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月と姫の転生物語 第1話

あらすじ
 月詠帝には前世の記憶らしいものがあった。『竹取物語』という御伽噺の。
 ある日、帝の通う高校に転校生がやって来る。
 夜武羽姫という名の彼女はこの世の物とは思えない美貌を持ち、『姫』と愛称をつけられ数多の男子生徒からから求愛を受ける。
 見かねた彼女の兄、絋介が彼女にふさわしい恋人選びを始めるが、立候補した男達に姫は無理難題を押し付けた。
 竹取物語を現代学園風にアレンジ、続きの物語を描いた作品です。

引用元:竹取物語


1.竹取物語のその先


『竹取物語』という御伽噺がある。
 日本国の平安という時代に創造された作物。

 粗筋を簡素に述べると、竹から生まれた世にも美しい少女が有った。
 竹取を生業としていた翁夫婦が彼女を見つけ、慈しみ年頃まで育て上げたその後、数多の男どもや主上までもが彼女の美しさに惹かれ求婚した。
 しかし彼女は決して首を縦に振らず、月を見上げては枕を濡らす日々を過ごしていた。
 唯一、主上とだけは文(ふみ)の遣り取りを繰り返していた。

 日は刻々と過ぎ、彼女の故郷の民と名乗る月の住人が現れ、いとも簡単に彼女を連れ去ってしまう。
 愛する女性を庇保(ひほ)できなかった主上は悲しみにくれ、彼女から受けた文と不死の薬を、国で最も高い山で灰に変えて美しい姫との別れを悔やんだ。

 誰かが言った、
「あれは翁夫婦と姫の家族愛だ」と。

 俺は言った、
「なにを読み違えたのか」と。

「あれは、男女の恋愛物語だ」

 決して叶うことのない悲恋の、美しい物語。
 続編など有り得ない、姫は月に消えたのだから。
 だから、もしも、物語に続きがあるとするならばそれは。

 もし生まれ変われたのなら今度は間違えない。

 もう一度、俺と––––…


2.月の帝

 満月の夜、目を覚ますと枕が濡れていた。

「またあの夢だ」

 親指で瞼を押さえ、息を吐き出す。
 月詠(つきよみ)帝(みかど)というのが俺の名前だが、時々自分がわからなくなる。つい先程まで居た夢の中は誠に幻か、それとも前世で体験した記憶であるのか。
 ただ一つ確かな事は、その中で俺は一人の女性に恋焦がれている。
 醒めぬ夢に耽っていると突然、部屋の扉が勢いよく開いた。

「おはようございます、先輩!」

 入口には日本人らしからぬ亜麻色髪の乙女が立っていた。ふんわりウェーブ、フランス人形のような女子高生。
 制服のスカートは下着がぎりぎり見えぬ丈、くるりと回ればその内部はいとも簡単に他人の目に触れるだろう。
 少女は目を丸め、露わになった俺の上半身を凝視する。

「もしかして着替え中でした?」
「着替え中もなにも、俺がこの姿で寝ていることは知っているだろう?」

 間髪入れず言い、手のひらで額を押さえため息を吐く。
 露出している上半身を布団で隠そうとしたが、無遠慮に入り込んできた少女、高坂(こうさか)繭(まゆ)にそれを剥ぎとられた。

「残念、下は履いてるんですね」
「念のため、君のような女がいるが故に」
「酷い言い方。未来のお嫁様に向かって」
「ほう。誰のことを以って嫁と?」
「それは、決まってるでしょ」

 ベッドに腰掛ける繭が顔を寄せるが、俺は片手をあげてそれを制した。

「悪いが、気分ではない」

 吐息が手のひらに触れるが、繭は動じることなく微笑む。

「じゃあ今度、相手してくださいね?」
「俺の気分が君のタイミングと合えばな」
「いつもそうやって逃げるんだから。そういえば、今日、先輩のクラスに転校生来るらしいですね」
「転校生?」
「この世の者とは思えぬ美貌の持ち主だとか……知らないんですか?」
「覚えがないな」
「先輩、讃岐(さぬき)紘介(こうすけ)って方と親しくしていますよね?」
「数少ない友人だな。彼がなにか?」
「その人の妹らしいですよ」
「ほぅ」
「お友達なんですよね? 聞いてないんですか?」

 頭の片隅にぼやっと記憶が蘇った。
『転校生が来る、俺の親戚で……だから明日は遅刻するな』と、そんなことを言われたかもしれない。
 俺の心中を察した繭が、深くため息を吐いた。

「先輩って本当に自分勝手ですよね」
「他人に興味がないだけだ」
「それを自分勝手というんです」

 呆れ顔の繭がなぜかベッドに上がってきた。
 正直に言おう、外着で寝床に潜り込むのは止めてほしい。

「そんな貴方だから、私は惚れているんですけどね」

 甘い吐息を首筋に吹かせながら、繭が俺の腰に手を回してきた。
 此処で留め置いておくと面倒なことになるのは目に見えている。
「もういいだろう」と繭の手を払いのけると、ガブリと首筋に衝撃が走った。

 あぁ、面倒くさい。

 振り返ると、八重歯を覗かせた繭がにこりと微笑んだ。

「惚れないでくださいね、転校生に」


3.なよ竹のかぐや姫

 繭に噛みつかれた痕が消えず、絆創膏を貼って高校に向かった。
 それ故に登校時間がいつもより遅れてしまった。といっても、始業の十分前には教室に着いたが。
 自席に鞄を下ろすと、背後から乱暴に肩を掴まれた。

