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サステイナブル参加型デザインSustainable Participatory Design 《労働組合を事例に》

事例が「労働組合」だからと思って飛ばすなかれ。"組織文化"に関わる人、人事部門の方々にとって大変重要な内容となっています。もしかするとコーチングをやっている方、あらゆるレイヤーのマネージャーなどにも役立つ内容ではないでしょうか。人と関わる皆様に読んでいだき、組織の活性化、ひいては日本の活性化にお役立ちできればと思っております。もちろん労働組合に関与している方にはぜひとも読んでほしい内容となっています。

また、"デザイン"という言葉がしっくりとこない方にとっても、ぜひ読んでいただきたい内容となっております。デザインの歴史、デザインという抽象的な言葉は何なのか、デザイナーに必要なマインドセットまで、私の頭でもわかるように整理して書いています。つまり難しい文章が苦手な人でもわかるように書かれています。そのためデザインが劇的に良くわかります。

私は一年前から"労働組合"という立場に身を置くようになりました。それまでは博士号を取得し、ポスドクを経て、企業に入り、リチウムイオン電池の研究開発を担当し、スケールアップを検討したり、海外技術者と議論したり、特許を書いたり、実験をしたり、戦略を考えたりと、順当すぎるほどの研究開発者人生を歩んでまいりました。そんな私が突然労働組合の専従となりました。寝ても覚めても組合員のためになることは何か、会社を持続的に発展させていくために労働組合からできることは何かを考えるようになりました。そしてぶち当たったのが、組織文化や社員同士のコミュニケーションとは何かということです。会社の持続的発展のために、目指す姿はどこなのか、どのように変えていかなくてはならないのか、そもそも変えることが必要のない部分もあるのではないか、一体どこから手をつけたら良いのだろう。その形のないものを、取り留めもないようなものを、どのように捉えたらよいものか、どこまでやるものなのか、正直わかりませんでした。

この1年間で学んだこと・整理したことをnoteにまとめることで、私が1年間かかったことが、誰かは半年でできるようになり、そうした方と繋がって知見を共有し、またこのnoteがアップデートされ、1年かかっていたものがたったの3ヶ月で同じレベルになるようになれば、社会はまた9ヶ月分のリソースを新たなことに割くことができ、また前進できるだろうという信念のもと書いています。

労働組合という組織に来れたことを本当に感謝しています。研究開発を通して身につけた仕事のやり方が、ここまで労働組合で通用するとは思っても見ませんでした。私は労働組合でやるべきことを考える上で、まずは過去を調べることにしました。研究開発では現在ー過去ー未来の順に考えることが重要です。今目の前で起きていることはなにか、現在目の前で起きていることはどういう過去の結果なのか、そして未来には何が起きるか、そしてやるべきかを考えます。普通の人は過去を調べるために、原著や論文や一次情報までは見ません。時間がないので誰かがまとめたものを目を通して終わりです。というか、誰かがまとめたものを信じ切ってしまうのです。研究開発者は必ず原著を当たります。情報は引用されるときに解釈によって意味合いが変わっていくことを知っているからです。そして現在と過去を照らし合わることで新しい視点を見つけることが多々あるのです。私は労働組合のルーツを調べ、デザイン思考で労働組合の活動はよくできるだろうという仮説を立ててデザインを調べていくうちに、"参加型デザイン"というキーワードにたどり着きました。参加を求め方のデザインの明快な解釈を見たときに衝撃を受けました。そして、そのルーツが労働組合にあったということで、勝手に興奮しております。スティーブ・ジョブズのいう"Connect the dots"のようにあれよあれよとすべてが繋がっていくことに鳥肌が立ちました。

参加型デザインを理解する上で、慶應義塾大学 環境情報学部 水野大二郎先生がまとめた「参加型デザインの系譜 Partcipatory Design Genealogical Study」を大いに参考にさせていただいております。このnoteでは、参加型デザインの系譜に沿って、過去を振り返りながら、現在の状況を分析し、未来について述べたいと思います。その中で労働組合の未来もクリアになってきています。

事例は労働組合ですが、組織文化、コミュニケーションやデザインというワードに引っかかっただけでも、ぜひ一読いただきたい内容になっています。

正直、noteとしては大変長いのですし、内容としては抽象度が高いです。組織文化、コミュニケーション、デザイン、デザイン経営、デザイン思考、労働組合で迷子になった時に、何度も読み返してもらえるような位置づけで考えていただければと思います。

このnoteはスキルやテクニックではなく、その基礎となるOS・共通認識のような役割を担っています。全体を整えるための思考になっています。そのため、大事な内容であるということは断言できますが、明日すぐ使える内容はないと思ってもらって間違いはありません。しかしデザインに携わるものとして、デザイン思考というテクニックだけを知っているのでは、本質思考を求めるデザインをできるかは怪しさを伴います。真のデザイン思考をする者であれば、本質を求めるはずで、必ずこのOSにたどり着くはずで、その時間を省くことがこのnoteの目的でもあります。その点をご理解の上、読んでいただけると幸いです。

