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良い大学と良い会社は、人生を変えにくくさせる

良い大学と良い会社に入ったのに、一生この会社で働く気はない、といって相談に来る方が少なくありません。一時期、クライアントが見事に日本の名だたる大企業の社員で、そろった時期がありました。

日本人はリスクをとらない教育をされています。これは、戦後の軍事教育に端を発しています。

仕事では、「労働者」というリスクをとらない働き方しか教えられていません。良い大学にいって良い会社に入ったら、一生安泰。だんだんそんな時代ではなくなっていることに、親もうすうす感づいてはいるけど、一応、そういう道を子供に歩ませておいたほうが無難。無難な人生は、大きなリスクを取らなくて済む。ゆえに、大きく不幸になる可能性も少ない。だから、とりあえず、良い大学と良い会社に。そうやって、自分も安心したい。

ここでいう良い大学は高偏差値大学、良い会社は大企業です。
「もはやそんな時代ではなくなってきている」という肌感覚を裏切るように、年収の面でみれば、このルートをいったほうが、統計上、いまだに生涯年収は高いという事実があります。そして、その知名度とステータスは、転職や起業の際にも有利です。

最高ですね。


そして、どんなきれいごとをいおうと、お金はたいていの幸せは与えてくれます。お金で解決できてしまう家庭内や社会や人間関係のトラブルやいざこざなんて、世間を見渡せば、ごまんとあるはずです。

やっぱり、最高ですね👍


なら、なんでみんな相談にくるの??



モヤってるからです。
良い大学と良い会社の年収相関は、事実と数字で統計がとれるけど、もやってるかどうか、という、いわば幸福度の相関統計は、幸福度の指標がそれぞれだから取れません。

彼ら、彼女たちの主訴はだいたいこんな感じです。

  • 上司をみてると、同じようになりたくない

  • 一生この会社でやってく気はない

  • でも良いブランドを捨てるには迷いもある

  • なんか違う生き方がある気がする

  • でも何がやりたいかわからない

  • 給料は維持したい

  • 自分の労働市場での価値を高めたい

  • でもリスクはとりたくない

  • あと休みは多いほうがいい

  • 残業したくない

  • 福利厚生もよろしくね


もう相談されるこっちは大変です。
でも彼らの訴えも当然です。

だって、無難に良い大学に入って、無難に良い会社に入って、無難に良い給料をもらうことしか、教えられてないのですから、こんな思考になってしまうのです。やっと国も投資の重要性は訴えようになってきましたが、それは日本のタンス貯金を引き出して経済をまわしたいだけで、日本のキャリア教育は、いまだに労働者たる働き方しか教えていません。お金をまわす教育はまだまだです。最悪なのは、仕事の喜び・楽しみなぞいっさい教えず、就職のときは、会社がホワイトかどうかジャッジするよう教える、それが日本のキャリア教育になっちゃってる始末です。そんな労働者を量産して、日本がどうなるとおもってるんですか??

彼ら、彼女らに罪はありません。少なくとも20年以上、そういう文化で育ってきた人が、「リスクをとる」や「お金を稼ぐ👉まわす」に思考回路を変えるのは至難の業です。(私も20年かかりました)

以前、京大を出て国家公務員として働いている知人と、「転職するとしたら」という話をしたときに、彼は「転職するとしたら、医者か弁護士くらいしかない。だから無理だ」といいました。

驚きました。
彼は、良い大学を出て良いところに就職しているから、「社会的ステータスを落とす」ということが、もう考えられないのです。そもそも選択肢にないのです。健康な体があれば、なんだってできるはずなのに。

また、名の知れた外資系企業で高年収を得ている友人が、私の生き方を「羨ましい」と、会うたびに連呼します。ず~~~っと、もやもやしているようですが、高年収を捨てて違う生き方をするのは、もともと何もなかった私より、100倍勇気がいることでしょう。

一般的に良い大学に入っていれば「選択肢が広がる」というメリットが思い浮かぶと思います。でも実態は真逆で、良い大学&良いところに就職して、それに応える能力があったことが、逆に選択肢と視野を狭め、彼らから自由を奪っているのです。

私が相談を受ける良い大学&良い企業組も、似たようなものです。彼らは、一般的な価値基準に応える能力があった人々です。そういう人は、そのことで、高い給料と高いステータスを得てしまっているために、「なんだってできる」とは思わない。むしろ「こうじゃなきゃダメ」と思い込んでいるのです。そして、そのことが本人をものすごく苦しめている。生きにくくさせている。自分という個性を発揮できずに、一般的な価値基準にあわせることで、いわば、個性を殺す生き方をすることで認められているがために、身動きがとれずにいるのです。一般的価値基準で認められない人より、よっぽど、人生を変えるのに勇気が必要、そして、人生を変えるリスクが大きいのです。

普通に考えれば、彼らは「成功者」です。
でも彼らの訴えを聞いていると、むしろ日本の「犠牲者」のような気がしてならないのです。


私がハーバード卒、グーグルの社員だったら、この記事は説得力があったでしょう。ただの負け惜しみ記事になりそうなので、このあたりで筆をおきます。


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