見出し画像

文は私自身です。

女が自分の立ち位置を、周りとの状態で決めると考えているのは私だけなのだろうか?

今の時代、女だからとか、男だからとか、そのどちらでもないとか、様々な感覚が有る。

その感覚は周りから押しつけられていて、本来の自分の感性とは違ったりしている。

今は多様性の時代で、本人の感性を大事にするとはいえ、現実的には世間一般や、普通の枠に閉じ込められている。

違うのかな??

少なくとも私はそうだったので、誰かの娘、誰かの妻、誰かの母だったりする自分が居て、それで自分を納得させている気がしていた。

それが物凄くいやな感じはしない、だってその枠に居れば、世間一般で認められている。

世間一般って状況に自分自身が甘えて、守られていた状況で、それは決して自分自身では無かったと感じている。

だけど、それだけで大丈夫なのだろうか?

社会の一員では有るけど、本当の意味で自身を出していたのだろうか、振り向いてやっと過去を見つめる事が出来ている。

毎日の生活を振り返った時に、自分が自分として認められていないのに、愕然とする時間が在った。

男もそうなのだろうか?

きっと男の人もそうなんだよね、自在に自由に生きている形に見えても、そこには見えない檻が有るんじゃ無いかな。

誰かの息子、誰かの夫、誰かの父だったりするのかも知れない、それとも会社内での役柄かも知れない。

私が女だから解らないだけで、男性にも有るのかも知れない、男性は未だに跡取りだって言われたり、女性には無い苦労が有るのかもしれない。

その意味では生きている限り、世間の目で見た自分からは逃れられなくて、その意味ではアウトサイダーが一番自由なのかも知れない。

結婚していた時期に夫が同窓会の幹事をしていた時が在った。

会社で人に仕事を任せる事が多いので、彼は「俺は何にもせんぞ。」と言って幹事になった様だ。(するなよな、こんな人は。)

それでも最終的には私が手伝ったりした記憶がある、あいつら(誰なんだよ)にさせるで、と言って何もしてなかったからね。

その時に、夫が自分は会社の代表やから、皆が幹事させたがっているけど、殆どの人は自分の今の商売に繋げたいと思っていて下心がある。

だけど自分だけは、そう言う下心なしに同窓会をするとか言っていたのを思い出した。

下心って何なんだろう?言っている意味が分からない、考えたことはなかったからね。

自分はそう言いながらも、3次会まで行って、昔の彼女を送ってきたとか言っていたけどね。

違うだろ、きっと懐かしさや、近況を聞きたくて集まっているんだよ、心の中ではそう突っ込んで居たよね。

人間は自分自身で思うよりも、環境に影響されて、自分自身を型にはめている。

それが良い形で現れることも有れば、悪い形で現れることも有る、人に依っては囚われ過ぎて苦しくなったりもする。

誰かの何かに為っていると、ある意味ではそれを演じればいい。

だけど、その中に自分の理想が入って来ると、感情が追い付かなくなる、自身とのギャップに悩んだりする。

それでもね、何とか自分をその位置に当て嵌めて生きて行こうとするし、大概の人間は生きていける。

だけど、本当にそれが良い状態なのかな??

密かに考えたりもする、理想の自分はこれじゃ無いの感情とそれでもここで居るの感情を持て余しながら人は生きるのだろう。

幼稚園や小学校で皆と遊ぶことや、上手くやる事、算数や国語みたいな学習という名の勉強はする。

だけど、誰かの子供として生まれて、次に理想の自分と付き合っていく術は教えたりしない。

自分にとっては本当に必要な勉強は、自分自身が世間一般での何かでは無く、自身を確立する事だと思っている。

その意味では広く本を読んだり、音楽や美術に触れて、自分の感性を磨いていく事こそ必要になる。

その必要な物を実は学校では教えたりしない。

学校で教えるには難しくて教えきれやしない、親も自身で分かって居ないから教えられない。

結果的に自分自身で手に入れる努力をするしかない。

私は今は誰かの娘ではあるし、誰かの親では在るけれど、囚われるほどは重要な事象じゃない。

そこまで行ってやっと、自分自身って何だろう、自分の位置って世間一般に囚われなければ、どんな風なんだと考えている。

やっと62過ぎてからである。

何だかなーと思うが、私はきっと他人よりは遅いのだろうな。

子供の頃、あんたは何でも遅いんやから、早くしなさいって言われていたのを思い出す。

何でも遅いってのは、呪文の様に言われていたからな~、自分では解らないけど、人と比べると随分遅かったんだろうな。

それは正しいんだけど、自分を作ってゆくのに早く急ぐ必要は無い、何時からでも出来るし、それは止めようもない。

きっと死ぬまで自分が何かを考えて、何が出来るかを感じて、動けなくなっても、昔を忘れても、今を忘れても、自分を作っていくのだろうな。

今日は何だか取り留めない、これも自分だと言いながら、これからも書くことにしよう。

ここに在る分は私自身の自己紹介になる。


この記事が参加している募集

文を書くのを芸にしたいと思っています。 頑張って文筆家になります。 もし良かったらサポートお願いします。 サポートしていただいたら本を買うのに使います。 ありがとうございます。