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花であり、月であり

私の娘、幸(さち)
彼女は元繁殖犬、保護犬の柴犬。

2020年の3月、幸は愛らしい
春の姫のような、けれども悲しみを湛えて
私の元へ来た。

もう一度、犬のおかあさんになりたい。
恥ずかしげもなく、私は保護団体へ
そうメールを送っていた。
さっちゃんと一緒に幸せになりたい。

それから保護団体代表さん、幸の担当さん
と面談、そしてトライアル。
ありのままでいいので、ありのままの
環境を見せてください、と言われたものの
部屋を念入りに掃除したり、
ちょっと花を飾ったり。
まるで、お嬢様を迎えるように。

実際に迎えると、やはり元繁殖犬、
外の世界が苦手、人に怯え、あんなに保護団体の
ドッグトレーナーさんに躾てもらった散歩も
行きは歩くけれど、帰りは歩かず。
何かを思い出すのか、通りを眺め、
キョロキョロして不安そうに蹲ってしまう。
悲しみが溢れそうな目をして。
私はつい、抱っこしてしまい、
それから3年半ずっと抱っこをしていた。
幸の体重は9キロから10キロ。
結構な重さだった。ご近所さんには、
「おかあさん、それ散歩じゃないよね?」
と言われ、苦笑いをされた。
「そうなのですが、保護犬で‥‥」
と短く説明すると
「苦労したね。今はおかあさんに会えて
幸せだね。」と言ってくれた。

いつも幸は涼しそうな顔で私の腕の中。
どんなに甘やかしてもいい。
ただのんびり暮らして、食べて、
寝ていたらいい。それが幸の幸せで、
私の幸せだから。
私は単身で幸と暮らしていた。
友人に幸と私は女子同士のシェアハウス
みたいで楽しそう、と言われた。

幸は吠えなかった。年に3回くらいしか
吠えることはなく、声を上げて意思表示
をすることはなかった。
ブリーダーの元で酷い扱いを受けていた、
というのは、幸がたくさん出産させられて
子宮に炎症が起こり、産めなくなり、
保健所に持ち込まれたという事実からわかる。
糞を取る時、顔を顰めて逃げようとする。
だから私はお散歩にはショルダーバッグを
使い、それを背中に回して幸からバッグが
見えないようにしていた。
そして糞を取ると急いで背中に手を回しバック
に入れた。幸はなぜか、バック、傘、コート
を怖がった。コートを着た人に何かされた
のかもしれない。
保護された時はまったくの無表情で
保護団体代表さんに、表情を使い切った、
と言われた。
私と暮らし始めて2か月くらい経った頃、
笑うようになった。

何をしてもいいよ、好きなだけ、
何でもしなさい、たくさん遊びなさい。

お部屋の中は安心。誰も幸を閉じ込めない、
怒らないから。

それでも幸はあまり遊びも知らず、
はしゃぐことにも躊躇していた。
歯向かうことはもちろん、威嚇もしない。
おとなしい、優しい女の子。
汚したら怒られていたからなのか
とてもきれい好きだった。

幸の先代はベルという柴犬だった。
彼女は私がペットショップから初めて
迎えた子で、当時は柴犬は人気犬種では
なかった。ベルは野生的で気が強くて
育てるのに苦労はしたが、母を看取った後、
家族がいなくなった私を支え、
明るく励ましてくれた。

ベルとは真逆な性格の幸。
けれども50代になった私にとっては
優しい、おとなしい幸は、体力的にも
合っていたと思う。
モフモフとした幸を抱きしめる幸せ。
それはベルが私の布団に入ってきて
一緒に寝ると胸の辺りに温もりを感じる。
あの、温もりの幸せが私に再び訪れたのだ。

春夏秋冬、優しい幸と共に
穏やかに暮らした。
仕事が激務で疲れていても、私には
娘という、かけがえのない存在がいる。
そう思い、仕事に励んだ。
しかし、激務がたたり、体を壊して
しまった。
しばらく、幸とゆっくり過ごそう、
そう決めた直後に幸の体調の変化があった。
夏バテだと思い、食べるものを
調整しながら様子を見ていたが、
お腹の張りがいつもとは違う。
病院に行くと、まさかの末期癌。
肺に転移、余命は1か月くらい。

