耐えられる人というのが本当にうらやましいです。
以前、何度も何度も手を洗わないと気がすまず、カギをかけたかガス止めたか気になって外出もロクにできない、という友人がいました。
大変だろうなあ、と思いました。
ですが、それはたぶん「病気」です。
きっと投薬なりカウンセリングなり、具体的な治療法があると思うのです。
私のはそうではありません。
ただ生まれつきの「性分」です。
「病」ではなく「気質」なので、お医者さまに行っても解決しません。
数日経てば「なぜ私はあんなことにクヨクヨ悩んでいたんだろう」と思うような、
つまらないことで一生懸命悩む脳を私は持っているのです。
「佐伯さんは、考えていることの9割くらいは削除したくらいでちょうどいいですよ」
と言われたことがあるのですが、
たぶん、私の頭は普段からそれだけ余計なことでパンパンなのでしょう。
ですから、今のコロナ下においてはむしろ問題が「パンデミック」に集約され、
もろもろの心配事から私はかえって自由になりました。
ですが、緊急事態宣言が解除になり、またぞろ心配の芽が雨後のタケノコのように続々と生えつつあります。
ユウガオの芽が出なかったくらいでクヨクヨしてるのがその証拠です。
なにかこれを解消する良い方法はないものかと思うのですが、これを書きながらふと思いました。
もしかしたらこの心配性も、見方をかえれば私という人間を形成する大事な一部なのではないか。
ものかきには自殺者が多いといいますが、これは机に座ってひとりものを書き続けるという行為がいかに人間の心身に悪いかという証明です。
幸い私はレジェンドの文豪の方々のように頭が良くはないのですが、
(ひとはアタマが良すぎると自己否定に走ります)
物書きという職業柄、ややもすればやはりその手の落とし穴にはまる危機感は持っているので、
猫をモフったり夜中に飲みに行ったりいきなり部屋にジョイントマットを敷いてキックの練習などを始めたりと、自分をフォースの暗黒面に落とさない工夫はしています。
ようするになにが言いたかったかといいますと、
こんな心配性の私でもどうにか生きています、ということです。
あとはこの心配性、なにか良い解決法をご存知の方がいれば教えてください。これはほんと。
あ、でもその代わりにラクになったら文章書けなくなっちゃいますよ、とかいうのは嫌ですよ。
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