前置きが長くなりました。"サステイナブル参加型デザイン"についてどうぞ。

§1.デザインの始まりに労働に対する思い

ではまずデザインの始まりについて振り返ってみましょう。実はデザイン自体の歴史はそれほど深くありません。19世紀後半(1800年代後半)、イギリスで起こった産業革命に伴い、あらゆるモノが大量生産されるようになりました。中世から手作業で作っていたモノが、機械によって生産されるようになりました。当時の大量生産された工業品は粗悪なものも多く、大量生産に適応するために簡略化され、かつての手仕事の美しさは失われていったと言われています。そこでウィリアム・モリスが異を唱え、このような言葉を残しています。

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引用:https://www.manas.co.jp/business-user/imported-brand/william-morris/

モノに心からの愛着が込められていた「中世の作る喜び」を取り戻したい 
労働を民衆の芸術に育てよう。退屈でつまらない労働、心身をすり減らすような奴隷労働を終わらせよう

この言葉は「中世の素晴らしいモノづくりに戻りたい。」という意味ではなく、「もっと人間らしい営みに労働を見出そう。」という文脈として捉えるべきだと思っています。

実際、ウィリアム・モリスは、結婚したばかりの妻と住む家をロンドン郊外に仲間たちと作り上げました。そしてモリスが21歳の1861年に、自分たちの作った壁紙などの販売を始めています。まさに壁紙という工業的製品でありながら、デザインに力を入れていれたものを提供し始めています。そしてデザイン会社という形態を初めて見出しています。

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引用:https://bijutsutecho.com/exhibitions/2106

これはウィリアム・モリスが作った壁紙です。大変きれいな壁紙です。

「もっと人間らしい営みに労働を見出そう。」という動きは、この2020年代にも起きている流れではないでしょうか。19世紀後半の状況が現代にそのまま転写できるような気がします。やりがいや働きがいに着目し、自分の可能性を試そうとする人が増えだしています。19世紀後半の歴史はこの流れを支持しており、今までの退屈でつまらない労働、心身をすり減らすような奴隷労働はなくなり、人間らしい営みに移っていくことを示唆しています。なくなる労働の具体例がAIやRPAで置き換え可能な仕事を指しているか、もっと特定の職業がなくなるレベルで起きるかはそれぞれかと思いますが、この"やりがいや働きがい"を求める流れは歴史にも裏付けられた不可避な流れとしか言いようがありません。やりがいを語る上で、"裁量が小さい"や"裁量が大きい"ということが議論されます。これはまさに自分で仕事をデザインする要素が多いか少ないかを議論していることになります。このデザイン範囲がやりがいに強く影響を与えると言う表現が適切だと思っています。デザインという行為は前述のようにまさに人間らしさと直結することだからです。私としては大変しっくりくるのですがまだその文脈で語られていないのはまだ世の中にデザイン思考が浸透していないことの現れだと思います。という脱線は少しおいておこうと思います。さて19世紀後半に生まれたデザインはどのように発展していくのでしょうか?

§2.デザインとは

いまやデザイン対象は、かなり広義になっています。有形から無形になり、UI(ユーザーインターフェース)やUX(ユーザーエクスペリエンス)などその周りも含めてその対象は広がっています。近年のデザイン学の動向に関する論文集『The Routledge Companion to Design Research』(2014) において、Sangiorgi と Scott (2014) はノーマンらと同様に、デザイン学がこれまで研究の対象としてきたデザインされた人工物の形状や機能に関する問題が複雑な社会・技術的問題へと拡張しつつあることが指摘され、デザインの対象は超包括的な領域へと広がっています。デザイン対象が広がっても、デザインしきれるかは別問題です。

さてデザイン対象を整理した上で、デザインをすることとは何かについて整理していこうと思います。ハーバート・サイモンによるデザインの定義をふまえて、デザイン学は「どのように今の状態をより良いものへ変容させるか」を主要な命題とすると言われています。デザインという行為は、「文化性やありたい姿に輪郭を与える、または意味を与える行為」というのが、今私が最もしっくりと来ている定義です。

抽象度はそのままに具体的にデザインという行為を理解するために過去の偉人のデザインに対する考え方を援用したいと思います。

Design is a specification of an object, manifested by an agent, intended to accomplish goals, in a particular environment, using a set of primitive components, satisfying a set of requirements, subject to constraints.
デザインとは、特定の環境下かつ様々な制約の中で、目的を達成するために、未完成の要素を組み合わせて、要求を満たすような仕様を明示すること。
Ralph.P and Wand.Y (2009)
Design is a roadmap or a strategic approach for someone to achieve a unique expectation. It defines the specifications, plans, parameters, costs, activities, processes and how and what to do within legal, political, social, environmental, safety and economic constraints in achieving that objective.
デザインは、ユニークな期待に答えるためのロードマップまたは戦略的アプローチです。その目的を達成するために、法的、政治的、社会的、環境的な安全/経済制約の中で何をどのようにするべきか、また、仕様や計画、パラメーター、コスト、活動、プロセスを定義します。
Don Kumaragamage.Y (2011)

