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坊主のススメ【エッセイ】

髪をがっつり切りました。
バリカンで刈り上げてもらったので、耳の周りやうなじの辺りが青々としています。
ここまで短くしたのは数年ぶりです。

ぼくは自宅で仕事をしている人間です。
なので、長髪だろうが金髪だろうがスキンヘッドだろうがまげを結おうが、どんな髪型にしていても文句は言われません。
でも逆にいうと、家族以外の人間とはほとんど会わずに過ごしているので、見た目に労力をかける甲斐がありません。
結局、一番楽な髪型に落ち着きます。実用性重視です。

昨日まではツーブロックでした。
ツーブロックだと、自分でサイドを刈り上げれば、他の部分は伸びていても清潔感が出て格好がつくからです。
30代まではわりと長めでラフな髪型にしていたのですが、40歳を過ぎてラフな格好をすると、ただのだらしのない大人に見えてしまう危険性があるので、気を遣うようになりました。
まあ平日の昼間から、Tシャツ短パンサンダルでうろついてはいますけど。

ツーブロックは便利で気に入っていたのですが、娘が生まれてから家の中でもバタバタ動くようになり、ちょっとした前髪すらうざったく感じるようになったので、バッサリといきました。

青々とした自分の頭を見ていると、20代で丸坊主にさせられたことを思い出します。
とある仕事で大失敗をして、取引先である広告代理店の偉い人から「お前、坊主な」と凄まれたので、ガリッといったわけですが、今ならコンプラ案件でしょう。まあ時代ですね。

反省=坊主。
これは一体いつから始まった風習なんでしょうね。
江戸時代には絶対ないと思うので、やはり明治の富国強兵、軍隊教育から生まれてきたのでしょうか。
モヒカンならいざ知らず、ぼくは坊主にされることで〈懲罰を与えられた〉という実感はないです。実際、当時はオシャレ坊主が流行っていたので、後輩の女の子からは逆に褒められたりしました。
懲罰を与えるというよりは、自分で髪を切って誠意を見せるという、切腹の変形のようなことなんですかね。よく分かりません。
何にせよ、頭を丸めることで、文字通り「丸く収まる」なら儲けものだと思ってました。
まあ実は代理店の人も、坊主にするくらい大したことじゃないし、誠意を周知させるという意味では、ぼくにとってコストパフォーマンス度が高いと思って口に出したのかもしれません。
ソウダトシタラ、アリガトウゴザイマス。


世界には洋の東西を問わず、みっともない格好をさせることで懲罰を与えるという〈晒し刑〉の歴史があります。
罪人を道端で枷につないで「この者、姦通を犯した匹夫なり」などと立て札を立てて見世物にしたわけです。
罪人の体に墨を入れるのも晒し刑の一種です。
江戸時代では、初犯で額にまっすぐ「一」の字の入れ墨。
再犯でもう一彫り入れて「ナ」の字。
三度目だとさらに彫り足されて、ついには「犬」となったそうです。
額に犬。
ここまでくれば確かに懲罰ですね。

うーん、もしかすると何かヘタを打った時は、坊主にして終わりくらいのほうが、平和的なのかもしれないと思い始めてきました。
坊主にすれば、それでチャラ。後腐れなし。
でも今のぼくはほとんど坊主に近いので、やっぱり額に犬とか猫とか書かれちゃうかも知れません。
額に猫って書いてあったら何だか愉快な人ですね。
見るだけなら好印象を持つかもなぁ。後ろを付いてきたら嫌だけど。
女性の場合は何だろう、逆に百日間ずっと髪の毛を切らずに伸ばし続けるとかね。
そういうことでいいのかもしれない。何か呪いをかけてるみたいですけど。



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