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月と姫の転生物語 第7話


1.紙屑の花

 麻上との通話を終えた俺は、すぐさま石島のクラスへ向かった。

「授業中にすまない、石島はいるか?」

 数学の授業中だったらしい。
 一同の視線が俺に集まるが、それはすぐに石島へと向きが変わった。

「月詠くんと、讃岐くん!」

 俺を見て首を傾げていた石島が、絋介の姿を確認した途端、机に手をついて立ち上がった。
 目がキラキラと輝いている、彼の脳はなにを妄想しているのであろうか。

「どうしたの? なにか問題が起こった?」

 授業中にも関わらず石島は席を立ち、机の合間を縫って俺の元へ来た。

「あぁ、大問題だ。しばし話を聞かせて欲しい」
「うんうん、わかったよ。すぐに行こう」

 俺の手を引き、教室を飛び出す石島。

「あ、おい! 待てよ!」

 石島を引き止めるべくやってきたのは教師、ではなく同じ教室にいた大伴だった。

「問題って何だよ、おい! 月詠!」

 喚き散らす大伴を無視し、俺は石島を連れて美術室に向かった。
 なんせ俺はもう、月詠ではない。
 他の生徒や教師までも呆然とし、誰も後を追ってきたりはしなかった。

「桜の小道具?」

 美術室で事のあらましを聞いた石島が、不思議そうに首を傾げた。

「再度説明する。あと数時間で姫がこの学校に来る。その時、姫が到着すると同時に桜吹雪を彼女に見せたい」

 やはり石島は、そして絋介と大伴までもが首を傾げる。

「月詠、おまえ、なんだって桜吹雪を?」
「大伴、悪いが俺はすでに月詠の名を捨てている」
「はぁ? なに厨二病的なこと言ってんだ」
「厨……」
「今の帝はただの帝なんだよ」

 絋介が助け舟を出してくれたが、大伴は訳がわからんというようにに眉間に皺を寄せている。
 そして俺も、今の厨二病呼ばわりは結構効いた。
 彼の言葉は今後、無視することにしよう。

「桜を見に行こうと、姫と約束を交わしたんだ。桜吹雪を見れば、姫も俺への気持ちを改めてくれるかもしれないと思って」

 咄嗟に思いついた作戦だったが、声に出すと安っぽく感じられた。
 項垂れる俺を囲む絋介、石島、大伴の三人が、互いに顔を見合わせた。

「うん、そういうことなら協力するよ」
「なにもないよりはマシだろ」
「桜吹雪かぁ。羽姫、喜ぶだろうなぁ」

 彼ら三人は茶化すことなく、俺の言葉を真正面から受け止めてくれた。

「……ありがとう」

 だから俺も、素直に返事をすることができた。

「でもさ、月詠くん。桜吹雪なんてどうするの?」

 しかし石島の言葉で、俺は現実に引き戻される。

「石島、君は演劇部だろう? 小道具で桜吹雪などを作ったことは?」
「えっ? ないない。そもそも、小道具なんて使ったことないし」
「……は?」
「演劇部の部員って僕一人だから、大した劇は出来ないんだよね。だから小道具を使うことはないよ」
「去年の学祭を見たが、おまえ一人で踊ってるだけだったよな?」
「あ、大伴くん見に来てくれたんだ、ありがとう」
「俺も見た! レオタードを着た男が一人ダンスしてるだけの、わけのわからない劇だった」
「讃岐くんまで、ありがとう」
「褒めてるわけじゃないよ。そうかぁ、あれ石島だったのかぁ」

 俺をよそに、昔話に興じる三人。
 いや、待て。それならば、俺が石島に声をかけた意味とは?
 落胆する俺をおいて、きゃっきゃと談笑する男ども。気色悪いことこの上ない。
 その折、なにかを思い出したように大伴が俺の方を見た。

「月詠、花吹雪ならおまえのクラスにあるんじゃないのか?」
「すまない、大伴。俺は君とは会話をしないと決めているんだ」
「なにいってんだ、そういう物言いが厨二だって言ってんだよ」
「まだ言うか」
「それより、月詠のクラスは文化祭に花咲爺さんをするんだろ? なら、桜吹雪の小道具あるんじゃないか?」
「……そうなのか?」

