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公立の男女別学は妥当なのか?

今日は国際女性デーということで、至るところでミモザの黄色を見た。
これに因んで、私の地元・北関東では「当たり前」だった男女別学の高校について考えたい。

私は公立の女子高校を卒業している。現在は人文学を専攻する大学3年生だ。群馬県の公立高校の共学化に関する新聞記事を読み、公立の男女別学に関する問題意識を抱くようになった。かねてより公立の別学に関する疑問は抱いていたのだが、なかなか言語化する機会がなかったので、ここで書くことに決めた。


北関東と男女別学

全国的に見ると、公立の女子校はかなりレアケースらしく往々にして私の経歴は珍しがられる。大学進学を機に地元を離れるまでは、これが普通だったので、入学当初は戸惑った。埼玉、群馬、栃木の3県では公立の男子高校・女子高校が当たり前のように存在している。

出身県の立高校の男女別学率は全国でトップクラスだった。
公立の進学校に行きたいのであれば、男女別学高校しか選択肢しかなかったといっても過言ではないだろう。共学の中高一貫校や特定の学科のみ男女共学の進学校も存在している(た)が、それが必ずしも代替の選択肢となるわけではなかった。

私が地元を出るまでその実態に違和感を覚えることはなかった。
むしろ、公立の女子高に進学できることは恵まれたことだと感じていた。
(中学時代に男子生徒からのいじめを受けていたことが影響しているとも捉えられるだろう。容姿のコンプレックスから解放されたという点で、女子高は心地よい場所であった)

しかし大学進学後、私は違和感に気づく。
一般的に別学出身者には、「家が裕福」「育ちがよい」というイメージが付与されていると知る。(このステレオタイプについても批判の余地は大いにあるのだが、本筋と逸れるのでここでは割愛する)というのも全国的に見れば男女別学の多くが私立の中高一貫校だからである。私の母校は至って普通の公立高校だったので、一般的な女子校イメージに当てはまらない部分も多いだろう。

大学進学後、「女子校出身者」の集まりに参加することもあったが、私以外全員が私立の中高一貫校出身だった。さらに、ジェンダーに関する授業を受講した際に「北関東は全国的に見ても公立の男女別学が多い地域」ということを改めて知る。

要するに、公立で男女別学の高校は全国的に見れば全く「当たり前」でなかったのだ。


問題の所在:選択肢が限られてしまうこと

私は男女別学そのものに反対の立場をとるわけではない。
男女別学の学校に進学するメリットは多く存在するのは事実であろう。

私自身、女子高生活は楽しかったし、伸び伸びと生活することができた。
特に女子高独特の雰囲気は私にとって快いものであった。
異性の目線を気にすることなく本気で行事に取り組んだり、本音で話をしたりと数多くの思い出を残した。

「女らしさ」というステレオタイプから解放されていた点でも楽だった。
中学までは「女なのにがさつだ」とよく言われていたが、高校生の頃は「女なのに…」で始まる固定観念の押し付けの一切を感じずに済んだ。

女子高に進学したことに後悔はない。だからといってこの状況を手離しに是認できるかどうかは別の話である。

まずは私の個人的なエピソードを話そう。明確に「違和感」を覚えたのは、家族との他愛のない会話だった。

弟は私の母校と対の男子校に進学したのだが、私の母校よりレベルの高い学校だった。(一つの市に対となる男子高と女子高が設置されているケースは多い。前橋高校と前橋女子高校、宇都宮高校と宇都宮女子高校など)

「さちほ(仮名)よりも、ようすけ(仮名)の方が賢い高校に通っているよね」という父親の言葉に引っ掛かりを覚えた。同じ場所に住んでいるはずなのに、学力のレベルも同程度なのに、弟の高校に通うことはできない。

仮に私が、弟の高校と同程度のレベルの女子高に進学したならば、一時間以上の通学を余儀なくされたのであった。(弟の高校は自宅から1時間以内にアクセスできる場所にある)

私は出来るだけ近い高校(+大学進学に力を入れている高校)に行きたかったので、その女子高を選んだ。

ただ、弟の話を聞く限り高校のレベルは明らかに異なっていた。

合格のボーダーラインは偏差値でいうと3~5くらいの差がついていた。
進学実績を見れば、そのレベルの差は明らかだった。

「さちほの高校はこんなに進路資料が充実してなかったし、教師の質も良くなかったよね。」とも言われた。事実、その差は弟の配布資料からも分かったし、学生の雰囲気も全然異なっていた。

また、私の高校では教師が旧帝大の合格者を出そうと躍起になっているきらいがあり、生徒の事情を踏まえずに、実力を上回る大学を志望するように勧めている。(私も合格可能性の極めて低い大学を勧められたが、自分のレベルに合った大学に行きたかったので断った)
弟の高校ではそのような指導は一切行われなかったという。あくまでも生徒主体の進路指導だったらしい。

「さちほも男子だったら良かったのにね。この高校は本当に最高だよ」

と弟に言われた。

私の高校にも勉強熱心で賢い子はたくさんいたし、良い刺激を受けていたものの、やはり違和感は残る。学力の面で見れば私は弟の高校に入ることはできたはずだが、性別が「女」ということで入学することはできなかった。

ここで一つの疑問が湧く。

男女で分ける意義はあるのか?と。
男子と女子で分けることにより、生徒のレベルは上と下に大きく差が開けてしまうのではないか、と思う。男子校と女子校という区分がなければ、より同じレベルの学生と切磋琢磨できる機会があるはずだ。学力のレベルで分けるのは納得できるが、なぜ性別まで分けられるのか。