「帝! なんでこんな日に遅刻してんだよ!」

 説教を飛ばすのはクラスメイトの讃岐絋介。俺の数少ない友人の一人だ。

「遅刻ではない」
「いつもより遅いだろ?」
「君は遅刻の定義を正に理解しているのか? 遅刻とは、定められた時刻に遅れて……」
「あー、ごめん! 遅刻の定義はいいから」

 絋介は両手を振りながら俺の言葉を遮った。
 説教が面倒だと思ったのだろう。良い気はしないが、始業時刻が迫っている今、無駄話は不要だとの意向は一致した。

「とにかく、今日は俺の知り合いが転校して来るって話しただろ?」
「あぁ、先ほど聞いた」
「先ほど?」

 首を傾げる絋介の視線が俺の首筋に向いた。不自然な位置に貼られた絆創膏。繭に処置を頼んだので、歯形が見えたのかもしれない。
 絋介は瞬時にその痕の所以を理解したようで、居たたまれなさそうに顔を背けた。

「帝、その……絆創膏、ずれてる」
「あぁ、やはりか。噛み付かれた。流血はないが、歯型が残ってな」
「帝の彼女、吸血鬼なの?」
「吸血鬼でも彼女でもない」
「まぁ、そりゃそうだ……彼女じゃないの?」
「付き合っているわけではない」
「付き合ってないのに噛み付かれるって……金持ちの性生活にはついていけない」
「金持ち呼ばわりとは不躾な、貴族だと言っているだろう」

 今世は身分と呼ばれる制度で人の価値が決まる。
 頂点がお上様、この国を支配する神のような存在だ。その次が御三家と呼ばれる権力者一族、その下に上流中流下流貴族とピラミッド式に続く。
 俺の属する月詠家は最上位貴族である御三家だが、階級関係なく生徒たちが入り混じるこの学校では身分など意味をなさない。
 俺はただの月詠帝、ただの高校二年生としてここに座っている。

「帝はイケメンなんだから、ちゃんとすれば幸せになれると思うんだ」
「イケメンが幸せになれるとは限らないが。急に何の話だ?」
「俺は三角の事好きだからさ、愛するただ一人の女性を見つけて幸せになって欲しいと思って。それより、転校生のことだけど」

 コロコロと話題が変わるのは今に始まった事ではない。
 絋介とは入学以来の付き合いだ、いつもの様に彼の雑談に耳を傾ける。

「妹なんだ、俺の」
「君に妹がいるとは初耳だ」
「違う、義妹。叔父夫婦が拾った子なんだ。身内の俺が言うのもあれだけど絶世の美女、かなりの美人だ」
「ほぅ、美人か」
「信じてないだろ? 本当に可愛いんだよ。そりゃ、綺麗なお姉様方にお世話してもらってる帝は、美人なんて見慣れてるだろうけど」
「それはうちの家に仕える下女のことを言っているのか?」
「帝の家のお手伝いさんってみんな美人なんだろ?」
「ここで否と言えば、俺は世辞も言えぬつまらない男という事になると思うんだが?」
「あっ、先生来た。とにかく、可愛い子だから、期待してろよ!」

 捨て台詞のように言い、絋介は自分の席に戻った。

「美人、か……」

 絋介には悪いが、興味が湧かない。
 女性に関心がないわけではないが、何かが違うのだ。日夜毎日俺に付きまとう繭だって、世間一般の感覚で言えば美人の類に入るだろう。
 だけど違う、彼女じゃない。
 胸の痞(つっか)えが何かわからぬまま、顔を上げた
 担任教師の後に続いて教室に入る、小柄な女子生徒。制服の上からでもわかる華奢な身体、触れただけで壊れてしまいそうな。
 腰まで伸びる艶やかな黒髪がふわふわと揺れる。膝丈スカートの下は、雪を欺(あざむ)くような美脚。
 可愛いと言うよりも、美しい。 

「夜武(よたけ)羽姫(うき)と、申します」

 声さえも可憐。
 小鳥の囀り、鈴の音、どうやっても彼女の愛らしさは表現できないと思った。
 一瞬、何かに囚われ……気がつくと俺は、席を立って転校生の腕をつかんでいた。

「あ、申し訳ない」

 不思議そうに首を傾げる少女の腕を、慌てて離す。

「腕、痛かったですよね……姫」
「ひめ?」
「あ、いや……すまない」

 自分でもわけがわからない。何をやっているのか、何を言っているのか。
 俺だけでなく、同級生や担任教師までも唖然と俺たちを見つめる。
 しかし彼女だけは、俺に奇妙な目を向けることなくふわりと微笑んだ。

「姫、という漢字は名前に入っています」

 ぺこりと頭を下げる仕草の可愛らしいことこの上ない。
 身体を起こした彼女の瞳が、俺の姿を映した。

「夜武羽姫と申します、よろしくお願い致します」
「月詠帝と、申します……よろしく、お願いします」

 言葉を交わした瞬間、胸中を得体の知れないものが支配した。その正体を理解する前に担任教師が俺たちの間に入り、席に着くように促した。
 後に聞く話によると、夜武羽姫は紘介の伯父夫婦が竹藪の中で見つけた拾い子だという。
 あまりの美しさ、生い立ちにちなみ親族は彼女に通り名を与えた。

 なよ竹のかぐや姫、と。

4.五つの試練

 転校生の噂は瞬く間に広まり、翌日には学校中から見物者が訪れるほどだった。
 麗しき姫を一目見ようと男女問わず数多の生徒、教師までもが廊下に群がる。
 紘介といえば、複雑そうな嬉しそうな、どちらともつかない表情で姫を見守っていた。