 初耳だった。
 いや、俺が不真面目とかクラス行事に対して無関心だとかそういうわけではなく、知らなかっただけで。
 もしかしたら俺は、協調性がないのかもしれない。

「たしかに! みんなで花吹雪というか紙吹雪作ったよな、帝」
「……俺は参加してないな、その会に」
「あの紙吹雪、美術準備室に置いてたはずだけど」

 立ち上がった絋介がロッカーを開け、バスケット籠を抱えて戻ってきた。中には桃色の紙屑の山。

「これじゃ少ないかな。クオリティ低いし」

 絋介の言葉に誰も反応しなかった。彼が持ってきた物は花吹雪に見せるには程遠い、桃色の紙切れだった。
 一センチ四方にカットされた紙切れも切り口が雑で、正直言ってゴミ屑(くず)にしか見えない。

「これは、姫も感動するどころじゃないよなぁ」

 顎に手をあてて唸る大伴。
 不本意だが、彼のいう通りだ。

「でも、遠目で見たら桜に見えないことも……数を増やせば何とかなるんじゃないかな?」

 石島の助言によって、美術準備室の備品を使って桜に似せた紙吹雪を制作することにした。
 桃の色紙を切ったり、白地の紙に絵具で色をつけたり。一時間経つ頃には、バスケット三つ分の紙吹雪が出来上がっていた。
 時刻は午後三時前。
 そして三時になると同時、携帯が音を立てた。

『やぁ、調子はどうだい?』

 相手は藤宮だった。嫌な予感がし、背中を汗がつたう。

『姫がお目覚めだ、三十分もしないうちにそちらに向かうだろう』
「……承知した、感謝する」

 会話は十五秒で終了した。まぁ、特段話すこともないのだが。

「羽姫がもう来るってこと?」
「その様だな……君たちに感謝してもしきれない、本当にありがとう」

 頭を下げるが、絋介と石島、大伴の三人は煮え切らない表情で作り上げた花吹雪を見つめていた。
 俺を含めた皆わかっているのだ、こんな紙屑で姫の心を動かす事は出来ないと。

「姫は、本当に東城に行ってしまうのか?」

 神妙な面持ちの大伴に、俺は頷いた。

「姫が本意を変えなければ」
「こんなに一所懸命に紙吹雪作ったんだから、きっと大丈夫だよ」
「ありがとう、石島。しかし、努力が常に身を結ぶとは限らない」

 シン、と静寂が室内を包んだ。
 なんとか空気を変えないと、と、バスケットを抱えて立ち上がる。

「最善は尽くすつもりだ、それで報われないのなら、致し方無いだろう」
「帝……」
「月詠……」
「月詠くん……」

 わっと、感極まった三人が俺に抱きつく。
 いや、だから、このようなむさ苦しい様(さま)は好きではない。

「友情って素晴らしいね! 次の舞台の脚本にしていいかな?」

 場の雰囲気を読もうとしない石島の言葉に、彼の頭に紙吹雪をぶちまけそうになった。

「今は時間がない、とにかく今は姫が到着するまでに待機をしておく」

 部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、扉が勝手に開いた。

2.蔵持

 扉の向こう、目の前にいたのは蔵持だった。
 これまでに散々、恋人候補の説明をしたがこれで最後だ。白銀を根とし黄金を茎とし、真珠の実をつける木を所望され、金に物を言わせて本物と見間違う様な上物を姫に献上した男。
 俺の手回しによってそれが偽物と判明したのだが、その事件より以前から、彼は俺に対して妙な対抗心を燃やしている。
 なにかにつけて俺に競ってくる、面倒くさい男だ。

「なにしてるんだ、月詠」

 にやにやと下品な笑みを浮かべる蔵持が、美術準備室を見渡す。

「あぁー、なるほど。文化祭の準備をしていたのか」
「君には関係ないだろう。どいてくれないか?」
「文化祭だというなら関係あるんだよなぁ、俺にも」

 冷笑を浮かべた蔵持が、俺を通り抜けて美術準備室の中に入る。
 緊張で硬直する絋介たちだが、蔵持は彼らさえも素通りし部屋の奥に進んだ。
 奥に積み重ねてあったダンボールに手を置き、にんまりと笑う。
 彼の手元には、同じ大きさのダンボールが十つ積み重ねられていた。

