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【ショートショート】 無秩序な未来

 会話のキャッチボールと言うけれど、ここでは豪速球が飛び交っている。あっちに飛んで、こっちに飛んで、キャッチしては絶妙に投げ返されて。賢い頭脳たちによる、華麗なチームプレイ。芸人さん達が雛壇に座って、何かをせっせを作り上げていた。
「いや、ボケへんのかい!」「いや、今それちゃうねん!」
 雑多に見えるやりとりの中でも、色々な規則があるらしい。

 僕は面白くなって、テレビのボリュームを上げる。
 僕が適当にリモコンを置くと、彼女はそっと、テーブルの縁と平行になるようにそれを直した。その所作にはどんな感情も込められていないようだ。読みかけの本にしおり紐を挟むような、書き終えたボールペンをノックして先を仕舞うような、ただ無意識の行動なのだろう。

 彼女の周りは、いつも整えられていた。僕が朝、洗面台に出し放しにした歯磨き粉は、帰ると必ず戸棚に仕舞われていたし、ミネラルウォーターのストックは日付順に並べられる。化粧品のラベルを全部前向きにしておくのは「神経質っぽいでしょ」と彼女は言って、わざとバラバラにしていた。前を向いているチューブもあれば、横に向かい合っている瓶もあって、化粧品たちがひそひそ話を楽しんでいるように見える。

 彼女の秩序を乱したい。いつからか、僕はそんな風に思っていた。

 僕らが同棲を始めてから、もう3年ほどが経っていた。
 彼女は僕の5つ歳下。彼女の友達にもちらほら既婚者がでてきている。
 でも、彼女が結婚情報誌を買ってきたことなどないし、ウェディングドレスのショーケースの前を通っても、彼女の視線が特別そちらに向かうことはない。
 彼女なりの人生プランがあるのだ。そして彼女はそれを、ときどき僕に聞かせてくれた。

 仕事のこと(彼女は1年5ヶ月後に転職すると決めている)、趣味のこと(3年後に鉢植えでミニトマトを栽培し始める。12年後には編み物を始める。ドイツ語を勉強する、時期は未定、一昨日の晩御飯を思い出せなくなったら)、それから、両親の介護のことまで(彼女の姉は実家近くに暮らしているので、心配はないだろうと僕は思う)。

 君の秩序を乱したい。

 テレビの中の人たちと一緒に笑う彼女を横に、僕はつぶやく。

「なあに?」彼女の笑顔が僕に向けられる。
〈なにー?〉じゃなくて、〈なーに?〉でもなくて、〈なあに?〉と訊くのだ、いつも。

 今日のそれは、一層、愛おしい。

 君の秩序を乱したい。君の世界を、予想のつかないものにしたい。

 それが、僕から彼女へのプロポーズだった。

ここまで降りてきてくださって、ありがとうございます。優しい君が、素敵な1日/夜を過ごされますように。