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愛をありがとう


わたしにはかつて、ラブラドールの愛犬がいました。

9歳で虹の橋を渡ったその犬を、ペット霊園の火葬場で煙となって天に立ち上る様子を眺めながら、ゆっくりと霊園を歩いていた時のことです。

ある西洋風で横長の墓石に刻まれたメッセージに、はらりと胸が高鳴り、足を止めました。そのメッセージが「愛をありがとう」だったのです。

愛犬を亡くしたばかりのわたしは、そのメッセージを刻んだ家族の気持がひしひしと、まるで我が身のように伝わってきた出来事でもありました。

そして、こんな風に思ったんですよ。

「愛をありがとう」
この短くシンプルなメッセージ。そこには、わたしたちがペットとして一緒に暮らすことになった、小さないのちとの出会いと、家族としての交流の意味。それがすべて凝縮して表現されているんだ!

そう思って、感動しながらその墓石に刻まれたメッセージを眺めていました。

「産んでくれてくれてありがとう」「出会いをありがとう」「やさしさをありがとう」いろんなありがとう、に満ちているこの世界。

それでも「愛をありがとう」と、純粋に胸から流れ出すような言葉やメッセージがわたし達人間からうまれることは、そうそうあることではないと思います。


「愛をつなぐ」「愛を結ぶ」「愛を思い出す」そんな役割をしてくれる、犬やねこ、ペット達。


わたしは人間のナースですが、そんなどうぶつ達の役割を感じています。

しっぽやモフモフがあったりして、わたし達と姿かたちや役割はちょっと違うけれど、大切でけなげないのちの仲間。という気持ちで、やっていこうと思っているんですよ。

いのちの役に立ちたい。それを原動力にこの20数年間、ときどき寄り道回り道しながらやってきて気が付いたら、いまはこの場所にいます。

いのちはみんな役割を持っていて、その役割が違っているだけのこと。いのちの垣根を超えてこの世界を眺められることを目指して、2024年を歩いていきたいですね(という心境)

愛と言う眼鏡で、愛ばかりにフォーカスしてみた

愛と言う眼鏡をかけてその部分にフォーカスして眺めてみると、わたしもこれまでに、たくさんの有形無形の愛をいただいたからからこそ、いまここに立っています。

愛とにくしみ。愛と恐れ。愛と無関心は対極だとよく言われます。両極端を限りなく体験して、いつも心にさざ波が立つのはどちらかというと愛の反対側の方ばかりという…

そして、これまでいただいた愛と同じくらい、きっとわたしもこの世界に愛を還元していきたい、と心から願います。

そのために必要なことは、ただ一つ。自分自身に負けないことですかね。言うのは簡単だけどねっ、という自分へのツッコミが聞こえてきますけども…

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