「月詠、お前の負けだ」
「? 意味がわからない。君はなんの話をしている?」
「月詠のクラスが花咲爺さんをやると聞いて、俺は決意した。絶対に負けない、俺のほうが上だという事を思い知らせてやると」
「……そうか。いや、だから、君は何を話している?」
「月詠、お前に対抗すべく考えた俺たちのクラスの出し物……脚本演出小道具に至るまで全て俺が制作した、俺の出し物は花咲婆さんだ!」

 バッサァ、と蔵持がダンボールの一つを床にぶちまける。
 中には桜の花弁が入っていて、ふわりと舞ったそれが床をピンク色に埋め尽くした。

「……桜の、花弁? じゃない、これ、紙?」

 指で花弁を掴む絋介が、それが本物の桜ではないと言い当てた。試しに一つ拾ってみると、それはよく出来た紙切れだった。
 しかし形はきちんと桜の花の形をしているし、色だって階調が様々で見事だ。
 一見では、本物と区別がつかないだろう。

「どうだ、月詠。貴様にこの花弁は作れないだろう?」
「あぁ、見事な花弁の群れだ。しかし、何故(なにゆえ)これを?」
「言っただろう、俺のクラスの出し物は花咲婆さんだと」
「ほぅ、概要は?」
「心優しい婆さんの飼ってた犬が、婆さんに金貨の在り方を知らせる話だ。それを聞いた隣の意地悪爺婆が犬を連れ去り……」
「あぁ、うん、わかった。つまり花咲爺さんの御爺を老婦に変換した話だな」
「そう言ってるだろ。月詠のクラスに対抗するためにな」

 なぜ、彼はこれ程までに俺を敵視しているのだろう、甚だ謎である。
 しかし今は、その敵意に感謝すべきかもしれない。

「君は俺に対抗するために、桜の花弁を作成したと?」
「そうだ、恐れ入ったか?」
「あぁ、見事なり。そのダンボール、全てに同じものが入っているのか?」
「同じではない! 微妙に色合いを変えて作ってある。触らない限り、本物だとは気づかないだろう」
「正に、目視では偽物だとわからぬ。そんな物が、こんなにたくさん在ろうとは……」

 ちらりと絋介たちに目をやった。
 蔵持の気迫に圧倒されていた彼らだが、俺の目配せに気がついて慌てて立ち上がった。

「素晴らしいね、蔵持くん!」
「たいしたもん作るじゃねーか。才能あるよ、おまえ」
「そういえば羽姫の恋人探しの時も、見事な偽物を作り上げてたな」
「おい、なんだお前ら」

 わらわらと蔵持の側に群がる絋介、石島、そして大伴。
 狼狽する蔵持が彼らを振り払おうとするが、ヘラヘラした態度に戸惑って敵わない。

「君の敵対心に、今ばかりは感謝する、蔵持」
「は? おい、月詠!」

 ダンボールを二箱抱え、俺は美術室を飛び出した。
 捕まえようとする蔵持だが、絋介たちに阻まれて追いかけて来れない。

「ふざけんな、おい月詠!」
「行かせてやれよ」
「羽姫を連れ戻せるのは帝だけなんだ」
「青春最高!」

 喧騒を背に駆け出す。
 しかし二箱でなにが出来るというのだ、そもそも桜吹雪など、どのようにすれば……
 そしてふと、目の前に見えた人影に足を止めた。
 膝上十五センチのミニスカートを履く彼女は腕組みをし、呆れたように俺を見つめた。

「ほんと、自分勝手な人ですね」

 亜麻色ウェーブのゆるふわ髪。
 フランス人形のような日本人らしからぬ美しい女子高生が、俺の方へと足を踏み出す。

「それだけの量でどうしようと? そもそも桜吹雪を吹かせるって、具体的にどうするか考えてます?」
「いや……」

 歯切れの悪い俺の返答に、目の前の少女が、香坂繭が愉快そうに微笑んだ。

「お困りのようですね、先輩。私でよければ手助けしますよ?」
「君は本当にどうしようもなく、そして途轍もなくいい女だな」
「今さら気づきました?」
「いや、以前から知ってはいたが……」
「それでも好きになることはない? まぁ、いいですけど」

 くすくすと笑った繭が、俺の腕にある段ボール箱に目を向ける。

「まずはダンボールをすべて外に運び出しましょうか。みんな、聞こえた? さっさと動いて」

 繭がパチンと指を鳴らすと途端、廊下の隅に隠れていた男子生徒たちがわっと姿を現した。
 その数、十、いや二十人はいるだろうか、とにかく多かった。
 彼らは美術準備室に乗り込み、ダンボールを抱えて繭の元へ戻ってきた。