デザインとは、文化性やありたい姿を具現化するプロセスでは、そのイメージをイメージで終わらせることなく、現実世界に移して実現しようと試みるわけですから、そのイメージから現実に変換する過程で制約条件が立ちはだかります。具体的には様々なリソースや人間の限界などです。制約条件の中でも実現にこぎつけるために仕様や計画、パラメータ、コスト、活動、プロセスを工夫する。これこそデザインということになります。制約条件があるからこそ、デザインというものが面白さを持ちます。腕のみせどころだからです。

§3.デザイナーに求められるマインドセット

デザインの定義が前述のとおりであれば、デザインを担うデザイナーという役割の人も、随分今までとは聞こえが違うと思います。デザイナーは「文化性やありたい姿に輪郭を与える、または意味を与える行為を行う人」ですから、何も奇抜な格好をしているイケてる容姿である必要はありません。「なにか意図を持ち、形にすることに取り組むすべての人」がデザイナーというわけです。きっとあなたもなにか実現したい未来や夢さえあるならば、デザイナーになれると思ってもらっていいと思っていいです。

しかしながら、あなたが"よいデザイナー"かどうかはまた別の話です。よいデザイナーになるために必要なマインドセットというものは何でしょうか?こちらも過去の偉人を参考に考えてみたいと思います。

デザインとは技能ではなく、物事の本質をつかむ感性と洞察力である。
原 研哉

デザインの中核にある「文化性やありたい姿」とは何かを大切にするために、物事の本質をつかむ感性や洞察力が必要という指摘だと思っています。具現化するプロセスでは、各要素を用いて実現を図っていきます。その各要素が統一的な「文化性やありたい姿」につながるかを判定するためにも、物事の本質をつかむ感性や洞察力の重要性を伝えていると言えます。特に「抽象性と具体性を統合できる力」を指しているとも言えます。

Design is not just what it looks like and feels like. Design is how it works.
デザインとは単に「どう見えるか」や「どう感じるか」というものではない。デザインとは、どう機能するかだ。
スティーブ・ジョブズ

この"how it works"は「機能する」として訳されることが多いが、「作用する」という方が正確かと思います。とあるデザインを通じて、そのデザインを受け取った人がどういう意味を受け取ったり、行動を取るかということを突き詰めることこそデザインの本質であると伝えているのだと思います。そして「徹底的な人から始める姿勢」が必要だと言えます。

Design’s fundamental role is problem solving.
デザインの根本的な役割は、問題を解決することである。
REVERED DESIGN

目指すべき「文化性やありたい姿」を掲げた時、そのギャップを埋めるための具体的な要素を"形やフレーム"として考えることの重要性を伝えています。ハーバート・サイモンによるデザインの定義にとても近い内容です。

Design isn’t crafting a beautiful textured button with breathtaking animation. It’s figuring out if there’s a way to get rid of the button altogether.
デザインとは、美しいテクスチャのボタンを作って、素晴らしいアニメーション効果をつけることではない。デザインとは「このボタンを丸ごと無くすことができないか」と工夫することだ。
Edward Tufte

UXでよく言われることですが、究極のデザインは気づかれないデザインであるということです。文字が書いてあるのに、自然すぎて目に入らない。文字すら必要ないことです。

iphoneの下のスワイプボタンは秀逸です。通常は画像のようにバーだけ、しばらくするとバーは上下に動き、動かすように促します。そして「上にスワイプして開く」と出て、フェードで消える。

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まとめると、デザイナーとして求められるマインドセットとしては、①各要素の抽象と具体を統合すること、②徹底的な人から始める姿勢、③形にすること、といえます。

この3つの能力は、三菱総研からも、Cheif Design Officer(CDO)の要件として、①人から考える、②かたちにする、③美と調和を大切にするとして挙げられています。少し表現は違いますが、ほぼ同じことを言っていることがわかると思います。

§4.デザイン思考を整理する

デザインの全体像がつかめてきたところで、ようやくここで「デザイン思考」というツールを出したいと思います。

デザイン思考は、2005年にスタンフォード大学によって創設されたd.school(The Hasso Plattner Institute of Design)が提唱したことにより世に広まりました。発生した問題や課題に対し、デザインを行う際に必要な考え方と手法で解決策を見出すこと。と定義されています。デザインのプロセスを明示したことが大きな功績です。

デザイン思考は、以下の5つのプロセスを経ます。
(1)観察・共感(Empathize)
(2)定義(Define)
(3)概念化(Ideate)
(4)試作(Prototype)
(5)テスト(Test)