「いいのか。大切な義妹が好奇の目に晒されているぞ」
「え? あー……嫌な気はするけど、同時に嬉しい」
「よくわからん」
「親心、みたいな? 羽姫はずっと一人だったから。友人もできず、彼氏もいなくて。だから心配だけど、嬉しい」
「……なるほど。わからん」

 加えて、この状況はどうだろう?
 教室の外でわらわらと、彼らは姫を見つめるだけで声をかけようともしない。勝手に写真撮影を行う者まで現れる始末である。
 保護者である絋介が良いならとしばらく様子を見守ることにしたが、それが間違いだったのかもしれない。
 姫が転入して一週間。
 相変わらず好奇の目を向けられる彼女を見かねた紘介が、助け船を出した。

「羽姫は見せ物じゃないんだぞ! こうなれば羽姫に見合う、ただ一人の恋人を決めることにする!」

 いや、助け船というか……

「本気で好きなら、羽姫の望むものを手に入れてきてくれ」と、男たちに難題を課すことにしたらしい。
 数多の男たちの中から選ばれた恋人候補は、五人の男。

 石島(イシジマ)
 蔵持(クラモチ)
 阿部(アベ)
 大伴(オオトモ)
 麻上(アサガミ)

 なぜ彼らが選ばれたのかは理解しかねるが、絋介なりに思うところがあったのだろう。
 彼らがみな貴族であるということは、俺にも少し責任があるかもしれない。

「お前らは金持ちだからな! だから選んだんだ!」

 教壇に登り、絋介が声高らかに叫ぶ。
 あぁ、おそらくなにも考えていない。
 彼はただの阿呆かもしれない。

 絋介がそれぞれに課す難題を読み上げる。
 当事者である姫ではなく、彼の保護者である絋介が。姫は終始うつむき、黙って絋介の声を聞いていた。
 なぜ、自分の口で言わない?
 俺の疑念をよそに、男たちは息巻いて教室を飛び出し、姫は顔を上げぬままその場に居残った。

5.御石の鉢

 石島に与えた試練は、『天竺(てんじく)にある御石(みいし)の鉢を持ってきてください』というもの。

 天竺? ……インド?

 バカな。かの三蔵法師が長年かけて辿り着いた場所だぞ。しかも世界に二つとない仏の御石、簡単に見つかるわけがない。
 あてがあるのか無知なのか、石島は「天竺に行ってくる」と公言し姿を消した。
「楽しみだね」などと心を躍らせる同級生たち。
 どうやら、俺のクラスメイトはみな阿呆であるらしい。

 三日後、登校した石島の手には、墨がついて汚れた鉢があった。
 目に見てとれる、あからさまな偽物。

 おいおい、冗談だろ?

 姫も同じように思ったようで、不審そうに石の鉢を覗き込んだ。しかし光を放つという石からは、鉢は蛍ほどの輝きも感じられない。

『おく露の光をだにぞ宿さまし をぐら山にて何もとめけむ』

 姫の代弁、紘介は鉢を石島に押し返し教室から追い出した。
 慌てた石島は鉢を捨て、いかに入手が困難かを訴えて同情を引こうとした。
 高校生男子が大粒の涙と、鼻水までも垂れ流し。

「恥(鉢)を捨てる」

 あまりの醜態に、誰ががそんな言葉を発した。

6.蓬莱の玉の枝

『東の海に蓬莱(ほうらい)という山がありけり。白銀(しろがね)を根とし黄金を茎とし、真珠の実をつける木……その枝を給(たま)ふ』

 難題を承った蔵持はさっそく翌日、休学届を出して旅立った。
「留学に行って来る」と、意味不明なことを周囲に告げて。一方、姫には「あなたのために、玉の枝をとって参りましょう」と格好をつけて出て行った。
 正直、俺はこいつが一番苦手だった。
 胡散臭い、計算高い、尻尾が掴めぬ。いくら思い浮かべても、嫌なところしか出てこないやつだ。なぜか、俺への対抗心も強い。
 教室を出る際、俺を見て薄ら笑いを浮かべたのは勘違いではないと思う。

 蔵持が戻ったのは石島が玉砕して三日後のことだった。
 諦めてさめざめと泣く石島を足蹴にし、姫に歩み寄る。

「戻って参りました、姫」

 片膝をつき姫の手をとろうとしたが、紘介に弾かれた。

「約束のものは持ってきたんだろうな?」

 粗相に絋介が怒鳴ると、蔵持はにやりと笑った。肩から提げていた袋の中から見事な金の枝を取り出す。その節々には、美しい真珠がいくつも実をなしていた。
 唖然とする人々を見て、蔵持はもう一度口角をあげた。

「だから言ったろ? 月詠」

 ……なぜ、俺に問う?
 蔵持の視線は姫ではなく、俺に向いていた。

「家来たちを連れ海を渡り、あまたの困難を乗り越えて……」

 尋ねてもいないのに、金の枝を得た時の冒険話を始める蔵持。耳障りだと思いながら視線を上げた時ちょうど、姫の顔が見えた。
 顔面蒼白。
 とてつもなく不健康そうな顔で玉の枝を凝視していた。まさか本物を持ってくる者が現れるとは、夢にも思っていなかったのだろう。
 俺がこの場にいなかったら、どうするつもりだったのか。