「繭、この男たちは?」
「先輩言いましたよね、私は選ぶ立場にあると」
「あぁ、たしかにそう言ったが」
「先輩に振られたので、新たな恋人を探している。一言呟いただけで、これだけの男が集まってくれました」
「……俺と君が色恋沙汰の話に決着をつけたのは、今朝だよな?」
「短時間で数多の男が群がるほど、私は魅力的なんです。こんな女、なかなか居ないですよ? 振ったこと後悔しました?」
「いや、それはあり得ない」
「正直過ぎです、先輩。そういうところも貴方の魅力ですけど」

 ため息を吐いた繭が歩みを進め、俺の脇を通り抜ける。
 振り向かぬまま、繭は美術準備室に入っていった。

「なんだ、お前!」
「初めまして、蔵持先輩」

 蔵持の怒声と、それを宥める繭の声が聞こえた。
 すると、十秒も経たぬうちに蔵持が廊下に飛び出してきた。

「月詠、その花吹雪をお前に貸してやる」
「…………は?」
「返せよ。ちゃんと返すって条件で……」
「もー、なに言ってるんですか、蔵持先輩。花吹雪を演出するんだから、風に舞って返ってこない可能性もあるでしょ?」

 繭の言葉に、蔵持は唾を飲み込んで俺を睨んだ。

「無理に返さなくてもいい、また作ればいいからな。しかし可能ならば、出来るだけ良い状態で、返してほしい……文化祭で使うからな」

 蔵持の声は徐々に小さくなり、語尾のほうはほぼ消えて聞き取れなかった。
 項垂れる蔵持の背後で、繭が唇に手を当てて微笑む。

「選ぶほうの立場なんです、私」
「君は本当に、どうしようもないな」
「褒めてますよね? ありがとうございます。さて先輩、花吹雪の演出なら私に任せてください。こういう綺麗を魅せるのは女性のほうが得意ですから」

 悪戯に微笑む繭の表情は、これまで見たどの顔よりも可愛くて。

「よろしく頼む」

 疑う余地などなかった。
 本当に可愛らしかったのだ、その時の彼女は。自身の損得関係なしに、ただ俺の幸せを願っての笑顔。
 もし彼女が、最初からその表情を見せてくれていたら……なんて、失礼な妄想はすぐに打ち消した。

3.文(ふみ)の束

 藤宮の情報は正確であった。
 彼の電話からちょうど三十分後に、姫を乗せた車が学校の駐車場に到着した。
 地に降り立つ姫の姿は凛々しく、艶のある長い黒髪が美しかった。
 身にまとう東城の家紋の入った羽衣、姫を束縛している所以。

「もう少しこっちにきたら作戦決行だな」

 校舎の陰から姫の様子を窺っていた絋介が、俺に耳打ちする。

「ほら、こっちに来てる! 緊張するなぁ!」
「絋介、落ち着いてくれ」

 チラチラと顔を出して様子を探る絋介の頭を押さえつけ、身動きを封じた。
 姫の動きを観察する必要はない、それよりも見つかるほうがいけない。
 姫を取り戻す、本意を暴くための算段はこうだ。
 まず、姫が校舎に近づいたところで俺が姿を表す。一言を交わすが、おそらく姫はなにも変わらない。東城に囚われたままの生活を望むだろう。
 そこで屋上待機している繭の出番、俺たちの頭上から紙で出来た桜の花弁を落とし、桜吹雪に見立てる。
 それを見た姫は感動して、俺との約束を守るため東條に入るのを取りやめる、と。

「……なぁ、絋介、本当にうまくいくと思うか?」
「え、今さら?」
「よくよく考えれば、こんな単純なことで姫が本意を変えるだろうか。姫にしても、東條家に入る決意をするには、相当に悩んだであろうに」
「大丈夫だよ、月詠くんのパワーはすごいんだから」

