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食に関する負のテレパシー【エッセイ】

最近、料理をめっきりしなくなってしまった。
嫌いではないんですけど、我が家の料理担当がほぼ奥さんになってしまったので、僕は週一回キッチンに立てばいいほうです。

一時期は主夫生活をしていたので、その時は毎日のように料理をしていました。何せ仕事がないので時間がた〜っぷりありました。
料理の本(男性が好みそうなおかずが多く掲載されているやつ)を買ってきたり、クックパッドで検索をかけたりして、せっせとレパートリーを増やしていました。
シュフ(主婦・主夫)の方は首肯していただけるだろうけど、料理は鍋を振るより、連日の献立を考える方が大変なのです。
独身時代は自炊といっても、そんなに凝ったものには手を出さないし、栄養バランスのことも考えないし、何より別に毎日同じものを作ったって自分が食べるだけだから文句なんて言われない。でも他人(家族)がいると、さすがに3食アジの開きというわけにもいかないですよね。せっかく暖かいご飯を出しても冷たい目をされちゃうから、ははは。

食い物のうらみは恐ろしいと言いますけど、食に関する負の感情ってみんな結構顔に出るというか、何となくテレパシーで伝わってきませんか? 「うわ、まず……」とか「え、またこれ?」とか「おっと酢豚にパイナップル入れる派かー」とか「みそ汁の味がどうも実家と違うなあ」とか「ということは、この人と結婚するのは考えたほうがいいな」とかピンと分かってしまう。まあ最後のはつまらない冗談ですけど、とにかくどうも日本人というのはめしで失敗すると、途端にテンションが下がるというか、神経に障る民族だという気がします。

昔、CM撮影の仕事でカナダのバンクーバーにいきました。
こういった海外ロケは、確かに撮影の仕事ではあるのですが、僕のような現場スタッフではなく、営業窓口であるプロデューサーの視点でみると、広告代理店やクライアントの「接待」という別の側面もあるのです。
ここでの最重要課題は、やはり飯です。
お金はすべて会社持ちになりますから、遠慮はいりません。現地を案内するコーディネーターにお願いして、その土地その土地で評判の(そして値段の張る)お店を用意します。その時はピアノの生演奏があるシーフードレストランでした。カナダ名物のキングサーモンとロブスターを死ぬほど食べてやろうという意気込みです。
たしか6人くらいでテーブルに着いたと思うんですが、プロデューサーはここが腕の見せどころとばかりに張り切って、やれキングサーモンやら、ロブスターやら、Tボーンステーキやら、フォアグラやらと高級食材を片っ端からオーダーしていました。ワインだってばかすか開けます。皿がテーブルに乗り切らなくて(十人は座れる広いテーブルでした)、ステーキ3枚を1皿にまとめてスペースを作ったりと、無茶をしていました。でもまあ海外なので、みんな浮かれています。ある程度は度を越していても許される雰囲気があります。しかしプロデューサーは調子に乗りすぎていました。
すでに全員の前に、食べきれなくなって放ってある皿が何枚もあります。テーブルの隅には、まだ一口も手を付けられていない料理がそっと押しのけられています。「ああ、こういうのどうするんだろうなあ」とその場の全員が気になりだしたのが分かりました。例の飯テレパシーです。そんなところでバケツいっぱいのムール貝が追加で2杯、テーブルの真ん中にドンドンと置かれ……代理店の偉い人がキレました。

「いくらなんでも、こんなの頼みすぎだろう!! 食い切れないよ! 余った料理はどうするんだよっ! おい!」

これはテレパシーではありません。リアルな怒声でした。
いやごもっともです。おっしゃるとおり。フォローしておくと、代理店の方は普段は温厚な方なんです。仕事で僕がヘタを打ったならともかく、こういう飯の席でプロデューサーが怒られるなんて通常はありません。僕もはじめての経験でした。明らかにプロデューサーの勇み足です。でも時すでに遅し。テーブルに出てきたものは引っ込められません。
まずい雰囲気になってしまいました。

当時の僕はまだ20代半ばで、体重が47キロくらいしかないガリガリの若造でした。プロデューサーは直属の上司にあたります。上司の失態は部下にとっては連帯責任です。僕は腹をくくりました。本当に文字通り腹をくくったのです。そして、へらへらした笑顔をつくってみなさんに言いました。
「大丈夫ですよ。僕、全部食えますから」
自分はこの一晩だけ、ガリガリの大食いキャラであると自己催眠をかけたのです。
「全然、いけますいけます」
僕はそこから異常なスピードで料理を平らげはじめました。胃に溜まってしまうバゲットやポテトなどの炭水化物は徹底的に無視して、ひらすらを海産物と肉類だけ詰め込みます。付け合わせなんかいくら残っていても構いません。メインが皿の上から消えてさえいれば、弁明が立つ。

最初は訝しげな顔をしていた偉い人も、僕があまりにも平然と料理を掻き込んでいるので「ああ、この若者はそういう子なのかな」とうっすら納得したようでした。
こうなると逆におじさん軍団は、僕にもっと食べさせようとします。
自分もおじさんになったので分かるのですが、若い男の子が飯をたくさん食べている様子を見ると、おじさんたちは何故か嬉しくなるのです。何なんでしょうね、あれは。
しかもガリガリで金の無い男子に、キングサーモンや分厚いステーキを飽きるほど食べさせてあげる。もうこれは社会福祉ですよね。自分たちがすごくいいことをしている気分になる。
プロデューサーもここで勝機を見出したのでしょう。
「そうなんですよー。こいつは滅茶苦茶食べるんですよー。余っている皿全部こいつに回してください」と、応援なのか追い打ちなのか分からないコメントを口にします。僕は社内で全然飯を食わないキャラで有名だったんですけどね。でもいいんです。普段はプロデューサーにいっぱい尻拭いをしてもらっているので。
自己催眠をかけた僕の見事な食いっぷりに、「君は食べるねー。いいねー」と偉い人も上機嫌になり、何とかその場は楽しく解散となりました。
自分の給料では絶対食べられないような高級食材をいったい何人前腹にいれたのか。もうよく分かりませんでした。味もしませんでしたしね。

その夜ですね。午前三時くらいだったかなぁ。
僕はあんなに大便をひったことはありませんよ。
出しても出してもまだ出てくる。
海外で良かった。日本の便器だったら壊れていたかもしれない。

汚い話になってしまいました。なんでこんな話になってしまったんだっけ。
すみません。


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