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仕事のやりがい 前編【エッセイ】

「誰が作っても、箱は箱」

分厚い防寒ジャケットに黒縁メガネをかけた男性は、終業のベルがなると同時に、嬉々として退社していきました。
仕事帰りにどこかの居酒屋で一杯やるのが楽しみなのでしょう。
彼の顔はおぼろげにしか覚えていません。
名前は一文字も浮かんできません。
もしかしたら元から知らなかった可能性さえあります。
ぼくは20年前、その男性と3日間、郊外の冷凍倉庫で一緒に働いただけだからです。

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今日は単純労働の日でした。
朝から晩まで荷物を段ボールに詰めていました。
自宅が仕事場なので、例によってYouTubeをかけながら、だらだらと作業をします。こういうのは上司のいない自営業者の特権ですね。
今日の気分は、『ゆる言語学ラジオ』と『山田玲司のヤングサンデー』だったので、それぞれ2時間ほど視聴しました。
単純作業って、集中が一定以上に高まると、気持ち良く体を動かすことができますよね。
段ボールを組み立てて、中身を入れて、テープを貼って封をしてっていう一連の動作を、半ば無意識の状態で続けていました。結構はかどりました。

ぼくは自分の会社で、自分の稼ぎのために仕事をしているので、今日みたいな単純作業に時間を費やしていても、やり甲斐や満足感があります。
もし同じことを雇われのアルバイトでやらされていたら、まず達成感はないでしょう。人間とは不思議なものです。

ぼくは多様な働き方を経験しているほうでして、学生時代のアルバイトから始まり、上場企業の正社員、中小企業の正社員、大企業への出向社員、個人事業主でのフリーランス、ベンチャー企業の契約社員、主夫、個人事業主の自営業者、そして起業して会社役員をやっています。あらかた制覇していると思います(でも職種は一貫してコンテンツ制作+αという感じですが)。
あと残っているのは自由業だけですが、奥さんが半分自由業の人なので、それぞれの立場での話が分かる男だぞ、というつもりでいます。

そういった経験からですが、仕事にやり甲斐が持てるか持てないかで、その時その時の人生の楽しさって随分違っていたなと思います。
外の仕事だけではなくて、家庭の仕事も含んでの話です。

ぼくは新卒でCM制作会社に入ったのですが、夜中の三時にドン・キホーテに買い出しに走らされるような、つまらない小間使いをさせられても、それが面白い映像、美しい映像に作るためなら全然構いませんでした。
下っ端もいいところでしたが、メンバーの一員として働けていることに満足していました。
逆にとある大企業に出向している時はしんどかったですね。一等地のキレイなオフィスビルの高層階で働いていましたが、社内に連絡メールを送る際にどの役員をどういう順番で入れるか、あるいは誰を入れないほうがいいか、社内政治の観点から実に神経質な判断せねばならず、いちいち上長に確認しないといけなかった。それが毎日の通常業務で気が狂いそうになりました。断っておきますが、これは修辞的な言い回しではなく、ぼくは本当にうつになって会社を欠勤し、心療内科を受診し、その仕事を辞めました。
(別に某企業の暴露話をしたいわけではありませんが、この出向時代の出来事もなかなか面白いので、いつかnoteに書いておきたいですね)

また、一般的に男性が主夫をやっていると、「あ、無職なんだ」という冷ややかな視点で見られがちです。実際に叔父や友人から「なんだよヒモやってんのかよ」とからかわれましたしね。
ぼくは自分の意志で選択的に主夫をしていましたし、奥さんの仕事のサポートをする、そしてそこから商売をつくるという目的があったので、揶揄やゆされてもまだダメージは軽かったのですが、意図せず失業の憂き目にあって主夫をしている人はこたえると思います。
女性でも、やりたい仕事を辞めて主婦をせざるを得ない人には、忸怩じくじたる思いがあるでしょう。


仕事のやり甲斐について考える時、ぼくの頭にはひとつの言葉が浮かんできます。

「誰が作っても、箱は箱」

ぼくは幸いにして、社会人になってから今まで、ほとんどの時期において仕事にやり甲斐を感じることができています。
それは裏返せば、自分に十分な裁量があり、創意工夫によって結果を向上させることができ、さらに利益に結びつく仕事が幸運にもできているからです。
仕事が自分自身を反映させる鏡となっていると言えるかもしれません。
しかし、ぼくはそれと全く反対の仕事をしていたことがあります。
それは大学生時代に経験した日雇いのアルバイトでした。
折しも小泉内閣の構造改革によって、派遣業の規制が大幅に緩められ、日雇いバイトの斡旋企業が急成長していた時期です。
ぼくは大学を留年してしまい、親からの仕送りが減額されて(文句は言えません)貧乏学生をしていました。卒論と就活に追われる中、それまで4年間勤めていたバイト先の飲食店が潰れてしまいます。
さらに悪いことに当時は消費者金融が台頭していて、ぼくは結構なお金をそこで借りてしまっていました。当然ですが家計は坂を転げ落ちていきます。
青息吐息で日雇いバイトを探して、なんとか毎月をしのいでいました。
とにかく金が手元にないと。金が返せない。

そんな中、斡旋されたバイト先のひとつが冷凍倉庫での軽作業でした。
現場につくとずっしりとした重たいジャケットと手袋を渡されました。これから3日間、この巨大な冷凍庫で食品を段ボール詰めするのです。アルバイトはもう一人いて、ぼくと同じ男子大学生でした。
ぼくらに指示を出す社員さんは二人いました。一人は60才くらいの男性で、どこにでもいる工場労働者といった感じでした。
もう一人は40才くらいの男性でした。背が高く、黒縁メガネをかけ、髭をぼうぼうに伸ばしていました。
防寒ジャケットを着ていることもあって、彼はまるでこれから登山に向かう山男のように見えました。どうやらこちらの山男氏がこの現場を監督しているようでした。
冷凍倉庫という非日常的な空間のせいもあって、ぼくは興奮し、変なやる気を出していました。
山男氏から梱包作業の説明が一通りなされます。説明といっても段ボールを組み立て、冷凍パスタやグラタンを詰めて、封をするだけです。難しいことは一つもありません。一度聞けば誰でも分かります。
しかし子どもじみたやる気をみなぎらせていたぼくは、意気揚々と「この作業のコツは何かありますか?」などと聞いてしまったのです。
山男氏はぼくを見て、こう切り捨てました。

「誰が作っても、箱は箱」

彼の顔にはなんとも言えない表情が浮かんでいました。
子どもに言ってきかせる面倒臭さと、世界知らずさに対するあざけりと、大学生という気楽な身分への侮蔑ぶべつと、社会に出て働く苦労をお前らはこれから嫌でも知るんだという憐れみとが混じった表情でした。
そう言って、山男氏は奥に駐めてあったフォークリフトに乗り込み、それから終業まで、ひらたらずっと同じ運搬作業を繰り返していました。
それは1日目も、2日目も、3日目も変わりはありませんでした。


(思いのほか長くなってしまったので、後半につづきます)


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