 絋介の隣に待機する石島が、ガッツポーズを見せる。
 感動を間近で体験したいなどとわけのわからぬ理由でこの場所に居る石島だったが、邪魔だったかもしれない。

「そうだぞ、帝。俺だってこんな、一昔前の少女漫画みたいな展開で大丈夫かと不安はあったけど、今は時間がない」
「絋介……そう思っていたのなら、正直に言ってくれないか?」
「帝にしては幼稚な作戦だと思ったけど、混乱してるというか錯乱してるというか。とにかくいい案が思い浮かばないんだろうなぁ、と」
「……正に、自分でも阿呆だと自覚している」

 だが、他の案と言われてもこれ以上なにも出てこない。
 別れを決意している女性にプロポーズして、もう一度振り向かせるようなものだ。と繭は言った。
 しかしどう考えても、そのシチュエーションが思い浮かばない。

「あ、帝! そろそろだ!」
「月詠くん、頑張って!」

 二人の声援と共に、俺は背中を押されて校舎の陰から飛び出した。

「……やぁ」

 片手を上げて微笑むが、内心は焦燥と怒りで混乱していた。
 なぜ彼らは今、俺の背を押した?
 予定外だ、俺は自分のタイミングで姫の前に姿を表そうと思っていたのに。
 不意を突かれた姫が立ち止まって硬直する。しかしすぐに我に返り、口元を袖で隠して不愉快そうな表情を見せた。

「何用でございましょう?」

 声を発したのは姫の後ろに控える付添の下女だった。
 厳しい目線が俺に向けられる。

「いや、えっと……」

 この場面ではなに話すのだったか。混乱が尾を引いて、話す内容を忘れてしまった。
 挙動不審な俺に呆れ返る下女と、素知らぬ顔でそっぽを向く姫。
 声を出そうと口をぱくぱくさせている時、背後から誰かの足音が聞こえた。

「羽姫の忘れ物って、これよね?」

 声に振り向くと、二人の女子高生が立っていた。
 見覚えのある、姫と仲良くしていた友人達だ。

「……っ」

 彼女たちの手中にある紙の束を見つめ、姫がわずかに顔を歪ませる。

「なんだ、文?」

 それは俺が姫に送った、歌が綴られた文の束だった。
 十通はありそうな量。

「俺からの文が姫の忘れ物? そもそもなぜ学校にそんなものを……」
「羽姫の鞄の中にあったんです!」
「東城の人に連れて行かれた日、羽姫は鞄忘れて帰って、ずっとそのままだったから」

 友人たちが交互に説明してくれる。
 息がぴったりで、まるで双子のようだった。
 顔は似ても似つかないが。

「私たち知ってたの、羽姫が月詠くんからの文を大事にしてること」
「羽姫にとって、彼からの文はお守りみたいなものだものね。ずっと鞄の中に入れて、毎日持ち歩いてたんでしょ?」
「違っ……ずっと入れてたわけじゃなくて、毎朝選んで入れ替えてたよっ!」

 声を張り上げる姫だが、はっと我に返り口を噤んだ。
 慌てて袖で口元を隠す。

「ほら、やっぱり!」
「これは羽姫の宝物なんでしょ!」
「要りません、そんなもの」

 騒ぎ立てる友人たちだが、姫の放った冷たい言葉に凍りつく。

「私は鞄を取りに来ただけです。そのようなものに興味はありません」

 友人たちは息を呑んで身を引いたが、彼女達のおかげで俺は冷静になれた。
 前回突き放されたこともあり、耐性ができたのかもしれない。

「いや、……無理をしているな」

 姫は随分と、無理をしている。

「それなら捨ててもいいんだね、この文」

 さて、どう話を切り出すかと考えていたところ、友人の一人が文を掲げて言った。

「屋上で燃やすからね!」

 追い討ちをかけるように、もう一人の友人が続く。

「……待て、君たちはなぜそう攻撃的なのだ?」
「話をしてるだけです!」
「月詠くんは黙っていてください!」
「いや……しかもなぜ、敬語に……」
「構いません、好きになさってください」

 動揺する間もなく割り込む、姫の冷たい声。
 わけがわからず惚ける俺の心中は、俺の文を雑に扱う内容の話談は控えて欲しいなどとおかしなことを考えていた。
 友人の一人が、再度叫ぶ。

「これ、屋上からばら撒くからね!」
「……は?」
「……え?」

 さすがの姫も驚いたようで、目を見開いて身を乗り出してきた。

「学校中の人が見るんだから、月詠くんが羽姫に当てた歌を!」
「晒し者になるのは月詠くんなんだからね!」
「いや、待て。君たちはなにを言っている?」
「だって羽姫が要らないなんて言うからっ! です!」
「嫌なら私たちを捕まえて! ……ください!」

