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ライフストーリー幼少期⑦

時々、父の仕事の現場へ連れってってもらった。
大きなバケツにぐるぐる回るペンキ。大きなはけ。
建設材料の細い木に並んで座って食べた母の作ってくれたお弁当。
冷たい麦茶。
カンナで削ると薄くなる木やトントンとお家を作るところを眺めてた。
現場のおじさんに遊んでもらったり、みかんをもらったり、ネジや釘、お皿でおままごとして仕事が終わるのを待った。
乗り心地の悪い車で帰る夕暮れの空。ピンクレディーをよく歌っていた。

父はだんだんと帰って来なくなった。

父と母の夫婦喧嘩も激しくなりある時は、母がハサミか包丁を持ち出したことも覚えている。
母の【しつけ】は「私は悪い子」なので仕方ないと思い続けている。

小学校4年生に上がるタイミングで両親は離婚した。

父は言った。
お父さんは嫌いじゃないんだけど、お母さんはお父さんのことが嫌いになちゃったんだって。だから一緒に住めないんだ。ごめんね。と泣いて抱きしめた。

リコンってなんだろ?

母はいつも不機嫌で怒っていた。目がつりあがっていた。

どんどん段ボールが積み上がり本当に引っ越しするようだ。

引っ越しの当日お別れの時に
隣の親戚のおばさんが泣きながらこう言った。
「これ以上辛いことはないからね。頑張って生きるのよ」

同級生達が沢山のプレゼントとお手紙をくれた。
当時のサンリオの新しいキャラクター【サキシードサム】の大きなぬいぐるみが一番驚いた。高価なぬいぐるみ!!
寂しいよりも沢山プレゼントがもらえてなんか嬉しかった。

叔父さん達が来てくれて引っ越しのお手伝いしてくれてた。
なんか特別なことをしてくれてた感じがしてちょっと引っ越しが楽しい。

当時の私は本当に父がいなくなると思ってなかったし、
お友達とお別れという意味も分かってなかった。
引っ越しや離婚ってってどうゆうことなのか理解してなかった。

当時の弟は5.6歳くらいだろうか?
弟は父の記憶は一切ない。
柔らかな印象の気の優しい立派な大人になった。

我が子の記憶に残ってないなんて、かわいそうな父だと心から残念に思う。
過去の事実は変えられないが、私の記憶の中の父の話なら伝えられる。
もし聞かれたり、もし、彼が父になった時に話をしてあげたい。
髭が濃くて立派な眉毛、わきの下をくすぐるのが上手で、大きな口を開けて笑う冗談が好きな、ちょっと君も似ている優しい父の話を。

続く


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