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「自尊心を尊重した寄付のお願い」と、自立した人としてみなすということ

雑誌『暮らしの手帖』に、佐藤雅彦さんの「考えの整とん」という連載がある。昨日図書館で佐藤雅彦さんの文章に久しぶり出会って嬉しくなってそのまま読み老けってしまった。そこにはこんな文章があった。

佐藤さんは20年以上前にこんなCMを海外で観たと言う。

それは、テレビから流れてくる音楽だけ聴いていると、とても賑やかで、まるでビールのCMのように思えるものだった。しかし、画面にはビーチも水着の男女も一切出てこない。それどころか、画面に出てくるのは、なんと文字だけである。調べてみると、その文章は次のようなものだった。

To the blind, this sounds like a beer commercial.
目の不自由な方には、このCMの音はビールのCMのように聞こえるでしょう。
Why are we trying to fool them?
なぜ、私達は、彼らをからかうようなまねをしているのでしょうか?
Because they are too proud to ask for money.
それは、彼が誇り高く、お金を恵んでもらうことをよしとしないからです。
But they need it. Desperately.
しかし、彼らにはお金が必要です。もの凄く。
Send your tax deductible contributions to : American Council of the Blind 
あなたの税金控除寄付金を送ってください:アメリカ盲人協議会へ
(but don't tell them we told you.)
(しかし、みなさんに話したことは彼らには言わないで)

私は、このCMを見た時、軽い衝撃を覚えた。目の不自由な方たちの、『目の不自由さ』に立脚した企画だったからである。でも、それは、目の不自由な方たちの自尊心に配慮したコミュニケーションだったのである。

(参照:『暮らしの手帖』86号「考えの整とん」佐藤雅彦 第60回紙からきこえてくる声)

わたしもこの文章を読んで震えるような思いだった。

でも、モヤモヤした思いも同時に残った。佐藤さんの言うように、それは「目の不自由な方たちの自尊心に配慮したコミュニケーション」だったと思う。そう思う。

でもわたしは、目の不自由な方に「いやわたしたちが生きていくにはこのためのお金がいくら必要ですから、寄付集めてますよ」って正直に言っちゃっていいんじゃないか、と思ったのだ。だって、必要なのだから。

本来は公的資金が投入されるべきところ、なんらかの理由で公的なお金が投入されない場合がある。その社会的課題がニッチだったり、気づかれづらいとき、そこにお金が投入されなくなり、社会のなかで生きづらい人が生まれる。だからこそ「寄付」が必要になる。やましい使い道など一切なく、寄付を受け取るロジックが通ってるなら、目の不自由な人に正直に伝えたらいい。わたしは、そのくらい目の不自由な人を「自立した人」としてみなしていいんじゃないかと思った。

わたしが言う「自立」とは、自分の力で立つという意味ではない。人はひとりでは生きていけない。「自立とは、依存先を増やすこと」と話したのは、熊谷晋一郎先生だ。

それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのでは、という不安がぬぐえなかった。でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかったのです。「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。
(参照:自立とは「依存先を増やすこと」熊谷晋一郎先生インタビュー)

障害の有無にかかわらず、わたしたちは誰かに助けられて生きている。目の不自由なひとが寄付を受け取ることを望まないのは、それが一方的な施しのように見えるからだ。でも本来そこには、一方通行じゃなくて、贈ったり贈られたり双方向に頼りあいながら生存しているわたしたちの姿がある。だから、「気にせず"ask for money"しよう」っていうコミュニケーションこそ、本来の意味で自尊心を大切にする行為なんじゃないかと思う。

日常生活でよく「迷惑をかけてごめんなさい」という言葉を聞く。わたしも言ってしまうことがある。でも、その言葉を簡単に発してしまうたび、その言葉を聞いた相手が、「迷惑をかけてはいけない」という鎖にゆるやかに絡みとられる。

このCMで、"but don't tell them we told you.(しかし、みなさんに話したことは彼らには言わないで)"と言う。その言葉を受け取った相手は、「隠すものなんだ」と、思ってしまう。ask for moneyすることは自尊心を傷つけるものなのだ、という鎖にゆるやかに絡め取られる。

でも本当は、その寄付は必要なんだし、その支援の手は必要なんだ。だから、「必要です!」って正直に言ってしまっていいとわたしは思う。目の不自由な人に「一緒にask for moneyしよ!」って言っちゃっていいと思う。たくさんの人の手を借りて生きることが最高にcoolな世界にしていきたい。

そのうえで、その人が「自分の人生は自分のものだ。変えられないものももちろんあるけれど、それを受け入れながら、変えられるものは変えていって、自分の人生を自分でつくっていこう」と負担なく自然に思えていたら、それは本当に最高にcoolだと思う。


※余談ですが、紹介したCMは20年前のものということで、20年前から考えたら、一人の人間としてみなして訴求したこのCMはすばらしい制作物だったとわたしは思います。なによりこのCMの製作者の本気がものすごく伝わってきて本当に震えました。(佐藤さんも、生でそれを見て実感されたんじゃないかな…。)一方で、2019年を生きるわたしは、「そんな素晴らしい人たちの素晴らしいアクションの上に立たせてもらって生きる若者として、次の成熟した社会を見たい」という、そういう思いでこの文章を書きました。ディスってるわけじゃないよ^^

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