これは先ほどお示しした定義に基づくと、
(1)観察・共感(Empathize)⇒人から始める
(2)定義(Define)⇒抽象的に捉え、文化性やありたい姿を見つける
(3)概念化(Ideate)⇒抽象と具体を行き来し、要素を具体化する
(4)試作(Prototype)⇒形にする
(5)テスト(Test)⇒試す

このデザイン思考のフレームワークだけが独り歩きするがために、わかったような気がするのに、いざやってみるとしっくりこないという現象が起きてしまっていると思います。私も最初このデザイン思考だけではよくわかりませんでした。そして結局のところ、実は自分がやっていたことがデザイン思考だとようやく腑に落ちました。

§5.参加型デザイン(Participatory design)の成り立ち

ではデザインの基礎知識を整理できたところで、参加型デザイン(Participatory design)とはなんたるかについて始めた後、その成り立ちについて触れていきたいと思っています。

Participatory designとは、デザインプロセスに非専門家であるユーザを始めとした多様な利害関係者を巻き込むデザイン手法のことを指します。過去にプロダクトや建築を始めた有形から、形を持たないサービスや組織のデザイン、ひいては社会と人間の相互作用まで、様々な分野で応用実践例が認められています。

このParticipatory designは70年代にスカンディナビアで勃興した労働組合と経営層の間の関係調整を目指す研究に端を発し、その後コンピュータシステムの発展や、欧米を中心としたHuman-computor interaction分野の融合、さらに医療、サービス分野、社会構築などへと広がっています。Participatory designは様々な分野への応用がなされ、その関与の強弱はあるものの、その根幹には、優れたデザインをもたらすだけでなく、デザインプロセスに非専門家を包括することによって、より多様な視点からデザインを検討することにあります。

1950年代に技術が社会の様々な場面に浸透していきました。タヴィストック人間関係研究所のSocio Technical Systems(STS)研究では、イギリス・ダラムの炭鉱に生産性の向上を目的として導入された技術システムが労働者のチームワークと作業プロセスを断片化し、生産性や安全性、労働者の労働意欲の低下問題の打開策が検討されています。

Paola Maioが「新しい技術の導入によってもたらされる問題は技術そのものではなく、それをとりまく関係者や社会技術的問題に起因するものがいいう」(Maio, 2014)と指摘しています。つまり、技術自体は発展すべきものであるが、その技術を導入する段階で、1)組織の質、2)労働生活の質、3)労働関係の質(Amelsvoort, 2000)をデザインすることが重要であることを指摘しています。これは経営層と労働者の関係を調整し、互いに肯定的な結果をもたらすようにデザインすることが重要であることを示しているといえます。

以上のような観点から生産性や収益率向上と労働者の満足度やチームの円滑なコミュニケーションを同時に達成するためには、従来のデザイン専門家によるトップダウン型の意思決定から、労働者自身の意見が反映可能なユーザ参加型の意思決定が必要であるという教訓が得られました。この教訓が1970年代に北欧で勃興するparticipatory designに大きな影響を与えることとなります。

1970年代、スカンディナビア半島を中心とした北欧では社会的階級差が著しく、経営者と労働者感で大きな乖離がありました。今では想像に難い話です。職場には新しく導入される技術システムやその運用に関する決定権は経営者が握っており、技術による生産性の向上が優先された結果、労働者の立場は次第に揺るがされていきました。

そこで、労働運動の解決策として援用されたのがSTS研究でした。当初、労働の現場に技術システムを導入すべきか否かの二択の議論がなされていた状況下で、労働者との対話を促すことによって民主主義的かつ平等主蒻的な方法で問題解決を図ろうとしたのが北欧型のParticipatory designのはじまりです。双方に問題があるのではなく、課題自身に集中し、未来志向の問題解決を行うものでした。

スカンディナビアのデザイナー達は非デザイナーである労慟者とのバートナーシップを形成することを目的に、対話の場を設置するためのゲームやツール開発に精力的に取り組みました。そしてツールを開発するにあたり、労働者の現状や希望を理解するためにアクションリサーチを取り入れ、平等主義的なデザイン方法の確立に向けて尽力しました。アクションリサーチとはKurt  Lewinが1946年に提唱した定性的調査法で、現実問題の解決、または目標となる望ましい状態に向けて改革していくことを目指し研究者が対象について働きかける関係を持ちながら対象者に対する研究(実践)を同時に行う方法(秋田、市川、2001)です。こうしてSTS研究に立脚したアクションリサーチの応用などを前提としてスカンディナビアのデザイナーによって独自にまとめられた手法は、Scandinavian Approachと名付けられました。

Scandinavian Approachの特徴は下記のようにまとめられます。

1)民主化のために努力する
2)デザインすることや未来を想像することに価値をおき、明示的な議論を行う
3)闘争や対立がデザインにおけるリソースとなる

そしてプロセスにユーザ(労働者)を参加させる動機は下記のように言及されています(Bjurn,1977)。

1)システムの構築に関する知見を向上させることができる
2) 人々が現実的な予想を膨らませ、変化に対する抵抗を減らすことができる
3)労働に影響が発生しうる意患決定の際に、参加する帽利を労働者に与えることで職場の民主化を高めることができる。

