記憶の風景2(馬見丘陵公園2019年4月11日&12日)

画像1 記憶の風景シリーズ第2段。手始めに、奈良にある馬見丘陵公園の春を、少しずつお裾分けしています。(撮影は2019年4月) 自分の目で見に行けない今こそ、写真という記録、世界の切れ端がありがたいですね。
画像2 満開の桜の向こう側に、色とりどりのチューリップ畑が見渡せる絶景。この一枚だけでも、この日肌で感じた清々しい空気感が甦ってきます。広々として長閑な、お気に入りのポイントです👍
画像3 ここは桃園も充実しています。桃とカラス……って、なんか昔話にありそうなシチュエーション?  カラスも可愛いですね😍 人間界では、どちらかというと嫌われ者の部類ですが、私はけっこう好きですよ。じっと見つめていると、だんだんこちらの視線が気になって、そわそわし始めたりする姿が、どことなく人間臭くてご愛嬌です👍 笑
画像4 四季の花々は止まることなく時を刻み、次々に咲いては散っていく。それを見逃さないよう、小まめに撮影しに行くのに夢中だった頃は、思えば見るより撮るのに精一杯で、本当の意味でちゃんと堪能できていなかったかもしれません。
画像5 人間界の時間だけが突如として止まり、世界から切り離されてしまった今、改めてこれまでの風景を振り返り、整理して、噛み締めるというのは、取り零してきた貴重な時間を生き直す大事なタスクのように思います。
画像6 空っぽの蒸気機関車のように、無心にひた走ってきた結果が今だとすれば、慌ただしさの中で指の隙間から零れ落ちてしまっていた未使用の時間の中にこそ、進むべき先の見えなくなった今の生活を、豊かに彩るヒントが潜んでいるような気がします。 仕事や旅に出かけられなくなったからといって、暇なんてない。またいつ何時奪われてしまうともしれないこの瞬間に、人生の零れたパーツを生き直す。今のうちに昇華し尽くす。それが今唯一できることではないでしょうか?
画像7 現実味のない将来の希望を捏造して気休めを語るのは、私の柄ではないのでやめておく(笑) 確かに私たちは、酷い状況に直面している。世界恐慌などという表現では、可愛すぎるレベルだ。 ただ、もはや笑うしかないほど振り切ってしまっている状況だからこそ、諦観して楽しめる「今」もある。そういう話です。だからまずは、通り過ぎてきたはずなのに未使用同然だった時間の断片を拾い集めて、改めてじっくり味わってみることにした。
画像8 ちなみに、先ほどの上二枚↑の赤い花も、実はチューリップなんですよ(^_-) 八重咲きだと、まるで違う種類の花みたいに見えますが。 ここのチューリップ畑は本当に大規模で種類豊富! 「畑」と言っても、広大な敷地内全域にぎっしりチューリップが咲いて、見渡す限りの花景色ですからね🌷✨ ブルーのネモフィラとのコントラストも見事でした。 人間社会はもう取り返しのつかないところまで来ていて、完全には元通りにならないだろうけど、再びここを訪れ花を見られる程度には、いずれ必ず戻るでしょう🎵 今はそれだけで充分です。

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