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半生を振り返る

こんばんわ!サスティナブルな情報を発信するサチです🌳

今日は、わたしのいままでの半生を振り返りながら、なぜ”いまここ”のわたしが居るのか。これを、紐解きたいと思います。この記事は、誰かへの「メッセージ」「啓蒙」というよりも、勝手に自分自身の半生を棚おろしをしたくなっただけのものです。

ただもし、何かしらの共感を持っていただけて、ちょっとした気づき・考えるキッカケになれば、それは嬉しい限りです!では、どうぞ♪

長野から東京へ

私は、長野市生まれ・長野市育ちの生粋の「長野っ子」。

自然豊かな環境下で育った私でしたが、高校生の時に見たとあるドラマに衝撃を受けました。それは、松嶋菜々子主演ドラマ「やまとなでしこ」。田舎出身の主人公•桜子が上京し、その美しさを武器に仕事や恋愛に奔走するドラマ。毎回オシャレなファッションで現れる桜子は、キラキラ輝いていました。桜子につよい憧れをいだいた私は、同時に都会に対しても憧れをいだくようになります。都会にいけば、”望むものすべてが手に入る”と思ったためです。そして、猛勉強のすえキラキラした生活が送れそうというイメージで、東京•青山学院大学へ進学しました。

キャンパスライフでは、オシャレな子が沢山いたから「田舎者って思われたらきっとバカにされる。みんなに合わせないと!」そう思い、流行りのファッションと高いヒールで身を固めていきます。

丸の内OL→結婚→ベンチャー企業

やがて社会人になり、新卒で大手人材会社に入社。秘書・人事などを経験しました。勤務先は丸の内、いわゆる丸の内OLです。「都会でオシャレなファッションを身にまとい、バリバリ仕事してるあたし」風に見せたかった私は、日々言われたことをこなす仕事に疑問をいだきつつも、仕事を続けました。その頃は、人の目線ばかりを気にして、「人からどう見られるか」から逆算して、ファッションを決めたり、言動を決めていた気がします。

転機は結婚。
ずっとモヤモヤを抱えつつも会社をやめられずにいた私でしたが、「寿退社」という、今どきちょっと古い流儀でしたが、それにより辞める自分を正当化できました。それからしばらくは専業主婦を謳歌していた私でしたが、次第に自分の生活圏が狭まることの不安感、そして「いいよ」と言われてるにせよ、主人のお金だけで生活している自分に価値を見出せなくなりました。

それから、なんとか社会復帰をはたそうと転職活動をし、2社目は表参道にあるITベンチャー企業で働きました。UIUXのコンサルファームで30名ほどの小さな会社でしたが、名だたる大手との取引も多く、事業は順調。平均年齢は30前半と若く、社員の半分は外国人という特殊な環境でした。アットホーム且つフラットな空気の中で、毎日まるで大学に行くような感覚で楽しく仕事しました。

「倒産」「移住」「コロナ」の3大インパクト

雲行きがあやしくなったのは、2020年のコロナウイルス到来。
事業自体は順調でしたが、社長がコロナ後の世界を見据えて、既存事業を閉じてAR事業に舵を切ります。一方で、私には栃木県で士業を営む旦那さんがいます。いずれは彼の拠点である栃木県に移住することが結婚時に決まっていました。首都圏に住んでたマンションの更新タイミングであった2019年11月、私は栃木県に移住しました。なお、AR事業はニーズ調査不足や人的リソースによる資金繰り難におちいり、失敗に終わります。やがて事業資金も底をつき、社員の前で泣き崩れる社長、怒号が飛び交う社内、あわや警察沙汰になりそうな喧嘩など。世紀末の終わりのような経験をしました。

栃木に移住してからも、しばらくは会社を辞めずにいましたが、ある日社長が全社員に対して、自主都合退職を促しました。倒産がもう目の前までせまっていたのです。それを受けて、あるいはもうすでに限界を感じまくっていたこともあり、私は退職をしました。そして、私の退職の3か月後、2020年7月に会社は倒産します。

「会社の倒産」「移住」「コロナ」この三大インパクトをきっかけに、”会社に頼らなくても、自力で生きていけるようになりたい”と強く思うようになりました。そして、人脈0の状態でたった一台のパソコンからフリーランスに転身したのもこの頃でした。

フリーランスへの転身と気づき

最初は、1文字1円のアフィリエイトサイトの記事制作をコツコツ続けました。そのうちに、徐々におしごとの依頼が舞い込むようになり、やがて国内最大級の転職情報サイト・東証一部上場企業のメディア制作に携わるようになりました。それと同時に、複数のベンチャー企業の広報・PRを兼任。

ただ、世はコロナ禍。
実家の家族にすら会うことがままならない上、知り合いも誰もいない栃木でたった一人でパソコンに向かって黙々と仕事する日々。当時はまるで、陸の孤島にいるような気分でした。

やがて、フリーランスに転身して3年が経ったある日。目の前の仕事にただただ忙殺されながら、案件をこなしお金を稼ぎ続ける日々に疑念を抱くようになりました。ふと「自分はなんのために生き、なんのために働くのか」を考えたときに、自分にとっての「働く」命題はなにか?を、棚おろししたくなったのです。すると、はるか15年前に後にした故郷・長野県に何かしらの形で関わりたい自分がいることに気づきました。

シゴトを通じて、地元「長野」を活性化する

一度は「こんな田舎早く出たい!」と強く願った長野。
けれど、本当に自分にとってかけがえのないものは何か?

コロナ禍による情勢や「働く」そして「生きる」をつきつめて考えた先にあった答え。それは、どんな時でも見守り、変わらずに、そこに居てくれるものが、私にとっては長野だったのです。それは雄大な自然とか、美味しい食べ物など有形のものだけでなく、友人との思い出とか家族の絆とか、無形のものの両方です。それらは私に、多大なる安心感・幸福感を与えてくれました。だからこそ、長野は私の「アイデンティティ」であり「守り続けたいもの」の一つだったのです。

私は思いました。
せっかく、大切な人生の時間を使って「働く」のであれば。その「働く」時間が、自分にとってかけがえのないもの、あるいは好きなものに従事したい。その想いから、「働く」を通して地元・長野県に貢献しようと思い立ちます。

それでいまは、長野市に拠点を置くSDGs推進企業にジョイン。
フードロスにたいする問題提起や、あらたな食の概念である「アップサイクル・フード」の浸透のため長野から全国に向けて情報発信をしています。

ただ、1つの企業だけにとどまりたくない私は、自分の精神状態をよく保つためにも、会社員だけでなくフリーのおしごともつづけています。
つまり現在は、会社員•フリーランスのハイブリッド方式で働いているのです。

これが、現在の私です。
今後の仕事での展望とか、人生のビジョンとか。そんなことまで語れればいいのだけれど、それはまだうまく言語化できないので、またゆくゆく考えていきたいと思います。それよりもまず、自分がたどってきた道を振り返るのも悪くないかな?そう思い、記事にしたためてみました!

お読みいただき、ありがとうございました^^


サチ🌳


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