スカンディナビアが社会保障が充実していることや、労働組合の組織率が高いことは、まさにこうしたデザインの歴史と紐づく内容であり、結果的に合意形成のもとに社会が作られることで幸福度が高いことに繋がっていることはこの例からも読み取れる内容です。

§6.参加型デザインと労働組合における職場改善

企業内でのparticipatory designを果たす上で、労働組合の役割の大きさを再認識させられました。非デザイナーである労慟者とのバートナーシップを形成することを目的に、労働組合のフルタイムワーカー(専従者)がデザイナーとして、対話の場を設置するためのゲームやツールの開発とメンテナンスを精力的に取り組む必要性を痛切に伝えています。またタスクにおいて労使の対立で発生するヘルシーコンフリクトこそ、新しいデザインのドライビングフォースであり、それをまとめ上げることの重要性を伝えています。結果として未来をよくすることにこそフォーカスすることが求めるべき姿勢であるということです。

労働組合での活動の中で、職場改善というものがあります。職場で起こる諸問題を解決していく活動です。この参加型デザインの概念が十分に組み込まれていないツールを使用しなければ、たちまち労使の対立が深まってしまう可能性をはらんでいます。すなわち労使の意見の対立が、どちらが悪いという議論に終始し、結果として関係の悪化を招く。挙がってくる課題は本来労使ともに日々努力している結果、どうしても残っている課題です。その解決は難しくて当然です。この課題に対する意見の対立をヘルシーコンフリクトとして捉え、未来志向的にまとめ上げることが職場改善の重要な点であります。

職場改善がうまくいかない職場は、たいていツールが不完全であるか、ヘルシーコンフリクトに持っていく気がない経営層、もしくはparticipatory designを理解できていない組合側に問題があると思います。

一番手っ取り早いのは、職場改善をする労使のメンバーが一様にこのparticipatory designを熟知していることが好ましく、一般の組合員までもがデザイナーとしての一部の要素を理解していることが好ましいが、それは後述のColective-dreamingの状態であり、後述の章に譲りたいと思います。あくまでツールを使う経営層及び一般組合員は非デザイナーであることが一般的です。また逆説的に、経営層及び一般組合員が非デザイナーでありながらも参加できるようなツールでなくてはなりません。その意味で後述のCo-designやCollective designの状態に行くことはかなり高いハードルがあるわけです。

§7.参加型デザイン(Participatory design)から共創デザイン(Co-design)へ

 2000年以降の複雑な社会に対応するために、ユーザがむしろ提案する主体としてデザインプロセスに参加することに意義を見出すCo-designに移行していきました。

Co-designとはユーザが Co-designer(共創デザイナー)としてデザインプロセスに参加し、デザイナーや専門家と共に創るデザイン手法です。ユーザは自身の感情や経験に基づく考えをデザイナーに共有する「自身の経験の専門家」(experts of their experience)として振舞うことが要請されるため、設計 や評価段階のみならず、アイディエーション段階にまで参加の幅が拡張されたことが Co-design の特徴です。

Co-designが必要になる理由は、そのデザイン対象の複雑性やデザインの範疇が拡大してきたからな他なりません。プロダクトのように凝縮するようなプロセスであれば、一人のトップデザイナーで十分な場合が多いですが、より広い範疇を対象とする場合、一人ではデザインしきれなくなるからです。

Co-designでユーザが求められるのは、「自身の経験の専門家」(experts of their experience)でありますが、デザイン思考で言うところの最初の2つへの本格的な参画が求められると言えます。
(1)観察・共感(Empathize)⇒人から始める
(2)定義(Define)⇒抽象的に捉え、文化性やありたい姿を見つける
この参画の実現には経験したことを常日頃感度を持って収集する必要性があります。しかしこれが意外と難しいのです。全体のデザインの流れや思想がわからない中、常日頃の中でどのような観点で情報を収集したらよいのかわからないからです。人間一秒一秒すべて記憶できるわけはなく、必要でない情報はどんどんと捨てられていることは色々なところで書かれていますし、実感としておわかりになると思います。とすれば、どのような眼鏡をかけて普段の生活を過ごして貰えばいいかを明示できない限り難しいということになります。いわゆる事前教育が必要となります。

再度、職場改善の例を挙げてみましょう。職場改善を毎年実施しているのであれば、その結果をフィードバックしていくことが最も好ましいです。これにより、どのような経験を集めていけばよいか、帰納法的に理解できるからです。もしくは教育を定期的に実施し、演繹的の理解してもいい。実際的には両方を活用することがほとんどです。そして出てきた経験をアイディエーションしていく。すなわちどのような経験を収集すればよいかというコンパスをもたせてあげれば良く、その経験をストックしてもらい、自身の記憶またはメモから紡ぎ出すことが重要になります。

