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夜にエッセイを書くと【エッセイ】

いつも朝一番にエッセイを書いていたのだけど、家庭の事情によって夜に変更しました。
今は仕事を終えて、夕ご飯を食べた後、夜8時から10時くらいにキーボードに向かっています。
うちは自営業者の夫婦なので、かなり時間の自由はきくのですが、小さい子どもがいるので、早朝5時から子守が始まります。
僕がnote執筆のために仕事場にこもってしまうと、奥さんがワンオペ状態になってしまうし、効率的に家事ができないので、朝は家の時間とすることにしました。

まあ朝一番に書いていたのは、「毎日書き続ける」という行為を強制的に体に馴染ませるという意味もありました。とりあえずまずnoteを書くことを第一に優先していたという感じです。
連続投稿が30日を越えたので、もうそんなに部活の朝練じみた気合いを入れなくても、「あー今日は何を書こうっかなー」と自然と書き物をする精神状態に移行できるようになりました。
やる気があるんだか、ないんだか、よく分からない状態ですね。

執筆時間が朝から夜に変わって、書く内容がちょっと変わってきています。
内容というか、厳密にいうと頭の回転数が全然違う。
朝はやっぱり元気で頭が回るので、自然とロジカルな展開を追うような文章を書きます。あれがこれでこうなるからしてこうである、みたいな。
夜のこの時間になると、仕事をした後だし、夕ご飯もお腹いっぱい食べているし、ガチガチに〈締めた〉文章って書きづらいですね。何となく思いついたことをだらだらを書きたくなる。

今までは、書き物をする=気合いをいれるだったので、こういう〈抜いた〉文章って書きたくても全然書けなかったんだけど、気合いを入れずともキーボードに向かう状態になったことで、自然と達成できてしまった。頭がすごくゆっくり回っている。体は正直だなぁという気がします。

一般的には「頭の回転が遅い」ってあまり良い意味では使われませんよね。
要するに「お前、バカ」って言っているのと同じ意味でしょう。
でも、頭の回転が遅いときのほうが、あっちこっちに〈寄り道〉して考えることができます。回転が速いと最短距離で突っ走っちゃうので。
この〈寄り道〉こそが創造的なものの考え方をするために必要なことで、正解には辿り着きにくいかも知れないけど、「面白い間違い」をしでかすことができると思います。

自分で言うのも何ですが、僕はそれこそ物心ついた時から、世の中をわたるための基礎能力が比較的高い人間だったと思います。
勉強も運動も、自然とそこそこできて、上の人にはよく従うというタイプです(従順というよりは、自分のやりたいことが阻害されなければ別にいいという考えでしたが)。
そういう優等生タイプの人間は、正解を出すことは得意なのですが、間違いを出すことがヘタなのです。
正解を出す事は、世の中をうまく渡っていくためには非常に便利なのですが、往々にしてつまらない。面白いことというのは、間違いの中から発生するものだと思います。サッカーのルールを無視してラグビーが生まれたり、東方見聞録で日本が黄金の国になったり。

正解というのは十人が十人「OK」を出すということです。言い換えると、十人全員がすでに、目の前に出されたモノが及第点なのだと判断できる「ものさし」を持っているということです。
作品を褒める時に「何かいい」と言ったり言われたりすることがありますけど、そういう時は言葉で測れない、「ものさし」の外の感覚が生じているのかなぁと思います。好ましい感覚です。
すでに万人の価値観に組み込まれたものを作るより、何だかよく分からないけど面白いとか、感動したとか、笑った、怖かった、そういう作品をつくれたら、自分も満足できる気がします。


夜に書くと、頭はゆっくり回るけど、ちょっと疲れて眠くなってきますね。
もう切り上げないといけないのですが、もう少し時間内に長く書けるようになりたいです。






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