見出し画像

【百人一首】八重むぐら(四十七・恵慶法師)

やへ葎(むぐら)しげれる宿の寂しきに人こそ見えねあきは来にけり
(四十七・恵慶法師)

【解釈】

つる草が幾重にも茂っている邸宅は、さびれていて訪れる人の姿も見えない。それでもこの家にも秋は来ていたのだなあ。

作者は恵慶(えぎょう)法師。
出典は拾遺集 秋 一四〇。「河原院にてあれたるやどに秋来といふ心を人々よみ侍けるに」という詞書がついています。

河原院とは、源融(みなもとのとおる)が六条に作った邸宅のこと。

源融は9世紀半ばごろの人で、百人一首では14番に歌がおさめられています。
奥州、塩釜にインスパイアされた邸宅は広大でゴージャスで色々すごかったと言われますね。

そんな河原院も、10世紀後半の恵慶法師の時代にはすっかり荒れ果てていました。源融の子孫にあたる安法法師という人が住まいにして、文人たちのサロンになっていたようです。

源氏物語で夕顔が暮らしていた荒れたさびしい家もは、この河原院をモチーフにしていたと言われています。

源氏物語において、光源氏の邸宅である六条院は全盛期の河原院がモデル。
夕顔の家は100年後の荒れ果てた河原院がモデル。ややこしい。もしくは紫式部は河原院が好きすぎるのではという気もします。

さびれて人が訪れなくなっても、秋は確かにやってくる。

そんな季節の移り変わりを詠むことで、長い長い時の経過を感じさせます。

そして具体的には何も言っていないのに、秋の美しい情景やものさびしさが伝わってくる。対比が美しく、魅力的な歌だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?