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幸と名付けられた子④いつしか思い出が透明になる前に


かわいい顔と優しい性格、
そして薄幸でしなっとした
柴犬・幸

幸と暮らし始めて、幸はだいたいクレートに
引きこもっていた。
最初は私と目を合わせられなくて、
ごはんも私が見ていないうちに急いで
食べて、咽せて吐き出したりした。
散歩は誰もいない早朝に。子供が怖いので
通学時間に当たらないようにした。
車が怖いから大通りには出られない。
行きは歩くけれど帰りは、不安そうに
立ち止まってしまう。心臓がドキドキ
している。犬にも人と同じような
パニック障害があるのだろうか。
散歩の帰り道が怖い。
逆走していつもの公園に戻ってしまう。
何のフラッシュバックだったのかは
わからない。
根気よく付き合って歩くまで
待った方がいい、躾をした方がいい、
と言われたこともある。
私は幸の行動範囲の狭さにとても悩んだ。
走ったり遊んだり、犬らしく。

けれども、家の中でリラックスして
幸せそうに過ごす、幸。
だんだん、私をおかあさんと思って
くれて、甘えるようになった。
幸は甘え方がわからない。
だから、家で何にもしないでくつろぐこと、
おやつねだることが、きっと幸の甘え方。


幸に会いに来た、甥。
初めて会う、優しいお兄ちゃん、
すぐに好きになった。


嫌なことはしなくていい。
おかあさんにすべて甘えていい。

飼い主としては良くないかもしれない。
けれども幸は吠えない。年に2回くらいしか
吠えないし、歯向かわない。
そして意思表示もしない。

私、何もしないのよ。
まったり優雅に見える、幸。
これが幸の甘え方、そして意思表示。



動物にも人にも、
何にもしない時間が必要。
数年、何もしなくたって
いいじゃないか、と思う。

お金や生活のために
社会で様々なことを強いられ、
背負わされ、激しい感情のドラマの
中にさらされ。
そこから離れ、自分の中心に還る
時間が必要だと思う。

私と暮らした幸の時間は
幸が、穏やかで優しい、ありのまま
の幸に安心して戻るためにあったの
かもしれない。

つづく




繁殖犬が人の愛を知り、
空に還る物語。
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絵・春華
文・浅葱明子



幸と出会い、看取るまでのエッセイ

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