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仕事のやりがい 後編【エッセイ】

前半からの続きです。

冷凍食品の段ボール詰めは実に簡単な作業でした。
マイナス10度という環境ではありましたが、防寒着は思いのほか性能がよく、寒さはほとんど感じませんでした。
扱うのも小さな冷凍食品なので、体も全然疲れません。拍子抜けするくらい楽な現場だったのです。

ビルの5階のワンフロアが従業員用の食堂になっていました。
食堂といってもご飯を提供してくれるわけではなく、ただ机と椅子が並べられているだけのスペースです。
窓からは背の低い住宅地が見渡せました。その中にポンと不思議な形をした建物が立っていて目をひきます(後からそれは新興宗教の大聖堂だと知りました)。郊外ののどかな風景です。さっきまでの冷凍庫と同じ建物だと思うと不思議な感じがします。
ぼくは一緒に働いていた男子大学生くんと連れだって、コンビニで買ってきた弁当を食べていました。
ぼくらは初対面でしたが、飯を食いながらまず「このバイト、楽勝だよね」と意見が一致しました。やはり彼も同じ事を思っていたのです。
お互いマンガか何かで読んだのだと思いますが、冷凍倉庫でのバイトはとにかく寒くて、冷凍マグロなどの重い荷物をかじかむ手で持ち上げて、という過酷な労働のイメージがありました。
思いのほか楽なバイトにありつけて、ぼくらはラッキーだと笑っていました。

休憩が終わり、倉庫に戻ったぼくらは、再び箱詰め作業に取りかかります。もう勝手が分かっているので、淡々と作業を繰り返すだけです。
畳まれている段ボールを組み立てます。
冷凍パスタの箱から、袋をひとつを取り出し、段ボールに入れます。
次はグラタンの箱から、袋をひとつ取り出し、段ボールに入れます。
次はピラフの箱から、袋をひとつ取り出し、段ボールに入れます。
段ボールを閉じて、ガムテープで封をします。
そしてまた畳まれている段ボールを組み立てます。
冷凍食品の箱が空になると山男氏がやってきて、黙って新しい箱を置いていきます。
この職場の決まりなのでしょうが、作業中の私語は許されていません。黙々と作業に取りかからなければならないのです。

午前中はわりと調子良く進んでいたのですが、休憩後の午後の作業は随分と長く感じました。
冷凍倉庫という特殊な空間にもすっかり慣れてしまい、もうどこにでもあるただの倉庫のように思えました。両手にはめた手袋がうっとうしいのですが、これを脱ぐと指がかじかんでしまうので外せません。
やがてフォークリフトでの運搬作業が終わった山男氏と、60代のおじさんも箱詰め作業に加わり、4人でひたすら冷凍食品のセットを積み上げました。
学生のぼくらと、ベテランの社員である彼らが並んで同じ仕事をしているのは少し変な感じがしました。
ぼくは山男氏の手元を横目で見ていました。慣れているだけあって、作業のスピードはぼくらよりも早いのですが、それでも倍早いということはありません。そして山男氏の作った箱も、ぼくの作った箱も、寸分違わず同じ箱でした。もちろん同僚の大学生くんが作った箱も、60代のおじさんの箱も同じです。
そこには何の違いもなかったです。
誰が作っても、箱は箱なのです。

終業は5時でした。
ベルが鳴るやいなや、山男氏は回れ右をし、ドアに向かって歩き出しました。まるで号令がかかったように足早に歩いていくので、ぼくは何か仕事に使う道具を取りにいくのだと思いましたが、違いました。
彼は急ににこやかになり「おつかれ。明日もよろしく」と言って、そのまま外に出ていってしまったのです。
あまりの変わり身の早さに、ぼくも大学生くんも唖然としていました。もう一秒でもここにいたくないという態度です。何て分かりやすい。
おじさんがぼくらに片付けの指示を出して、初日は終了ということになりました。

2日目もやることは同じです。
ただ途中から、パスタがラーメンに変わったり、ピラフがチャーハンに変わったりしただけです。
3日目も同様です。ラーメンがカルボナーラに戻り、チャーハンがチキンライスに変化しました。

3日目の休憩時間になると、大学生くんは見るからに疲弊していました。多分、彼から見たぼくも同じように精気が抜けて見えていたことでしょう。
とにかく何も変わらない。変えようがないのが辛い。
1日8時間、黙って箱詰めだけを繰り返す。限界です。3日が限界だと思いました。これ以上は神経が持ちません。
ぼくらは合点がいきました。だから日雇いバイトが必要なのだと。
また翌日から違う二人が、この現場に投入されるのです。3日間働きづめにされる。そして次の日にはまた違う二人が……
普通のことのはずなのに、なんだか恐ろしさを感じてしまいます。

ぼくらアルバイトは3日でこの苦役から逃れることができますが、社員の二人は違います。その状況を想像すると、山男氏のあの投げやりな態度にも納得です。終業ベルと同時に駆け出したくもなります。
誰が作っても、箱は箱。
誰がやっても同じ事を、決められた時間までひたすら繰り返す。
思い知りました。職業に貴賎はないと言いますが、世の中にはこんな、一粒のやり甲斐も持ちようのない仕事があるのだと、その時初めて知ったのです。ある種の悟りでしたね。
でもお金は稼がないといけないので、その後も同じような日雇いバイトを繰り返しましたけど、やはり最初のこの仕事の衝撃がいまだに忘れられません。

誰が作っても、箱は箱。
その言葉には諦めがにじみ出ています。
同時に終わらない苦役の音が聞こえてくるような気がして、僕を捉えて離さないのです。


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