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覆水盆に返る

夫と結婚し、25年。先月銀婚式がてら実家の両親と四人で旅行に出掛けた。新婚当初は、夫の帰りを窓から眺めて待ってるほど夫に頼っていた。というのは、結婚を機に、仕事を辞め単身夫の実家のそばに越してきたため友人知人もなく、地理も分からず、夫一人が頼りだった事も大きかったと思う。

それから妊娠、出産、子育て、夫の発病、退職、転職、休職、転職、退職、転職、退職、、
彼の症状は統合失調症。 迫害妄想があらわれた。

周りが自分を敵視してると思う中、一日8時間勤務し、そこにいるのは耐え難い恐ろしさ苦しさだったと思う。
帰宅し嫌な気持ちを払拭するためお酒を浴びるよう飲みたがった。
辞めて、落ち着いて療養を望むけれど、先ず医師にかかろうとしない大人を説得するのに時間がかかった。夫も彼の両親も、精神病という言葉に物凄く抵抗を感じた。当然のことだ。でも共に生活する私には、受け入れず医療に向かわない時間がもどかしかった。

さらに、家計は苦しくなった。
非常勤講師、法律事務所で日中働き、帰宅し夜ご飯を作り、塾講師のアルバイトに向かう。夜中に帰宅し、何本もの飲み終わったビール缶を片付け、残りの仕事をする。
何度も実家に戻り再出発しようと思った。

しかし実家の両親は叱咤した。ここであなたが離れたら彼は復帰できない。彼の子供二人もそれでは辛い人生を背負う、そこで一緒にいなさいと戻ることに反対したのだ。ストレスで何度も円形脱毛症になり、ニキビだらけになった娘に対し、なんと酷い親だと恨んだりもしたが、

喉元過ぎれば、とはまさにその通りで、苦しかった約20年が過ぎて去年頃から安定した気持ちで暮らせるようになると、、
生来気立ての良い優しい夫との暮らしを楽しめるようになった。

昨日、新聞に、群馬県桐生市の私立高校が精神疾患について学ぶ授業を取り入れたと書いてあった。喜ばしい動きだ。

労働環境、SNSの多用等により、精神疾患の患者も増えた。それに反比例し、誤った認識も減りつつある。とはいえ、精神病となった者、その保護者への偏見が根強くあるのも否めない。

タイトルに覆水盆に返るとつけた。
覆水盆に返らずという言葉は、中国から入ってきた言葉で、本来は、いちど離婚した夫婦は元通りにならないということのたとえである。

私達に離婚の危機は何度もあった。
しかし、盆から水が溢れても、お盆の下にタオルを敷いておけば、水を絞って戻すことが出来る。私のタオルは吸水性抜群ではなかったが、何とか溢れた水を吸い取ってこれた。

人生長い

今後、私のタオルでは吸水できない量の水が溢れるかもしれないが、こぼれたら絞って戻せば良いという術を20年かけて身に付けられたことは良かったと思う。大抵のことなら、そうかそうきたかと戦える度量も出来た(笑)。

今、
私の隣には鼾をかきおへそを出して寝ている夫がいて、反対側の隣には、寝転んでYouTubeを見ている息子がいる。幸せだ。

さてさて
書き綴っていたら、真っ暗な部屋から泣きながら見ていた三日月や、こいつで叩いてやる!と握りしめた鉄製のフライパンを思い出した。
何だか笑いたくなってきた。

人生は長い
そして人は強くなれる

こんな気分には純米大吟醸かな。

ありがとうございました。


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