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そんなやつが先生になるな

私は教育事業で起業した。
けど「教育」というテーマに、ずーっと前から違和感がある。
やりたいことは「教育」のはずなのに、正直言って惹かれない気持ちがあるのも私の中の事実なんだぁ。

その事実に目を背けていたわけなんだが、かおると話してみてその言語化をする気になった。笑
たった1時間しか話してないのに、なんか今まで言語化できてなかったものを今なら言語化してみたくなった🙃笑
かおるの持つ ”なにか” は本当にすごいと思わされる😌

※注意書き※
私は、公教育しか受けたことがないので、ここで言う教育は公教育のことを指してます!
それに加えて社会に流布する教育論についてまったく勉強してないので、完全に経験論です!笑
そして、誰かを責めたいわけじゃありません!
しかーし。この記事は私の思う教育への悪口の話です!笑



教育は社会を変える

教育は人類の未来を変える力を持っていると思う。

私たちの先輩たちは、たくさんのことを明らかにし、たくさんのものを作り出し、常識を変え、そして時代を作ってきた。しかし、その一方で差別も虐殺も戦争も経験してきた。
歴史は教科書に載っているよりも残酷で、胸が張り裂けるほどの悔しさや悲しさもあっただろう。
そして、何十万年も歴史を作ってきた人類は、この地球に問題を山積させた。
光と闇を持つ歴史を形づくる土台を担ってきたのは教育である、と思うと同時に、そんな社会の行末を握っているのも、教育であるように思う。

もし、1つでも多くの社会問題が解決された社会を望むなら、それは、教育が変えることでしか社会は長期的には良くならない。と思うほどに、教育には底力があると私は思う。

クラスは社会

あなたは学校生活、楽しかったですか??

私は、勉強は楽しいけど、今いる友達は卒業してしまったらこの先あまり関わることはないだろうな〜と思っていた。
今考えると、その場しのぎの友達関係だったようにも思う。

特に公教育は、クラス替えで身を置く社会が決まる。つまり、居たい社会を選べない。教えてくれる先生も選べない。
そんな社会の中で、発言力の強さ故に権力関係が生まれたり、人の目を気にするようになったり、ひいては死んだ方が楽だと思うほどに”逃げる”という選択肢が見えなくなるんじゃないか。

しかも、テストや成績によって、勉強ができるできないということがはっきり分かる。
ということが、劣等感や自己否定感にもつながるのではないか、また、「勉強したいと思ったことではない」5教科に「今やってる勉強は何のために勉強してるんだろう」と思ってしまう。

だけど大人になった今、5教科を勉強することには意味があったと思う。国語を学んでいないと日本語の美しさは感じられないし、数学を学んでいないと論理的に物事を考える力は得られない。

つまるところ言いたいことは、学校は、勉強の出来不出来を評価されるべき場でもなく、人間関係ガチャで自分を否定することを覚えるべき場でもなく、そんなことはどうでもよくて、勉強することの本当の楽しさを感じる場所であるべきだと思う。

そんなやつが先生になるな

あなたは、学ぶことの楽しさをどこで知りましたか?

私は、学びたいと思える学問に出会えて初めて、学ぶことは机に向かって勉強するだけではなく、自分の足で行き、自分の目で見て、自分の頭で考えることの知的好奇心をくすぐられるような楽しさを感じながら追求していくことだと思うようになった。

今、子どもたちに教えている先生は勉強することを楽しいと思えているのだろうか。
人類は今日に至るまで、本気で”今”を作ってきた。その結晶が学問になっている。そのことの壮大さと感動と美しさを伝えられず、受験のために勉強するのだと教えるやつに先生になってほしくない。

加えて、私は教育とはエゴだと思っている。
子どもにとってなにが一番いいのか語る教育者、自分のやってる教育をひけらかす教育者、きれいで無難な言葉で自分の行う教育を正当化する教育者、それは自由だけど、それはどこまでいっても自分の考える教育観でしかない、ということを心の奥底で理解しておく必要がある。

子どもにとって学校は、親以外の大人と出会う貴重な場であり、先生の思想というメガネ越しに社会を認識する場だ。
教科書に載っていることは無難なことばかりだが、それを生きた知識とするのが先生の役割であり、教育に関わる者が持つべき役割だと思う。

だから私は、安定思考で、何事もきれいにまとめて、自分のすることがみんなにとってよかったと信じて疑わないような反省のない、そして、挑戦もなければ失敗もないような大人には、絶対になりたくない。

だから私は

教育現場は、毎日目まぐるしく動く社会の最前線からは一番遠のいたところにあるような感覚がある。
今の教育現場では、日々、この社会を少しでも良くして次の世代へとバトンを繋ごうとするプロフェッショナルとはあまり出会えない。

そこには必ず、ドラマがあるはずなのに、社会に出るまでに触れられる職種が少ないことは、人生の選択肢を狭め、子どもがテレビやネット越し以外でかっこいい大人に憧れる機会を奪っているのではないか。

本章までにたくさん言った持論は、そうやって言っている自分にこそブーメランは返ってくると心得た上で

だから私は、学びは奥深く、世界は美しくて複雑で、でも本当に楽しい、と、そして、10年もしたら社会の最前線に立つ子どもたちと共に、少しでも良い社会を一緒に作っていきたい、と、伝えられる大人でありたい。


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