 所々妙な敬語を交えながら、二人が踵を返して走り出した。足並みを揃えて、まるで四脚で一つの人間かのように息ぴったりと。
 時が止まったように茫然と立ちすくんでいたが、彼女達が校舎に入ったところで我に返った。

「ま……待て! え? 待て!」

 慌てて地を蹴り、彼女たちの後を追う。
 その時ばさぁっと、頭上からなにかが降り注いだ。

「……繭!」

 それは先ほど俺たちが作成した拙い紙吹雪で、風に舞うこともなくどさりと、桜色の紙切れが地面に落ちた。
 屋上のフェンスの向こうでは、繭がくすくすと笑っていた。
 彼女の傍には、空のバスケット籠を抱える蔵持の姿。

「ごめんなさーい、先輩。間違えて出来の悪いほうを落としちゃいました」
「君は、一体なにを……」
「そんなことより、追いかけたほうがいいのでは? 見失っちゃいますよ?」

 言われずともそのつもりだが、まずは一言申したい。

「繭、君が俺に助力するというのは嘘だったのか?」
「なに言ってるんです? 私は先輩のことを一番に考えてますよ。それに完成度の高いほうは残っているので、安心してまた戻って来てください」

 手を振って微笑み、屋上の奥へ消える繭。

「後で話がある!」

 大声を張り上げ、校舎の中へと向かった。
 焦燥で振り返ることが出来なかった。
 故にそのとき姫がどのような顔をしていたかは、見ていない。

4.高坂繭

 屋上に向かうには校舎中央にあるメイン階段を登れば良い。
 しかし姫の友人二人はメイン階段を通り越し、校舎の端隅にある旧階段へ向かった。
 今いる場所と旧階段の登り口は校舎を挟んで対極、廊下を横切らないと行けない。
 ちょうど授業が終わったようで、廊下はたくさんの人で溢れていた。
 人をかき分けながら、時にぶつかり舌打ちを浴びながら、姫の友人たちを追いかける。
 彼女達が何部であるかリサーチしておくべきだった。
 速い、異様に!
 すいすいと生徒たちの並を潜り抜け、肩がぶつかることさえもなかった。
 途中何度も見失いそうになったが、そうはならなかった。
 どんなに突き放されても、次の瞬間には彼女たちの背中を見つけた。

「……とんだ猿芝居だな。俺を誘ってくれているのか」

 廊下を渡りきり、階段の下までたどり着いた。
 鬼さんこちらとでも言うように、彼女たちはプリーツスカートを翻しながら階段を駆け上る。

 女子学生諸君に言いたい、スカートの裾は膝下で留めておくべきだ。

 チラチラと垣間見える太ももと、その奥にある白と桃色の生地を眺めながら、そう訴えた。
 心の中でだが。
 日常を過ごすに不都合はないであろうが、階段は危険だ。

 二階から三階に上がる途中で、彼女たちの動きが鈍くなった。そして三階と四階の間にある踊り場で、俺はようやく二人の腕を掴んだ。
 二人のうちどちらかを捕まえれば良いとは思ったが、彼女達の息は等しくどちらも同じ距離にいた。
 迷った挙句、二人同時に捕まえたというわけだ。

「悪いが、それを返してくれないか?」

 声を発することがつらい、思ったより息が上がっていた。
 それは彼女たちも同様で、はぁはぁと息を整えていた。

「疲れた」
「もう歩きたくない」

 床に座り込む友人達。
 もう逃げることはないだろうと、彼女達の腕を離す。

「月詠くん、足速い……ですね」
「あんなにすぐ追いつかれるとは思わなかった、です」
「……すまないが、妙な敬語をやめてくれないか? 気になって仕方がない」
「だって月詠くん、同級生とは思えなくて」
「威厳があるというか、貫禄があるというか」
「君たちは俺を馬鹿にしているのか?」
「「尊敬してる」」
「……ひとまず置いておこう。しかし足が速いな、君たちは。華麗に人混みをかき分ける様(さま)は驚いた」
「多人数バスケが得意だから」
「普通のバスケは五対五だけどそれを敢えて大人数、コートを埋め尽くす程の人数で戦う競技なの。一番多い時で三十人いたかなぁ」
「……奇妙な種目だな」
「今度、ぜひ月詠くんも」
「遠慮しておこう」