「すまぬ、お通し頂きたい!」

 その時、ちょうどいいタイミングで袴を履いた男が五人、教室に入ってきた。
 饒舌に語っていた蔵持が、口を開けたまま男たちを見つめる。

「月詠の帝殿がおはすはこの教室か?」

 慌ただしく室内に入れ込み、きょろきょろと月詠帝という人物を探す。
 蔵持が「戻れ!」と叫んだが、残念なことに、彼らの主君は既に俺となっている。

「俺が月詠帝だ」

 一歩前に名乗り出ると、袴を履いた男たちが俺に伏せた。

「蔵持の御琴が未払いの制作費を、倍にしてお支払い頂けるというのは本当か?」

 俺に手紙……もとい、領収書を差し出す。

「どういうことだ?」

 何事かと首を傾げる紘介の隣、蔵持は開いた口が塞がらぬ様子で立ち竦んでいた。
 俺は領収書を手に取り、周囲に見えるように掲げた。

「ここに書かれている倍の額、君たちに支払おう」

 領収書には誓約の文面と支払い金額、契約の証拠として書かれた蔵持の直筆サイン。

「見事なガラス細工だ、本物と見間違うほどに」

 俺の言葉、そしてこの状況に、周りの者たちの表情が陰った。

「制作費って、まさかアレ?」
「贋物(がんぶつ)?」

 ばそぼそと陰口が飛ぶ。
 正に、と頷いてしまいそうになるのを必死で堪えた。

「これほどの品を作ったのにたった五十両とは。ケチな男だな、蔵持」

 蔵持に視線を向けると、今にも飛びかかってきそうな真っ赤な顔で俺を睨んでいた。

「違う、これは本物で……それに俺はこんなやつら知らない。騙されないでください、姫。これは月詠が仕組んだ罠で」
「なにを仰る! 貴方だって、我々と共にその玉の枝を作ったではないか」

 とまあ、俺が口を挟む間もなく蔵持の工作が明らかになった。

「月詠……おまえ」
「気に病むことはない、借金を返せないでいる級人を救うなんて雑作もないことだ」
「姫が俺のものになったら支払うつもりだったさ!」

 熱く語る途中で蔵持自身、気付いたらしい。玉の枝が造物であると認めたことを。
 支払いのサインを終えた俺は目を細め、蔵持に向かって微笑んだ。

「中断させて申し訳ない。さて、続きを聞こうか。玉の枝を手に入れるために作り上げた、君の冒険話を」
「……なぜ、どうやって知った?」

 なおも対抗してくる蔵持に俺は心底あきれ、眉間の皺を指で押さえた。
 雉(きじ)も鳴かずば打たれまいとは、正にこのことか。

「君の難点は、女に酔い易きことだ」
「女? は?」
「昨晩、これと似た細工品を別の女性に贈ったな?」
「なぜ、それを……」
「すまない、彼女は俺の下人の娘だ」
「……は?」
「それとなく話を聞いてくれと頼んだのだが、まさか一夜を共にするとは思わなかった」

 蒼ざめる蔵持と、言葉の意味に気が付いて顔を伏せる姫。
 純愛が正義だと信じて疑わない絋介に至っては、厳しい視線を蔵持に向けていた。

「さて蔵持、虚言は許容範囲だとして、求愛中に他の女と交わるなど、君の姫に対する恋心はいか程なものか?」

 蔵持は低く唸り、教室を飛び出した。

7.火鼠の皮衣

『火鼠(ひねずみ)の皮衣(かわごろも)』

 火を灯しても燃えないというが、そんな物は御伽噺の中のまた夢だ。噂に聞いたことこそあれど、目にしたという者を聞いたことはない。
 ただ一人、試練を与えられた阿部だけはその存在を信じ、情報を募った。
 阿部がそれを持ってきたのは蔵持が失恋し、恥ずかしさで失踪したあとだった。

「月詠くん!」

 さっさと姫のもとへ向かえばいいのに、阿部は俺を呼び止め、宝を手に入れた経緯を説明した。
 入学した時からそうだった。こちらは何とも思っていないのに、阿部は俺のことを友達(もしかしたら親友に格上げされているかもしれない)として接してくる。
 馬鹿正直なお人好し。
 それが彼、阿部の印象。
 なんでも、あてが見つからず落胆している時に現れたのが唐(とう)の商人だという。
 必ず見つけるという約束のもと、阿部は請求されるがまま莫大な金を注ぎ込んだ。ようやく手に入れた皮衣は紺青色(こんじょういろ)で、毛の先端は金に光り輝いていたという。
 確かに、姿形だけは美しかった。

「でも、それは偽物だろう」

 俺の言葉に阿部は目を丸くし、「え?」と惚けた声を出した。

「石島と蔵持の二の舞になりたくないのなら、姫のもとへ行くのはやめたほうがいい」
「なに言ってるの、月詠くん。どうして偽物なんて」
「おおよその話を聞けばわかるだろう?」

 しかし阿部は、わからない、という表情で首を傾げた。
 どう説明しようか悩み、面倒臭くなった俺はため息に言葉を乗せて簡素に告げる。

「とにかく君のために言う。そんなものを姫に捧げるな」
「い、嫌だ。せっかく……やっと手に入れたんだ」
「しかし偽物では意味がないだろう」
「これは本物だ。姫だって喜んでくれるはず」
「残念だがどちらも外れだ。それは偽物だし、たとえ君が本物を手に入れたとして、姫は喜ばないだろう」

 見ていればわかるだろう? という無駄な一言はいわなかった。
 俺は別に、この男が嫌いじゃないのだ。
 しかし阿部はそれを感じ取れなかったようで、耳を赤くし俺に背を向けて駆け出した。