Co-designはあくまで自身の経験が重要になります。そのため自分の仕事に関わる職場改善についてはCo-designは可能でありますが、職場の少し外側、すなわちアサインメントのすぐ外側となると、途端に機能しなくなることを心得ることが重要です。あくまで自身の経験をベースにしてでしか、Co-designはなし得ない。例えば、部門をまたぐ問題や全社的な問題、自分が直接的に関わりが無いと思っていることに対して、Co-designはなし得ません。そうしたアサインメント外の諸問題についてCo-designを求めていくとなれば、経験を引用できるプロジェクトを立てて参加してもらうか、検索対象を幅広く取り、社内から経験者を集めてやるより他の方法はありません。経験がないユーザにCo-designを求める光景を見かけることがありますが、それはやはり無理な話です。

§8.Co-design が要求するデザイナーの要件 

Participatory designではデザイナーは下記の取り組みの必要性を挙げました。
1.対話の場を設置するためのゲームやツールの開発とメンテナンスを精力的に取り組む
2.タスクにおいて労使の対立で発生するヘルシーコンフリクトこそ、新しいデザインのドライビングフォースであり、それをまとめ上げることの重要性
3.未来をよくすることにこそフォーカスする

Co-designではデザイナーは下記の取り組みの必要性を追加しました。
4.どのような経験を収集すればよいかというコンパスをもたせる。
  その結果である経験を紡ぎ出すこと
  具体的には、どのような経験を集めていけばよいか、帰納法的理解を
  求める。または、教育を定期的に実施し、演繹的理解を求める。そして
  出てきた経験をアイディエーションしていく。

サンダースらとマンジーニによれば、Co-design を実現するには、受け身だったユーザはアイディア創出、 コンセプト作成に強く働きかける存在としてデザインプロセス に参加するように、デザイナーはユーザの創造性を刺激し、 表現することを助けるような「ツールの開発者(Toolmaker)」、「議論の調整役(Facilitator)」として職能を発揮することが望ましいと指摘しており、まさにそのとおりだと思います。

§9.労働組合の現在地は未熟なCo-design 

しかしどこまで現在の労働組合で専従をお勤めの皆さまがこのCo-designを達成しうるデザイナーとして機能しているか、また過去の労働組合専従の方が日々の改善を通じてのツールのアップデートとファシリテーション術を組合の活動に資産として蓄積してきたか、またCo-designを意識した活動によって一般組合員を啓蒙して非デザイナーをデザイナーとして輩出してよりCo-designのやりやすい環境を構築することができてきたかについては疑問を感じざるを得ません。もしこのCo-designが実現されていたとすればCo-designの代表例として労働組合が真っ先に取り上げられるケーススタディになっているはずです。この点は道半ばであると現状結論づけることが妥当であるといえます。私としてもこの点を課題として現状認識しており、過去のnoteにてその活動のデザインについて議論しております。その活動の様子については下記の別noteのマガジンを参考にしていただきたいかと思います。

今回このnoteを労働組合専従の方が見ていただき、participatory designを理解していただき、上記のnoteのマガジン、そして後述する労働組合をparticipatory designでRe-designするための方法論を参考にしていただければ、そしてなによりもこのparticipatory designを信じて日々実践に落とし込んでいく大変地道な活動を進めていただければ、その先にはCo-designを体現する労働組合ができると思っています。

§10.Co-designな労働組合を完成させる

Co-designな労働組合を完成させるためのキーワードは、サステイナブル、サーキュラー、デジタルトランスフォーメーションです。そう。労働組合でも重要なキーワードはサステイナブル、サーキュラー、デジタルトランスフォーメーションです。大事なことなので2回言いました。

労働組合はモノがあるわけではありません。労働組合はあくまで人が集まった組織です。人の出入りが各レイヤーであり、あくまで動的平衡を保っているに過ぎません。人がどれだけ出入りしようともCo-designが実行できる強固なデザインが労働組合には必要です。また労働組合をキープする専従と会話や時間を共にする折にCo-designの思想をユーザである一般組合員に伝えていくことが欠かせません。それは"たまたま会話した"と言うような偶発性に任せるわけではなく、定期的な場を設けることや場をキープしていくことが必要です。この会話や時間を共にすることも"仕組み化"していくのです。

度々出てくる職場改善の例を取り上げるとすれば、ツールとしては、アンケート、意見集約、そして経営側との対話というフローを設けることはもちろんで、その各ステップのデザイン精度をいかに上げるかが重要になります。アンケートの前段として必要なのは、アンケートに十分な課題感で臨んでもらうためのツールが必要となります。その中には前回実施した職場改善の内容や最新の職場改善トピックスや世の中の流れなどを過不足なく伝えていくことが効果的です。それを理解してもらう対象も全員ではありません。専従に近い人から十分な理解を得ることを徹底することがデザインとして正しいです。可能であればユーザである一般組合員に理解を得ておくことが必要でしょう。これらの多い変数を最適な状態で組み合わせることで職場改善に対してのparticipatory designがずいぶん形としてしっかりしてきます。結果が次の議論の始点になりますから、この活動はまさにサイクルをなし、サーキュラーな取り組みになっていきます。

