見出し画像

コトバを学ぶ-1

話を聞く方法の授業がない

人の話を「ちゃんと」聞きたい。
そんな願いがずいぶん前から私の中にある。
「ちゃんと」の定義は人それぞれ違う。

私が思う「ちゃんと」は、
お互いの心が豊かである状態。
もう少し分解すると、
お互いが今ここにいて置いてきぼりになっていない状態だ。

しかしそれがなかなか難しい。

気持ちに飲まれて聞けなくなる

例えば相手のコトバにショックを受けたとして。
するとそのショックさに飲まれて
そのあと相手のコトバが聞けなくなる。
ショックに翻弄されるのだ。

もしくは自分の中にいろいろな思いをためすぎると
いつの間にか不満に変わる。
こっちの話をまず聞いてよ!
と怒りがわいてきたりもする。
すると相手のコトバが聞けなくなる。

そもそもまず聞くべきは自分の気持ち

そもそも相手の話以前に、
自分の本当の気持ちを聞いていない。
だからまずは自分の気持ちを自覚してあげることが先決なのだけど、その方法を私たちは知らない。
なぜなら学校や身近な大人が教えてくれるのは
「分別」とか「我慢」とか
ちょっと昭和レトロな色合いのものだから。

国語の勉強は学校で教わる。
しかし自分の中にあるコトバの取り出し方や話の聞き方を教えてくれる授業はない。

方法がわからずぶち当たる壁

そこで大人になって壁にぶち当たる。
自分にも人にも誠実でありたいと思う人ほどその壁は分厚く高く自分の目の前に立ちはだかる。
まさにわたしもそんな壁に直面していた。

ビジネススクールでも教えてくれない大切なこと

私はかつて、コミュニケーションのビジネススクールなり心理学講座なりカウンセラー講座なりに通った。楽しかったし身になった。課外で仲間たちと文化祭や音楽ライブ、夏祭りなど大きなイベントごとをたくさん行い、高校や大学よりも青春っぽい学校感があって最高に楽しかった。
しかし冷静に考えてみると、講座の学び以前にもっと繊細で大切な学びをすっとばしたままでいるような気がしていた。

そう思いながらネットでいろいろ探していると、ピンとくるものを見つけた。橋本久仁彦さん(通称くにちゃん)という方の講座だ。

不思議な不思議な学びの時間

はじめて参加したのは京都。
「からだで味わう話の聞き方」
という2日間の講座だ。
私は東京からの参加なので
会場近くの町屋ゲストハウスに連泊した。
参加者は30人くらいだったろうか。

講座では様々なことをした。
椅子の形をしたてるぺんという積み木を積んでいったり、言葉のあいだを読んだり、ただ一点に集中してそこから創発する身体の動きに身を任せる影舞を舞ったり、座学を受けたり。今思うと異次元にいたのではないかと思えるような不思議な3日間だった。

東京での講座

そのあと東京でも講座があると知る。
結構な量の仕事を抱えていたけ私は、仕事の手を止め参加した。そのぶん翌日アップアップするのは目に見えていたけれど、自分を生きる上で少しでもくにちゃんの学びに触れたかった。

つづく

▼たてものと暮らしのエッセイです▼

インスタばなーkurasiのコピー


いただいたサポートは時代に合った学びを伝えるための勉強費用に充てさせていただきます。