「酷いよ、月詠くん。友達だと思ってたのに!」

 振り返りざまそう叫び、パタパタと女々しい小走りを見せて姿を消す阿部。
 どうやらまだ、親友には昇格していなかったらしい。

 阿部と話をしたのが朝で、昼前は紘介に捕まった。

「昼過ぎ、大伴が海に出るらしい」

 階段の踊場で紘介が言った。
 大伴とは姫の恋人候補に選ばれた一人で、『竜の首の珠を給え』と指示された男だった。

「海? まさか本気で竜を捕まえようとでも言うのか?」
「本気だから、自ら行くことに決めたんだろ」

 紘介は口元を緩め、愉しそうに語った。浅識(せんしき)な貴族の息子が海原へ乗り出す。危険なことはわかっているのに。
 そこではっと気がつき、顔をあげた。
 紘介がにんまりと笑う。

「今度はどんなほら話が聞けるんだろうな?」
「なるほど。最初から信じていないのか」
「当たり前だろ。蔵持の一件で、俺も羽姫も学習したんだ。今度からは疑ってかかるよ」
「ほう……」

 今の言葉を、あのお人好しに聞かせてやりたい。と同時、そうなると少々まずいことに気がついた。

「つかぬことだが紘介、もし阿部が火鼠の皮衣を持ってきたらどうする?」
「阿部? ああ、そうだな。火をつけてみる、かな」
「火をつける?」
「本物は燃えないって噂だから。それで真偽を確かめる」

 胸を張る紘介に返す言葉が見つからなかった。
 なるほど、さも然(しか)り。

 予想通り、阿部は昼休憩に校舎の旧階段から教室に上がろうとしていた。
 この学校が建設された当時に使われていた階段で、他の場所に階段が増設された今、近寄るものもおらず、朽ちてボロボロになっている。
 突然現れて姫を驚かせようとでもしたのだろう。虚しい打算だ。

「やあ」

 階上の踊場から見下ろすと、阿部は目つきを厳しくして火鼠の皮衣もどきを抱き締めた。

「これは本物だ」
「ほう。根拠は?」
「それは……」
「君のためにもう一度言う、やめておけ」
「でも……」
「らちがあかないな」

 近寄ると、阿部はびくっと肩を震わせた。

「なんだよ、月詠くん。これは本物だって言ってるだろ」
「阿部、一つだけ耳に入れて欲しいことがある。君はそれが本物、皮衣を売りつけた商人を信じると言うが、それは同時に、俺を疑うということだ」
「え……?」

 阿部が顔をあげた瞬間、俺は火鼠の皮衣を奪い取った。

「あっ、なにする……」
「もしこれが本物なら、火をつけても燃えないよな?」
「それは……」
「焼けずはこそ、真ならめと思ふ」

 有無を言わさず、皮衣をライターの火にあてた。
 阿部は無言でそれを見守る。
 自信があるというよりは、真偽を確かめたい風だった。

 数刻後。床に膝を着いた阿部は、項垂れてそこに落ちているものを指で撫でた。
 俺が火をつけると同時に激しく燃え上がり、今では灰と化した皮衣を。

「なごりなく燃ゆと知りせば皮衣おもひの外におきて見ましを」

 つうと、灰をすくい上げる。
 それはすぐに指の間から零れ落ちた。

「……面白い歌だな」

 俺が言うと、阿部は苦笑いをして立ち上がった。

「昔、誰かに貰ったんだ。思い出せないけど誰か、恋い焦がれた女性からの返歌」
「……そうか」

 阿部は膝の煤を払い、軽く伸びをした。
 一人にさせておこうと階段を降りようとしたが、あることに気がついて振り返った。

「そうだ、阿部。君が取引をした商人の名前を教えてくれないか?」
「商人? どうして?」
「今後のために。もしかしたら、俺も騙されてしまうかもしれないだろ?」
「ああ、なるほど! そういうことなら」

 阿部は何の躊躇いもなく商人の名前を教えてくれた。

「最後に一つ、君に忠告しておこう」
「なに、月詠くん」
「君の実直なところは気に入っている。人を疑えというのはあまりに酷。だから君に贈る言葉は、自分が友人と思っている者の言葉は何よりも信じろ」

 それだけ言うと、俺はさっさと階段を降りた。
 ありがとうだか何だかわからないが、阿部の嬉しそうな声が聞こえた。

8.竜の首の珠

 阿部への説得を終えた俺は、近くにある公園の遊具に腰掛けていた。ブランコという、板を鎖で宙吊りにしているものだ。
 闇雲に動いても意味はない、まずは尻尾を掴んでからだとの考えて、暇を持て余す。
 することもなくブランコを揺らしていると、入口に香坂繭が立っていた。

「サボりですか、先輩」

 繭は嬉しそうに、さも偶然であるかのように近寄ってきた。
 俺は知っている、この少女が俺を探し回っていたことを。

「君だってサボりだ」
「あら、私は先輩を探してたもの」

 自白までしてしまった。
 繭は鎖に手をかけ、左足の太股を俺の足の間へ押しつけた。

「暇なんですか?」
「…………いや」

 面倒なことになった。今は気分が乗らない。
 近づく唇から逃げるように横を向くと、繭は頬を膨らませた。

「先輩、最近付き合い悪いですよ?」
「草臥(くたび)れたサラリーマンのような台詞だな。青春真っ盛りの女子高生が口にするものではない」
「もー! そうやってすぐはぐらかして! 先輩はSなんですか?」
「いや、Mだな。正確にはM・T」
「イニシャルの話じゃないですよ!」

 ぷりぷりと怒る繭。
 ちょうどその時、公園の入り口に人影が見えた。

「あ、恋人候補の人」

 俺の視線に気づき、振り返った繭が声をあげた。
 公園の入り口に立っていたのは姫の恋人候補の一人、大伴だった。『竜の首の珠』を要求され、大海原へ繰り出すと噂の。
 噂話は真であったのであろう、大伴の手には大量の海図があった。