ここで重要なのは「公立高校」という点である。
これが私立の男子校ないし女子校であれば問題はないだろう。選択肢としての男女別学については、むしろ賛成の立場をとっている。先述の通り、私はジェンダーロールから解放された環境に満足しており、勉学に励むこともできた。

ただし、私は選択肢のなかから女子校を選んだのではなく、「選ばざるを得なかった」のだった。

私の住む地域では、共学の進学校に進むのであれば、中高一貫校や私立高校を選択しなくてはならなかった。つまり、進学校で共学の高校を選ぶことはほぼ不可能であったのだ。

ここで、「なぜ中高一貫校や私立高校を選ばなかったのか」と疑問に思う人もいるかもしれない。

前者に関しては、進路選択を小学生の段階で行うのは早すぎると考えたためである。小学生の時、私は自分の学力を客観的に把握できていなかったので、進学校に進むべきかどうかについて考える余地はなかったのだ。

私立高校に行かなかった理由としては、金銭的な理由のみならず閉鎖的な環境に抵抗を感じたことが挙げられる。

進学できる範囲の私立高校では、レベル別にクラス分けされており、私の生きたいコースは30人ほどの生徒で構成されていた。もちろん、クラスは3年間固定だという。その閉鎖的な環境で私はやっていけるのか疑問に感じたので、その私立高校の合格手続きは行わず、地元の女子校に進学した。

私が高校を決める際に重視した点はこの三点であった。

・同じような学力層の同級生と切磋琢磨できる
・閉鎖的でない
・家から一時間以内で通える

それゆえに私が地元の女子校に進学したのは一番”ベター”な選択だった。
(ここでは「ベスト」という言葉を使わないでおく)

以上の条件から、弟の高校に進学することがベストだったのかもしれない。かし私は女だったのでランクの異なる高校に通わざるを得なかった。

これは男女の教育機会の不均衡を示唆しているのではないか。

「伝統」をどう捉えるか

また、公立の「別学」はそのほかにも問題をはらんでいるといえよう。

上記の通り、私の地元は北関東の中で特に別学の公立高が多い地域である。私のように別学に進学せざるを得なかった生徒も多いはずだ。つまり、公立高校という公的機関が選択肢を狭めているのである。

これではセクシャルマイノリティに対する配慮が皆無である。

公立高校(特に進学校)に進学するためには、男子高あるいは女子高のどちらかを選ばなくてはならないのだ。換言すると、自身の性別を男女のどちらかに定義しなくてはならないのだ。しかし、人の性別は必ずしも区分できるものではない。この状態では、ダイバーシティは到底実現できそうにない。

このように多くの問題が潜在するのに、なぜ公立の別学はなくならないのだろうか。これには多くの理由が考えられるが、一つの大きな要因として同窓会の圧力があるだろう。

北関東の公立男子高校・女子高校の多くは、地域で一番の名門校であり、ネームバリューのある高校である。よって、卒業生の愛校心は並々ならぬものである。私の高校も例外でなく、同窓会の影響力は大きく、制服の改変ですら許されていない。(これについては不満に思う生徒も多かった。)

かつて私が母校の歴史について調べたところ、隣の男子校との統合の話はなかったわけではなかったという。しかし、実現に至らなかったのは卒業生の強い反対があったからだという。

現在もなお、統合に対して前向きなOB・OGは少ないだろう。
それゆえに、男子高と女子高の統合は進まないのである。

ただし、少子化によって統廃合を行う男子校・女子校の数は少なくないことにも触れておきたい。例えば、群馬県の桐生高校と桐生女子校は今年度の卒業生を送りだしたのち、統合し「桐生高校」となる。

これは「少子化」を理由にした統合であり、多様性や平等を担保するための統合ではない。統合の理由が「少子化による志願者の減少」だけであるならば、まったく前進しないだろう。

なぜ前向きな統合が進まないのだろうか。

OB・OGはそれぞれの高校に誇りを持っているのは先述の通りだ。
高校時代の楽しかった思い出も一つの要因だろう。
私がジェンダーロールから解放されたように、異性の目を気にせず充実した高校生を送れた。またそれぞれの高校は男子校/女子校ならではの伝統を大切にしている。私の母校では隣の女子校との交流会があったし、体育祭や球技大会では多くの子が活き活きと競技に臨んでいた。もし共学になれば、その伝統は失われてしまう。だからこそ彼らは共学化に反対なのである。

果たしてそれは妥当だろうか。

もちろん卒業生も高校の一要素をなすわけであるため、理由なくその愛校心や伝統を損なうようなことは許されないだろう。公立の男子校や女子校を頭ごなしに否定してしまっては、その人たちの思いを傷つけることになるだろう。私自身も母校に対する愛校心がないわけではないので、卒業後に何度も訪れたり、OGとして手伝える機会があれば積極的に参加したりしている。

しかし、「選択肢が限られている」という現状に対して、積極的に改革を行わなくてはならないのだ。それには「伝統を守ること」への妥協も含まれる。その最たる例が、男子校と女子校を共学にするという選択なのである。

繰り返し述べるようだが、私は別学そのものに異議を唱えているわけではないし、公立の別学の伝統を否定しようとしているわけではない。

ただ、選択肢を十分に与えてほしい。
それが私の主張である。

おわりに

私の主張は個人の体験に依拠する部分が大きく、またデータの裏付けを含んでいるわけではないので、反論の余地は多いにあるといえよう。

北関東の公立の男女別学高校は妥当か?
統合を進めるべきか?
どのようなアクションをとるべきか?

これからも議論を深めたいトピックである。

#別学 #公立高校 #教育 #国際女性デー #男女平等 #多様性  

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