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身体拘束とフラッシュバック

過量服薬が原因となり、閉鎖病棟に入院して早3ヵ月。
ここ数日、隣の部屋の患者さんが身体拘束されている。
隔離される前まで彼女とは日常的に話していたので、拘束されてしまったことが不憫なのはもちろんのこと…
壁越しに聞こえる彼女の叫び声と、拘束具が立てるチャラチャラという音が私の精神にも影響を及ぼしている。

数年前、高校生だった私も拘束されたことがある。
当時、自殺を企てて高所から飛び降りようとしていたのを親に見つかり、翌日入院が決まった。
拘束しましょう、という先生の指示に怖くなった私は診察室を飛び出た。
そこで待っていたのは5人の看護師達で、逃げようと暴れる私はあっという間に捕まえられ、半ば羽交い締めにされながら保護室へと連れていかれた。黙って気まずそうにこちらを見ている母親の顔が忘れられない。
部屋に着くと同時に服を脱がされた。おむつを穿かされ、別の入院着のようなものに着替えさせられる。ベッドに押さえつけられ、手足・胴体に拘束具を付けられ固定された。
尿道カテーテルをされたのがとても痛かったのが記憶にある。

その日から地獄が始まった。
薄暗く汚い部屋の中で、拘束具をガチャガチャ鳴らし、もがく。泣き叫ぶ。
どれだけ時間が経ったのかわからず、今が何日の何曜日、何時なのかもわからない。24時間身体の自由を奪われ、一人で過ごすことの耐え難さを思い知る。
食事はお粥を看護師にスプーンで食べさせられる。お風呂は3日に1回。排泄はおむつにする。
一度、年配の男性看護師に「僕がおむつ替えてもいいかね?」と聞かれ、恐怖と気持ち悪さで背筋が凍りついたのは今でも忘れられない。

日夜問わず一体どれだけ泣き叫んだかわからない。

何日かに1回、主治医が小窓からちらと顔を見せる。
「拘束外してください!拘束外してください!」藁にもすがる思いで、必死に懇願する。大嫌いな主治医にプライドを捨てて頼み込んだ。
あっさり「ダメです」と言い帰っていく主治医。何度絶望したかわからない。

何日経っただろう。2週間かもしれないし、1ヶ月かもしれない。もしくは2ヵ月、3ヵ月が経過していたかもしれない。

天井の模様を眺めるか、思考を巡らせるしかやることのない毎日の中で、考えていたことがある。
自分の足を使って好きな場所へ行くことができるのは決して当たり前じゃない。
手で物を掴むこと、痒いところを掻けることすらも当たり前じゃない。毎日お風呂に入れるのも当たり前じゃない。トイレに行けることも、外の空気を吸えることも、何もかも当たり前じゃないということ。
それらを私は身をもって思い知った。

それからはどうやったらここから出られるか───そればかり考える日々が続いた。

そうだ、主治医に謝ってみよう。

次に主治医が顔を見せた時に、こう言ってみた。
「もうしません。ごめんなさい。私が悪かったです。」
主治医に対して悪いことなど何もしていないが、自分の非を認めてとりあえず謝った。根気強く、何度も何度も主治医が来る度に謝った。
そうすると徐々に反応が変わっていき、遂に私は拘束具を外されることになった。保護室からも出られた。

今思えば、主治医に謝って身体拘束が解けたというのもおかしな話だと思う。ただ、当時の私にはそれしか有効な手段を思いつけなかった。

結果的に数ヶ月後には退院も決まり、私は久しぶりに外へ出た。病院の玄関を出て、階段を下り、自分の足で地面を踏みしめたときの感動は忘れられない。

退院してから数年、私は身体拘束されたことを思い出さなかった。おそらく無意識に記憶を抑圧していたのだと思う。
しかし、大学生になってから度々フラッシュバックが私を襲った。拘束されている夢を見て、真夜中に目が覚めるとそこは自分の家なのに病院だと錯覚し、パニックを起こして過呼吸になる。
時間軸が過去に戻ってしまい、恐怖でいっぱいになる。
家族にも、うなされていたよと言われることがあった。

フラッシュバックは今でも起こる。
入院中で、隣の部屋の患者さんが拘束されているとなると、音を聞く度に凍りついてしまう。
当時の映像が目の前に流れる中で必死に冷静さを保ち、「いま、ここ」に意識をやる。
今は過去じゃない。もう終わったことなんだ。大丈夫、大丈夫、大丈夫…何度も何度も自分に言い聞かせる。

正直なところ、これを書くにも非常に勇気が要ったし、フラッシュバックしながら書いた。心臓がバクバクと鳴るのが聞こえる。
でも、何かの方法で表現して形に残しておかないといけないと思った。
私は秘密主義で、人にあれこれと自分のことを言わない性質だ。
過去に拘束されてトラウマになっている事実も、この経験を恥じていることと自らの性質も相まって、ここまで詳細に人に伝えたことは一度もない。
ではなぜ公開したのかというと、理由は二つある。
一つは、私は解離性障害があり健忘もあるのであらゆることを忘れてしまう。書けるうちに書いておかないと、トラウマ記憶でさえも想起できなくなってしまうのではと危ぶんだので、記録も兼ねて公開した。
二つ目は、人に伝えなければいけないと強く思ったからだ。
これは上手く説明ができないのだけれど、使命感にも似たものではないかと思う。精神科の閉鎖病棟の中の保護室の実態。それを知ってほしかったのかもしれない。
あるいは、こんな経験をした人間もいるということを誰かに伝えたかったのかもしれない。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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