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「ジョブ型」議論に思うこと

一昨日の日経新聞に、鶴光太郎先生による「「ジョブ型」の誤解を正す」と題した記事が掲載されていました。

本記事では、昨今のジョブ型議論ブームにおいて、「ジョブ型雇用」の定義が正しく理解されていないので混乱が生じている、としています。これにはまったく同感です。

人事業界で「ジョブ型」とは、本記事の中盤で触れられている、濱口桂一郎先生による「ジョブ型」論を指すのが一般的です。記事の中で以下のとおりまとめられていますが、濱口先生は、日本の雇用慣行とその他の欧米・アジア諸国の雇用慣行を比較して、その違いを「ジョブ型」、「メンバーシップ型」と表現されました。

ジョブ型の概念を提示した労働政策研究・研修機構所長、濱口桂一郎氏の意図は、ジョブ型=就職、メンバーシップ型=就社という対比である。すなわち、日本では、特に大企業で職を得るというのは、特定の職務につくというよりも、特定の企業のメンバーになることに大きな意味を持つということだ。

一言で言えば、「仕事に対して人を雇用するのか(ジョブ型)」、「まず組織に人を雇用した上で、組織の成員に仕事を割り当てるのか(メンバーシップ型)」。私たち人事実務家にとって重要なのは、この大きく異なる思想のどちら側に立って人事施策全体を組み立てるのかだと思います。

一方、一般の方にもわかりやすく伝えるためか、昨今の新聞記事やウェブニュースなどでは、「ジョブ型」、「メンバーシップ型」の『特徴』の話が多いと感じます。例えば、「ジョブ型」にすると、雇用時に決めた仕事から異動させられないとか、仕事が無くなったら解雇するしかないとか。

そういう具体論を目にすると、「いや、外資のジョブ型企業でも人事異動はしているし…」と、モヤモヤ感が湧いてきます。

「(濱口先生の定義に沿うと、)『論理的には』、ジョブ型企業においては職種間異動はない」、というコンセプトの話と、「ジョブ型の欧米企業でも、『実際には』、職種間異動はある」、という、実務・運用レベルの話は、必ずしも一致しないのです。

私は、「仕事に対して人を雇用するのか(ジョブ型)」vs「まず組織に人を雇用した上で、組織の成員に仕事を割り当てるのか(メンバーシップ型)」の本質論に立ち返れば、資本主義社会の株式会社組織の運営としては、論理的にはジョブ型を前提とするのが自然だと思っています。

株式会社の目的は、優れたプロダクトやサービスを世に提供すること。その実現のためには、「仕事の遂行」が必要で、その仕事の遂行をしてくれる人と労働契約を結ぶ。オーナー企業でもない限り、「雇用」そのものを組織の存在目的の最上位概念に据えることは、普通はないと思います。

上記の、極めて常識的な「労働契約」の考え方から発想すると、理屈上は「ジョブ型」にしかなりえず、よって、日本以外の国では「ジョブ型」なのです(そもそも「ジョブ型」しか存在しないので、「ジョブ型」にすべきかという議論もありません)。

一方、日本社会のメンバーシップ型は、戦後の混乱期の労使闘争の中で、労働側が「職種は変えても良いので雇用の維持を」と強く求め、それに企業側が答えたという、日本社会特有の背景から成り立っていると理解しています。戦後の不況や高度成長を支える上で、大企業におけるメンバーシップ型の雇用慣行が果たしてきた役割には大きなものがあるでしょう。

人事責任者として考えるべきは、「今後、当社は、どちらの思想に立って組織運営をしていくべきか」という問いではないでしょうか。2つの思想の良いとこどりをしようとすると、人事施策全体の論理的整合性が取れなくなります。寄って立つ思想はどちらかに決める必要がある。細かい『特徴』論に惑わされることのない、骨太の議論が求められていると思います。

#日経COMEMO #NIKKEI #HR #人事 #ジョブ型

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