「潜水艦にでも乗るのか?」

 尋ねると、大伴はカッとなって俺を睨んだ。

「竜の首の珠を取りにいくんだ!」

 と、なんとも情けない返答。

「竜こそ御伽噺のまた夢物語だ。どうやって捕まえる?」
「馬鹿にするな、竜は存在する!」
「ほう。何処に?」
「日本海に決まってるだろ。天竺てんじくや蓬莱ほうらいまで行ったやつらと違い、俺の目的は日本にある。こんな容易たやすいことがあるか」
「だから、全て御伽噺だと言っているだろう」
「ほざいてろ、月詠。姫に言(げん)を受けた翌日から、家来を総出して竜を探してるんだ」
「君は阿呆か。すでに三週間、諦めろ」
「竜は存在する。無能な家来と違い、俺は鼻が聞くんだ。絶対に姫の望むものを持って帰ってくる」

 会話が噛みあわない。どうやらこの男と話をするのは困難を極めるらしい。
 ため息を吐こうとしたが、その息は繭の口に吸い込まれた。

「頑張ってください、大伴先輩」

 濡れた唇で繭が言う。
 大伴は顔を赤くし、そそくさと逃げだした。

「繭……今のはあまり、感心しない」
「あら、だって先輩。もうこれ以上話したくないって思ってたじゃないですか」
「なんと。心が読めるのか、君は」
「ええ、先輩専用ですけどね」

 再び唇を押しつけられそうになったとき、タイミング良く携帯が鳴った。

 どうもこの世は俺に都合よく、あるいは不都合に回っているらしい。
 防波堤から海を眺めると、港に大伴の姿があった。
 せっせと出港の準備をし、俺に気が付くと敵意を込めた目で睨んできた。

「月詠! なんでこんなところに居るんだ!」
「君こそ、こんな悪天候に港で何をしている?」
「悪天候? どこをどう見ても快晴じゃないか!」

 大伴は両手を広げ、青空を俺に見せた。
 確かに、一見は快晴空だ。

「向こうに大きな入道雲が見えるだろう? 風の流れも速い。数刻後には海を荒らす豪雨になる」
「なにを根拠に……」
「なにを? だから、雲行きが怪しいと言っているだろう?」

 頬杖をついて忠告してやったが、大伴は聞く耳持たずで船の帆を張った。

「そこで指を咥くわえて待ってろ、月詠。姫は俺の女になる」
「悪いが、所用があるので君を待つわけにはいかない。指を咥えるような癖もない」
「はっ、相変わらず気味の悪い男だぜ」
「気味の悪い……?」
「おら、さっさと行くぞ!」

 それきり大伴は俺に対する興味を失ったみたいで、たった一人の家来を連れて海原へ乗りだした。
 浅はかなり。
 救い舟を出しておこうと思ったが、今の『気味の悪い男』呼ばわりは結構効いた。
 用を済ませてからでも遅くはないだろう、船を出すのもやめよう。

 にわか雨が降り出した夕暮れ、もうすぐ夕立ちに変わるであろう頃。
 港倉庫の脇、一仕事終えて茶を啜っている唐人の前に立ち、にこやかに微笑んだ。

「貴方が、唐の商人か?」

 俺が言うと、彼は脇に置いていた鞄の紐を強く握りしめた。

「なにか御用で?」
「金を返せとは言わない、騙されるほうも間抜けだ」
「は? 何のことだ?」

 本当にわけがわからない、という表情。
 俺は腕を組み、笑みを絶やさぬようにして男を見下ろした。

「日本語が話せるのか、よくできた詐欺師だ」
「詐欺師とは無礼な。自分はただの貿易官だが」
「職に従事していれば牢に入ることもなかっただろうに」
「……失礼を承知で言わせて頂くが、倭(わ)の国の学生の、何たる不躾な」
「その言葉、そのままお返し致します。さて、商人殿、火鼠の皮衣とは何ぞや?」
「は?」
「先日、数少ない俺の友人が悪徳商人に騙されましてね。こうして犯人を探しているのです。心当たりはありませんか?」

 商人は一瞬顔をしかめたが、すぐに取り繕うように嘘臭い笑みを浮かべた。

「俺の知り合いにそんな男はいない」
「ほう……男、ですか」
「まあ、悪党は許すまじと言うし、怪しい奴を見かけたら君に一報入れよう」
「いや、その必要はない」
「は?」
「他人との会話でこんなに苛々させられたのは久方ぶりだ。そして、貴方のような阿呆に騙された友人を持つ自分が情けない。全て茶番、とんだ猿芝居だ」

 途端、辺りが明るくなった。
 眩しさで目を瞑った商人が再び瞳を開くと、警察の服を着た人間が数多、彼を取り囲んでいた。

「な、なんだ?」
「数々の悪事を働いた割には頭が悪すぎる」

 暗記していたその男の犯罪歴を読み上げると、商人は真っ青な顔をして俺を見上げた。

「幼稚な罪ばかりだが、如何(いかん)せん数が多すぎる。おそらく重罪。倭国の人間なら、簡単に騙せるとでも思ったか?」

 語っている途中、商人が脇に差していた小刀を突き出して俺に向かってきた。
 咄嗟に避け、小刀は俺の頬をかすった。慌てた警察の者が商人を取り押さえる。そのうち一人が俺にハンカチを差し出したが、片手でそれを拒否した。
 かすり傷、きっとたいした傷じゃない。
 目に見える傷なんて、たいした傷じゃない。

