さちこを殺す日
井浦新という役者がいる。彼の名前は、昔はARATAだった。三島由紀夫を演じた作品から改名した、その理由は「この映画のエンドロールの最初にアルファベットの名前が流れてくるのは違うと思ったから」。
原稿を校正させていただいた方からのメールに、どう返事をしたらいいものか、気づいたら5時間も悩んでしまった。メールには、「作品を発表するとき、ぜひ”さちこさんのお名前”を入れさせてください」とあった。私の名前は、さちこだろうか、と。
はじめて「さちこ」と呼ばれたのは、2008年4月2日。
大学に入って2日目のことで、はじめましてと挨拶した同じ学部の女の子に、「なんか名前と本人のイメージ違くて呼びにくい。さちこでよくない?」と言われて、なにそれすげえおもしろいなって思ったから、それから私は「さちこ」と名乗り、一人称も「さちこ」にした。
「○○といいます、さちこって呼んでください」という自己紹介は最高にウケた。
「さちこ」と呼んでほしいと言えば、名字にさん付けから名前にちゃん付けになっていくとか、呼び捨てにしていい?うんいいよ、みたいな、余計なやりとりがいらない。「さちこ」なら、すぐに相手の懐に入り込めた。
そのうち、名前を聞かれても「さちこです」とだけ返すようになったから、大学の知り合いには私の本名が「さちこ」だと思っている人がたくさんいる。
飲み会の出席簿に他のみんなはフルネームが書いてあるのに私は「さちこ」だったし、彼氏にも本名を呼ばせなかったし、高校の友達までさちこと呼ぶようになった。
「さちこ」でいるほうが落ち着いた。本名を呼ばれるとびっくりする。本名こそが、親のつけてくれた、社会的に私を私たらしめる、私の名前だって知ってる。けど、「さちこ」のほうが、「私」らしかった。
出版社で編集の仕事をするようになってから、私は「さちこ」を名乗っていない。「さちこ」がいるのは、noteと、ツイッターだけだ。
編集者として仕事をしていたことを書いたり、それを利用して人の原稿を読ませてもらったり。「編集者とは」「いい文章の書き方」みたいな、偉そうな投稿をしたり。それを「さちこ」としてやることには、実は抵抗があった。そして今でも悩んでいる。
編集者は、あくまで裏方。だけど表舞台に名前が出ることもある。奥付に、エンドロールに、名前が載る。同じ名前で、あるいは違う名前で、noteで編集者という看板を掲げて、仕事のことや、仕事ではないことを発信したり。
「名前」をどう使うかなんて、人それぞれだろう。
ライターさんがツイッターで言う。「こんな記事を書きました」。同じアカウントでこうも言う。「推しが最高!大好き!」。プロとしての顔。ただのファンとしての顔。「私」はきっと、それを両立できない。
「もし私の名前を入れていただけるのであれば、さちこではなく、本名で載せていただけませんか」
メールにはそう返した。ものづくりの内側に、また立ちたいと思っている。これからは、人生をかけて。その覚悟ができたとき、私はさちこを殺すのかもしれない。
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