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秀吉に天下を獲らせた男・黒田官兵衛

皆さん、こんにちは!

大河ドラマの主人公・黒田官兵衛。

V6の岡田准一さんが演じたことで当時、脚光を浴びました。

二兵衛(もう1人は天才軍師・竹中半兵衛)と謳われ、秀吉に天下を穫らせた男です。

しかし、あまりにも実力がありすぎ才能が表に出過ぎた為、晩年は秀吉に警戒され、冷遇されたのが官兵衛でした。

官兵衛の功績は華々しいもので、播磨(兵庫県)の居城・姫路城を秀吉に譲り渡し、三木城・鳥取城・高松城攻めで頭角を表しました。

対中国の覇者・毛利戦、天下分け目の明智光秀(山崎の戦い)

織田家筆頭家老・柴田勝家(賤ヶ岳の戦い)、関東管領・滝川一益戦、徳川家康・織田信雄(小牧・長久手の戦い)

四国の覇者・長宗我部元親(四国征伐)、九州の覇者・島津義久(九州征伐)

そして、天下の堅城・小田原城に依る関東の覇者・北条氏政(小田原征伐)

官兵衛は軍師として秀吉に献策し、時には陣頭で指揮を執り、天下統一に多大な貢献をします。

これだけの功績を果たしたにも関わらず、戦後の恩賞は豊前中津18万石のみでした。

晩年、秀吉は近臣にある問いかけをします。

「余が亡くなった後、誰が天下を穫るだろうか」

近臣は「徳川家康、前田利家、毛利輝元」など、錚々たる大大名の名前を挙げます。

しかし、秀吉は首を横に振り、
「それは黒田官兵衛である。

奴は余が考え抜いて出した以上の答えに、たちどころに行き着く。

どんな難題を相談をしても即座に答え、しかも過不足がない。

その上、仁義を重んじ、弁舌に長け、容易に人の心を獲っていく。

そして、奴には度胸があり、大きな勇気を秘め、金を惜しみなく振る舞い、人の使い方も上手い。

もし奴に50万石でも与えてみろ。

余が存命のうちでも、その気になれば天下を穫れるに相違あるまい。」

有り余る程の才略を持ちながら、才気走り過ぎるところに官兵衛最大の不足がありました。

秀吉のもう一人の軍師・竹中半兵衛と天下三家老の一人・小早川隆景は、生前、官兵衛の将来を危惧していた逸話を残しています。

No.1に警戒されないために、自分の能力や野心を包み隠す術は重要な処世術です。

本能寺の変で信長が滅んだ際、官兵衛は秀吉に耳打ちします。

「秀吉殿の御運が開けてまいりましたな。」

この何気ない一言に、秀吉は官兵衛の溢れる野心に強い警戒感を持つようになったといわれています。

秀吉の気持ちを察した官兵衛は若干40代の若さで隠居します。

号は「如水」

老子の一説にある「上善如水」からとったとされています。

「最上の生き方は水のように柔軟に生きること。」

当時の黒田如水の達観した心境が読み取れます。

秀吉没後、内大臣・徳川家康の台頭に如水の最後の勝負が始まります。

表面上は東軍に服従し、上杉征伐のため嫡男の長政を正規軍と共に家康の許に派遣します。

送り出した後、黒田家の財産を惜しみなくバラまき、傭兵を雇い、たちまち数千の軍勢を組織。

天下の軍師「官兵衛」の名に瞬く間に兵を集め、士気を高める手腕は流石です。

即席の軍勢ながら、九州の西軍方に連戦連勝して数万の軍勢に膨れ上がり、北九州をたちまち席巻します。

さらに、薩摩の島津氏を討伐し、中国の毛利氏を破り、それらの軍勢を吸収して家康に乾坤一擲の戦を挑む戦略を立てたといわれています。

しかし、嫡男・長政の活躍もあり、関ヶ原の合戦がわずか1日で終了し、官兵衛の絵図は頓挫します。

長政の功績により、黒田家は三倍の加増となり、福岡藩の藩祖になります。

しかし、徳川家康は天下を穫った後も如水に対する警戒を怠らなかったとされています。

その如水は、晩年茶の湯に傾倒し、茶に受け継がれる精神を感じ、修養に努めました。

有り余る知謀の才によって、秀吉、家康という歴代の天下人を恐れさせた官兵衛ですが、穏やかに臨終の時を迎えました。

有り余る才能を持つ者ほど、自らの才気・実力を極力しまい込もうとします。

人々の心根にある嫉妬・妬みの恐さを知り抜いているからです。

天下の采配を振るった官兵衛に学ぶべき人生訓は計り知れません。


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