「悪党許すまじ、でしたね? 不躾な倭の国で礼儀を学んでください、ついでに人の心なるものも」

 警察の者に俺の姓は出さぬよう念を押したあと、商人に背を向けてその場を去った。
 指で血を拭うと何故か、灰を撫でた阿倍の姿を思い出した。
 今、雨が地面に落ちると同じように、あの時も、微かな涙が皮衣の灰を濡らした。

 港に戻ると遠くの海に難破しかけた船が一隻見えた。
 これだから、プライドだけ高い貴族のお坊ちゃまは困る。
 側にあった公衆電話に小銭を入れ、この辺一体の海を取り仕切っている漁師の家に電話をかけた。

「もしもし! 大変なんです、僕の友達が海で溺れかけてて……え? どうしてこんな嵐の日に海に入ったかって? 誰もいないから魚が取り放題だとか言って。友達は貴族ですが、名ばかりで実際の生活は魚も食えぬほど。とにかく助けて、無事に救出できたら、××高校の飛語先生に連絡を入れてください。ええ、担任です。よろしくお願いしま……え、僕の名前? 同じ高校の……あ、お金がなくなる!」

 丁度一分。
 通話が終わったことを確認し、受話器を置いた。額に手をあてて眺めると、チラチラと難破船の光が見えた。
 信憑性も事実もある、大丈夫だろう。事後に至っては、噂好きな飛語教論のことだ。明日には大伴の面白話が聞けるに違いない。
 猿芝居。
 我ながらよい演技だったと思う。

9.燕の子安貝

 翌日、俺の意に反して噂話は二分されていた。

 一つはもちろん大伴の海難話。
 死に物狂いで助けを求めた後、泥棒扱いを受けこっぴどく叱られたという。
 実に愉快な話だが、もう一つの噂も負けてはいなかった。

「五人目の恋人候補である麻上が、燕の子安貝をとろうとして籠から落ち、腰の骨を折ったらしい」

 紘介が笑いながら言った。
 面白くはないが微笑んでおいた。姫は終始俯き、顔を隠していた。
 笑っているわけではなさそうだ、むしろ。

「ところで、麻上はどこに入院している?」
「え?」
「だから、麻上が収容された病院は何処だと聞いている」
「病院って……帝、そんなこと聞いてどうすんの?」

 はぁ? と、素っ惚けた声を出しそうになった。
 要するに、彼らは笑うだけ笑って当人の心配はしていないらしい。
 俺もべつに、心配しているわけではないが。

 中流階級貴族の病室。
 やや煌びやかなその部屋は、平民から見れば一等級の広さと絢爛(けんらん)さを誇る。
 檜の扉を叩き病室に入ると、レースのカーテンに包まれたベッドで眠っていた麻上が顔を上げた。

「見舞いというものに来てみた。腰骨を折ったわりには元気そうだな」

 花を突き出して言うと、麻上はふっと笑った。

「男に花か。つくづく変わってるな、帝は」
「人の心遣いを笑うとは、相変わらず無礼なやつだ」

 麻上は花を受け取り、匂いを嗅いで「ありがとう」とまた笑った。
 俺はベッド脇の椅子に腰掛け、足を組む。

「さて、麻上。君の間抜け話を聞かせてもらおうか。昨晩は酷い雨だった。そんな時になぜ、燕(つばめ)の子安貝を得ようとしたのか」
「……かなり、噂が広まっているようだな」
「当たり前だ。君のような阿呆は滅多にいない、面白がられて当然」
「そうか……一つ誤りがある、腰の骨は折っていない」
「ほう」
「手首の骨だ」

 麻上は右手を掲げ、ベッドに横たわる左腕を指した。
 俺はため息を吐く。

「どちらも同じだ、間抜け」
「まあ、似たようなもんだな」

 口元に手をあてくすくすと笑う麻上は他のどの恋人候補より貴族らしかった。

「嵐の夜に子を産む燕は子安貝を持つと、東城(とうじょう)の大旦那様に聞いたんだ」
「浅はかなり。いくら目上とはいえ、あの東城を信じるとは」
「年配の言葉には従えって言うだろ?」
「知らんな、そんな迷言。俺は東城が好かん」
「同じ御三家なのに、月詠家と東城家は仲が悪いからなぁ。でも、東城の狗(いぬ)である俺の見舞いにはちゃんと来るじゃないか」
「勘違いしてくれるな、麻上。君は紘介と同じ、数少ない俺の友人だ」

 そういえば、最近もう一人友人と呼べる人間が出来た。そう告げると、麻上は嬉しそうに微笑んだ。

「心配していたんだ。帝は位の高さゆえに独りになってしまうのではないかと。あ、ごめん、最上位貴族に対して馴れ馴れしいな」
「構わない。ここは病室だ。病人か健全者かのどちらかしかいない」
「お上様がそれを聞いたら、お怒りになるだろうなぁ。帝さ、姫のこと好きだろ?」
「…………は?」

 唐突な質問におかしな声が出てしまった。
 普段見せない俺の困惑顔を見て、麻上が微笑む。

「つまらぬ冗談を。好きどころか、ろくに話したこともない」
「一目惚れって言葉あるだろう? あれ、前世が関係してるって知っているか?」
「前世?」
「生まれる前から恋い焦がれ、その想いが今の世に繋がっているらしい。ただその場合、悲恋。叶わぬ恋を次の世に願って、一目惚れという形で表れることが多いらしい」
「夢物語だ」
「だけど、素敵だと思わないか?」