そのサーキュラーがいかにスムーズに回すことができるかこそがデザインの判定基準になってきます。しっかりきれいなサーキュラーが見えてくれば、仕組みの完成度は十分高いといえ、関与する人が変わってもそのサーキュラーが維持しやすくなっていきます。まさに持続可能なサーキュラー、サステイナブルサーキュラーが見えるかがポイントになります。ぜひきれいなサステイナブルサーキュラーを見出してほしいと思います。

ユーザである一般組合員が最も「自身の経験の専門家」(experts of their experience)となれる対象は職場改善であることは間違いありません。特に職場のまとまりで実施するものであることからアイディエーションも解決に対するイメージもしやすいです。この職場改善においてきれいなサステイナブルサーキュラーを見出すことができれば、少し対象をスライドさせていいと思います。アンゾフの成長マトリクスを用いて説明するならば、既存製品はここで説明した「サステイナブルサーキュラーなCo-designプロセス」です。これを既存市場から新市場にスライドさせて新市場開拓戦略をとる。すなわち、部署横断で解決しなくてはならない課題や全社的な課題、また労働組合では働く人の幸せを願う組織であるがために社会的課題への応用を考えて良い段階になります。

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引用:https://bizhint.jp/keyword/110766

各テーマに最適な「自身の経験の専門家」(experts of their experience)を集めていきたいところです。この「自身の経験の専門家」を集める上で、この専門家達が職場のように繋がっていることが好ましいです。繋がりを持っていることでそこには場が形成され、「少し自分とは関係ないかな」と思っている人に対しての引力が増していきます。労働組合の中にそうした場がデジタル上に構築し、マイノリティーだった課題感をまとめることを可能とし、頻度を上げることが可能になります。すると、デジタルトランスフォーメーションがその活動のサステイナビリティを高めてくれます。やはりデジタルトランスフォーメーションが既存製品で新市場開拓をするための欠かせない要素だと思います。もう一度いいますが、労働組合は人が集まる組織であって、その中の場を保つためにはデジタルトランスフォーメーションが欠かすことができません。労働組合は対面を重視してきましたが、移動の制限からそのリージョンという制限を超えられず、マスの小さい「自身の経験の専門家」を集めることが困難でした。一方で社会のデジタル化は進展し、同じ興味を持つ人が集まれるようになりました。この社会と労働組合のギャップは早く埋めなくてはならない不都合な真実だと思います。

共創するためのデザインを準備することはアジャイルにすすめていくことも大事ですが、十分にデザインされた「サステイナブルサーキュラーなCo-designプロセス」をぜひ有効活用してほしいと思います。職場改善において「サステイナブルサーキュラーなCo-designプロセス」を確立している労働組合はリードしていると言えます。おそらくその体制は一朝一夕にできるものではなく10年単位で作り出して行かなくてはならないからです。もともとこのようなデザインを持って起業されている新興企業でなら苦労はないと思います。

§11.集団的夢想(Collective-dreaming)

Sanders らが2014 年に発表した「From Designing to Co-Designing to Collective Dreaming: Three Slices in Time」(Sanders and Stappers, 2014) 内で 1984 年、 2014年、2044 年の3つの時代区分からデザインの目的やユー ザ、デザイナー像を考察し、その概要を図のようにまとめられています(Mizuno 2019)。

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Sanders ら は 2044 年ごろ Participatory designは「Collective Dreaming(集団的夢想)」に発展していくだろうと予測しています。Collective Dreaming は Co-designやParticipatory designをはじめとするユーザ参加のデザインに未来志向型のデザインの文脈が融合したアプローチ、すなわち一般市民が主体となって集合的に未来をデザインするアプローチです。

図からも明らかなように 2014年、これまでユーザと「ともに」行われてきた参加のデザイン(Design WITH users)は2044年に一般市民「による」(Design BY People)行為へと変化し、デザインは今後、集団的な(Collective)行為に移り変わっていくということ、そして共創は未来の夢想(Dreaming)にまで拡張することでより持続可能で好ましい未来がデザインできるといった推測が Collective Dreaming という新たなユーザ(一般市民)参加のアプローチとして予見されています。

さらにサンダースらはこの 2044 年の Collective Dreaming を実現するにあたって、ユーザは「未来を提案するデザイナー」、そして専門家としてのデザイナーは彼らの行為を支援する「メタデザイナー」として役割をさらに変容させていく必要があると述べ、これまでのデザイナー、ユーザの役割を根本的に刷新し、 新たな振る舞いが生まれる状況に期待を寄せていると述べられています。

