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アメリカ編 オレゴン州ポートランド【Vol.3】 〜海外生活ゆえの疎外感〜

オレゴン州ポートランドで生活していた2011年3月、あの東日本大震災があった。私の実家は宮城県であり、両親と姉家族、親戚が住んでいる。

私は遠く離れたポートランドで地震のニュースを耳にし、恐怖で身体が震えた。テレビをつけると仙台空港が津波に飲み込まれ、屋上で助けを呼んで手を振っている映像が流れた。

何度も姉と母に電話をかけるがつながらず、心配で生きた心地がしなかった。初めに連絡がとれたのは、栃木県に単身赴任していた義兄とで、なんとか皆の無事を確認できたのだった。

南三陸出身のお友達は、何日もご両親、親戚と連絡が取れずに、ニュースで映し出される避難所のホワイトボードを見て、生存確認をしようとしていた。幸運にも、そのお友達のご両親は無事であった。

海外で暮らすというのは、大事な家族が大変な時に一緒にいることができない。東日本大震災はまさに、その事を思い知らされた。

命は助かったものの、ライフラインが何日も止まり、寒さに耐え、車のガソリンや食料の調達に苦労し、数日かけて東京の親戚の所へ避難する、などなど、大変なことは山のようにあったはずだ。

その時、異国で、ただ心配する事しか出来なかった。でも、胃が痛くなるほど、毎日心配した。

その年の夏、日本へ一時帰国したのだが、父からの言葉に私は傷つけられた。

”おまえは居なかったんだから、分からない。”

 それはそうだ。いなかったし、何の協力も出来なかったんだから。でも仕方がないじゃないか。海外で暮らしているんだから。

父は、思ったことを、考えなしに発する事があるのを知っているし、そこまで悪気は無いのだとは思う。でも、傷ついたし、疎外感を感じずにはいられなかった。

自国を離れて暮らすということは、こんな思いもするんだと言うことを伝えたかった。

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