 考えてみたが、全く想像がつかない。
 そもそも、なにが面白いのかよくわからない。

「それは良いとして、文を返してくれないか?」

 彼女たちの手にある文の束に手を伸ばすが、上手くかわされてしまった。
 二人は文の束をを胸に抱え、じっと俺を見上げる。

「これは月詠くんのものではないよね?」
「羽姫に贈ったもの、だから持ち主は羽姫だよね?」
「……正に、だが」
「では、お渡しすることはできません」
「申し訳ありませんが」

 妙に丁寧な動作で、彼女たちが頭を下げる。それも相まって俺は酷く動揺した。
 彼女達の言葉の意味が、真意がわからない。

「返して欲しければ捕まえろと言っただろう? だから俺は、こうして必死になって君たちを追いかけたのだが」
「あれは羽姫に言っただけだから」
「月詠くんに言った言葉じゃないよ?」
「…………」

 なんだ、これ。
 なんだこの茶番。

「では、俺が君たちを追いかけたのは無意味だったと?」
「無意味ではありません」
「条件次第ではお渡します」
「なんだ、条件とは」
「「羽姫に、渡しておいてくれますか?」」

 二人の声が重なった、異様に丁寧な敬語で。
 そして同時に、俺に文の束を差し出す。

「これは羽姫のものだから」
「でも必ず羽姫に渡すと約束するなら、これを月詠くんに託してもいいです」
「……なるほど」

 つまりこれは突発的な出来事ではなく、計画の内だったわけだ。
 俺がこの場所、初めて姫に文を手渡した旧階段で、その様を再現できるようにと。
 誰の策か、聞かずともわかった。

「君たちと、繭の関係は?」
「「弓道部の先輩後輩」」
「……あぁ」

 確かに以前、繭を待ち伏せしていた弓道部の部室前で彼女たちを見かけた気がする。
 射抜くような厳しい視線は、友人と後輩の三角関係を心配してのことだったか。

「ついさっき、繭ちゃんから連絡があって、すぐに策を練ったの」
「失恋した後輩を慰める間も無く友人の恋を後押しするのも、どうかと思ったけど」
「いや、感謝しよう。こうでもしなければ、俺の案では如何にもならなかった」

 俺の言葉に二人は目配せして、やがて同時にこちらを向く。

「恋愛に必要なのはハプニングだよ、月詠くん」
「桜吹雪を見せて羽姫を説得っていう最初の案を聞いたけど」
「なんと浅はかなことか、ってびっくりした」
「浅はか……」
「君のために桜吹雪を用意した、見事であろう。さて、俺と結婚してくれるか? そんな自意識過剰な言葉、演出でプロポーズをオーケーする女性がいるわけないでしょ?」
「求婚をしようとしていたわけでは……」
「熱愛中のラブラブカップルならそれで満足いくだろうけど。月詠くん、現状を理解してる?」
「羽姫は月詠くんとの離別を決意してるんだよ? それに追い討ちをかけるような寒たらしい演出、百年の恋も覚めるよね」
「……手厳しいな、女子は」
「少女漫画という人生の教科書があるからね」
「今度、月詠くんにも貸してあげるよ」
「検討しておこう」

 盛大にため息をつき、彼女たちが差し出す文の束を見つめた。
 懐かしい、俺が姫に贈ったものだ。何度も、何度も書き直してその中で最高の一枚を姫に届けた。
 彼女を思っては月を見上げ、墨をすった。
 俺が姫からの文を大切にしていた様に姫もまた、俺からの文を大切にしてくれていたのだ。
 愛おしさを感じないほうがおかしい。

「ありがとう」

 両手を出して、彼女たちから文を受け取る。

「君たちには本当に、感謝する」
「私たちは大切な友人と後輩のためにやったことだから」
「お礼は繭ちゃんに言うべきじゃないかな?」
「……然り」

 全て片付いたら話をしに行こう。
 誰かを真に慕うことはとても尊く、そして難儀だ。
 願わくは繭の一途さが、彼女の慕う誰かに届いて報われますように。
 俺に注いだ愛情の何倍も、彼女が愛されますように。

第8話

https://note.com/saegusanatsuki/n/n1d5da6d6148f

#創作大賞2023


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