ここでの大きな障壁は、初期のParticipatory designで受け身だったユーザはCo-designの段階で、アイディア創出、 コンセプト作成に関わるようになりました。このcollective dreamingでは、ユーザにデザインの主体となることを求めていきます。この実現には過半数の人がデザインの概念を理解しているか、ユーザがデザインの概念を知らずともそのプロセスに参加できるような工夫が散りばめられた状態でなくてはなりません。

クラウドファウンディングは近い取り組みに見えますが、あくまで企画の主体はデザイナーに依存しています。また自治体が実施しているパブリックコメントもその主体はデザイナーに残ったままです。コミュニティがかなり近い要素を持ってはいますが、まだ特定の人が活躍され、大部分がフォロワーという状態かと思います。もし良い事例があれば教えてほしいなと思います。

§12.未来の労働組合のあるべき姿

Collective-dreamingが起きる労働組合をどのようにデザインするか。世の中にCollective-dreamingが出てくることが先か、労働組合が先か。まずはCollective-dreamingを実現するために必要な要素を展開してみたいと思います。

dreamingをcollectiveにするためには、皆がdreamingし始めること、また収集が付く範囲にいてくれた結果、collectiveであることが重要です。キーワードはバックキャスティングだと思います。

現状からどんな改善ができるかを考えて、改善策をつみあげていくような考え方をフォアキャスティング(forecasting)といい、それに対して未来の姿から逆算して現在の施策を考える発想をバックキャスティング(backcasting)といいます。バックキャスティングのいいところは皆で共通のあるべき姿を共有できるところにあります。バックキャスティングで注意したいことは現実とかけ離れてしまうことです。2050年を考えて、2040年、2030年と考えていきますが、2050年となるとかなりかけ離れた未来を予測してしまいやすいです。例えば宇宙に住むようになるなど。もちろん可能性としては否定しませんが、2050年の宇宙に住むためには、2040年には住むためのインフラ建設から実生活のレベルまでの実証が完了している必要があります。すると、2030年には一般人が宇宙に行くことが当たり前になっていなくてはなりません。となると、流石に非現実的かなということはわかるかと思います。さりながら、イーロン・マスクの勢いを見ているとどうなるかわかりませんが。

さて、話を戻してバックキャスティングでは現在とうまく整合をとっていくことが大事です。自分の仕事は2050年にはどういう状態になるか、2050年には自分が手掛けるサービスや製品はどうなっているか。もちろん預言者ではないので当たらないことが大半でしょうが、Collective-dreamingを達成するためには欠かせないプロセスだと思います。そして難しいことだと思います。

最も考えやすいのはサーキュラー・エコノミーについてでしょうか。2050年にはサーキュラー・エコノミーの完成を目指して世界が動いています。2050年の実現には、2040年には検証が終了している。2030年にはほぼ要素検討が終了している。2020年頃から動いているはずです。そして30年ものプロセスを着実に進め、議論を毎年発展的に進めていくためには、継続的な場のデザインが求められていると思います。"議論の場"や"アイディア"のサステイナブルサーキュラーを維持して行くことが着実に30年を歩むための一番の方法だと思っています。優れたリーダーが各所にいますが、まだ十分にまとまるための場、サステイナブルサーキュラーな場が形成されていないことこそが、今の日本の問題だと思っています。

各分野のdreamingを実現するためのサステイナブルサーキュラーな場を作り出し、バックキャスティングでcollectiveにしていく。世界が複雑に絡み合ったものを解きほぐすことはできません。絡まったものを絡み合いながら変化していくことになります。その複雑性を丸々引き受けられるようなサステイナブルサーキュラーな議論の場をぜひ労働組合のCo-designの完成などを参考に出来上がっていけばと思っています。

これからの社会の中での労働組合の位置づけがまだ私にははっきりとは見えていませんが働く者であり生活者である組合員に一番近い存在としてその役割が重要であることだけはいえると思います。今後の社会デザインにおいて労働組合が形を変えてまたプレゼンスを発揮していくでしょうし、それに耐えうる力をつけておかなくてはならないでしょう。

今の労働組合専従がどれほどの力を持っているでしょうか?どれだけ組合員の安定した生活に責任を持っているでしょうか?一人でも多くの労働組合専従に自組織のCo-designの完成と、多様な分野におけるCo-designの完成と、Collective-dreamingに向けた非デザイナーへのデザイン教育と、リアルなバックキャスティング、そしてCollective-dreamingの場を本格的な場にするために労働組合同士ではなく、他社や行政など真に多様な"つながり"の形成に、本気で取り組んでほしいと思っています。それができない労働組合を持つ企業は社会からRejectされる恐れがあります。すなわち、労働組合が先進的になることが実は日本を再興させる可能性を持っていると私は信じています。

このnoteが皆さんの刺激となってほしいですが、刺激で終わらせないでほしい。明日から実際に動いてほしい。ぜひ日本を変えていこうではないですか。



参考文献











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