自分も体調不良で、幸の病を見落とした、
と私が言うと、
肝臓の奥にある腫瘍はわかりにくい。
無症状でこういう癌は末期にならないと
わからない、と獣医は言った。
その言葉は、私への気遣いもあったのだろう。
確かにフードを残すことがあった。
元々、幸は偏食で苦労していた。
フードを変えたり、手作り食を学び
作って与えたり、普段からしていた。

排尿が増えて我慢ができなくなっていた。
水をたくさん飲むようになっていた。
多飲多尿の症状だった。
しかし、暑い夏であったため、夏バテだと
思っていた。

あの、病院の帰り、真夏の夜、
私は保冷剤を入れた幸のカートを押しながら
泣いていた。夜は暗いから、泣きながら
歩いていても誰も気がつかない。
首にタオルを巻き、化粧も落ち、汗で濡れた
髪、ひどい身なりだった。
けれども、そんなことは関係なかった。
私は幸の母なのだ。

あの夜に私は、幸をひとりで
看取ることを決めた。
最初から、ふたり親子だった。
だから最期も、ふたり親子で。
なすすべがなく、もう民間療法と緩和ケア
しかなかった。
痛み止めは効いても、腹水は溜まってしまう。
腹水を抜くと一旦は楽になるが、
栄養が失われ、体力も落ちてしまう。
食事は教えてもらった手作りの甘酒の他に
本やサイトで調べて、キノコの煮汁、
豆腐、野菜スープ、生乳からつくるチーズで
乳酸菌を取り入れる、など必死になった。
付きっきりで幸を見ていた。
幸に話しかけて、ひとりで喋った。
それは幸が私の元へ来た頃と同じように、
私が嬉しくて、さっちゃん、さっちゃん
と言って、幸がキョトンとしている、
あの頃のように。

幸は余命宣告から10日間は、
もっと生きられるかもしれない,
と私が思うほど、体は痩せたけれど、
よく食べ、かわいらしく、
いつものようにのんびり過ごしていた。
元々、お散歩で会う他の犬たちには萎縮して
遊びに加われなくて不安そうにしていた幸、
飼い主さんたちも痩せた幸を見ると悪気なく
色々と聞いてくるだろう。
夏の朝は明るいので早く散歩に行き、
誰にも会わないようにした。
ウォーキング中の女性が、
幸をかわいいと褒めてくれた。
お礼を言って、誰もいないところで
歩きながらまた泣いた。
どんなにかわいくて、優しくて、いい子でも
辛い経験を乗り越えて頑張ってきても
命の時間は残り少ない。
そう思い、泣いた。
幸は10日間はいつものように、かわいい笑顔
で私を見上げ、ごはんもおやつも
しっかりと食べた。
それは、私のために笑い、私のために
食べてくれたのだと思う。

犬や猫は、人が世話をする。
躾,体のケア、食事等。
けれども私たちは犬や猫に
育まれていると思う。
心を通わせ、心を支えられ、
そして生と死を教えられる。

幸を看取るための、17日間は
悲しくも神聖な日々だった。
これまでの私の人生で、
あれほどの神聖な時間はなかった。

忘れられない、夏。
そして、悲しみに胸が張り裂けそうに
見上げた朝の空も、夜空も、星も月も
すべて美しかった。
そして幸は美しかった。

亡くなる5日ほど前、
視界が朦朧とする幸を見守りながら
ふと、幸から優しい愛のエネルギーを
感じた。
幸の頭上から降りてきて、私に向かってきた。
優しい、愛のエネルギーに私は包まれた。
あれは幸の、私への想いだったのかもしれない。

私は幸に育まれた。
そして私は幸を育んだ。

『引用』短歌 山川富美子

をみなにて 又も来む世ぞ 生まれまし 
花もなつかし 月もなつかし 



幸よ、生まれ変わって
また、私の娘に、どうか。
花のようなあなたを
月のようなあなたを
おかあさんは恋しい。

花であり、月であり。

私の愛娘。

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