 相変わらずの笑顔で麻上は俺を見た。
 子を見守る親のような目で、再び微笑んで言った。

「帝。俺さ、転校するんだ」

 我が身の無力を恥ず。「じゃあ」などと簡素な挨拶を告げて、麻上の病室をあとにした。
 数少ない友人が一人遠ざかる。北の大陸。たいした距離ではないが、今ほど親しく会話することはなくなるだろう。
 ため息を吐いてエレベーターのボタンを押した時、中から黒髪の麗しい少女が現れた。
「あっ」とお互い、しばし見つめ合う。

「麻上のお見舞い?」

 俺が尋ねると姫、夜武羽姫はこくこくと頷いた。
 両手で抱える小さな花束の可愛らしいことこの上ない。

「奥の突き当たり、部屋に名前のプレートが貼ってあるからすぐわかる」

 さっさとエレベーターに乗ろうと姫の横を抜けようとした時、腕を掴まれた。

「一緒に、来て」
「え?」
「ごめんなさいを言いたいのです」

 目線は少し下、花束で口元を隠す姫の姿が愛らしかった。
 しかし何ゆえ敬語?

「えっ? いやいや、全然。姫のせいではないよ」

 深々と頭を下げる姫に、麻上はブンブンと片手を振った。

「でも私が難題を出したせいで」
「ああ、それは、夢ばかりで現実を見ようとしなかった俺らが悪いしね」

 姫は悲しそうな顔で、誤魔化すように笑う麻上を見つめる。

「違うんです、私。本当は……」
「恋人なんて欲しくなかったんでしょ?」

 姫が言い出す前に、麻上が答えた。

「知ってた、というよりわかってたよ。諦めさせようと難題を押し付けたんでしょ? なんだあの女って、みんなが愛想尽かすように」
「……ごめんなさい」
「謝ることはないけど、学んでおくといいよ。男は逃げれば逃げるほど追い求め、欲しくなる。何がなんでも手に入れて、俺のほうを振り向かせてやるって思ってたよ」

 くすくすと笑う麻上につられ、姫も微笑した。
 しかし麻上が発した次の言葉で、ぴたりと表情を消す。

「それに、姫はもう、好きな人がいるよね?」
「…………え?」
「前世の因果」

 麻上は親指と人差し指でくの字を作り、俺たちを見た。
 わけがわからず惚けた俺と姫だが、しばらくしたところで俺が「は?」と首を傾げた。

「なにを言っている、麻上。おかしな冗談を……」

 笑い話にしようと姫に視線を落としたが、ぱっと顔を背けられてしまった。

「……冗談、だよな?」

 俺の言葉に誰も返答せず、やがて看護師がやってきて追い出されるように病室を後にした。

 そんなことがあった故であろう。
 麻上の引っ越しの日、俺は起床すると同時に彼のもとへ向かった。
 本意にしても不本意にしても、きっかけを起こすには彼の許可が必要だと思ったのだ。
 俺の言葉を聞き、麻上はいつものようにくすくすと上品に笑った。

「頑張れ帝、応援してる」

 よく晴れた青空の元、数少ない友人が笑った。
 互いに手を振って、小さくなる麻上の姿を見送った。

10.月と姫の転生物語

 五人の恋人候補が無惨に散ってから、姫に付きまとう男どもの数は減った。
 ストーカー行為を働く者はいなくなったし、よくやって挨拶をする程度だ。それなら、と姫も笑顔で応えた。
 麻上の転校から三日後。旧階段の踊場、パタパタと駆け上っていた姫が足を止めた。

「やあ」

 偶然を装い、階上から声をかける。
 いつかの、そうだ阿部。あの時と同じ構図だ。同じ形態で今、俺は姫に話しかけている。
 姫はぺこりと頭を下げ、上目遣いで俺を見た。
 可愛らしいことこの上ないなんて言葉は口にせず、階段を降りて姫に歩み寄る。
 きょとんと首を傾げる姫との距離が一メートルを切った時、右手に持っていた紙を差し出した。

「歌は好きですか?」
「え?」

 姫が恐る恐る、俺の手にある紙を受け取る。

「嫌でなければ、文(ふみ)を交換しませんか?」

 姫が手紙を読み終わったところで切り出してみた。
 じっと文面を見つめたあと、彼女の口元が緩む。

「はい……」

 そしてふわっと、柔らかく笑った。
 嬉しそうに、俺から受け取った文を胸に抱く。

「いとをかし」

 ふいに姫が言った。
 今度は俺が首を傾げる。

「ん?」
「嬉しいとか、心温まる感情をそう表すのだと、古典の教科書で読みました。ちょうど今のような気持ち」
「……ああ、そうですね。いとをかし」

 ふと小窓から見えた空が明澄(めいちょう)で、思わず笑みが溢れた。
 大丈夫、月はない。

「春たてば、消ゆる氷の残りなく、君が心は我にとけなむ」
「え?」
「まだ春ではありませんが、桜が美しく咲き誇るまで……それまでには、もっと親しく話せるようになっていたら嬉しいです」

 姫は一瞬、口を開きかけたが結局何も言わず、俺の手を掴んだ。

「がんばります。返歌を……帝様に歌を届けます」

 必死な表情がとても可愛らしく。
 俺はただ、小さな手を握り返した。

 かつて『竹取物語』という御伽噺が存在した。
 その結末は悲恋で終わり、男の枕を濡らした。
 もし、もしも彼らが生まれ変わり別の世界で出会えたのなら……

『俺ともう一度、恋をしてください』

 そんな恥ずかしい台詞を口にするのは、文の遣り取りを始めて随分経ってからのこと。

第2話

#創作大賞2023 #恋愛小説部門


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